クーンズ伯爵ハヴェルの受難
和泉茉樹
第1話
◆
十二国統一王国を統べる統一王陛下に拝謁する機会など、そうそうない。
僕は一応、男爵の爵位を受ける立場だけど、その男爵位は亡父から受けたもので、統一王陛下から直々に授かったわけではない。
王都へ、王宮へ登るように、という使者が統一王国の北部辺境の山間の土地、ヴァード伯爵領へやってきた時も、ヴァード伯の家臣たちはあからさまにうろたえていた。
当のヴァード伯爵は何の事情を察することもなく、何が起こったかもわかっていなかった。
当代のヴァード伯爵が十にもならない幼年なのだから、仕方がないけれども。
僕の亡父である先先代のヴァード伯爵には男子は二人いて、僕は次男だった。この時点で僕が伯爵位を継ぐ可能性はない、と判明していた。
そして実際、父が若くして死去すると、僕の八歳年上の兄が伯爵位とその領地を継承した。僕はまだ青年期に入ろうかという頃で、故郷を離れて勉学に励んでいて、あまり深くは考えなかった。
このままどこかで官吏か何かとして生きていくだろう、という程度の未来予想図があったし、いかにもそれはありそうな展開だった。貴族の次男、三男の行く末など大抵はそうなる。
もっとも、僕の勉学の成績は大したことはなく、官吏として受け入れてくれる先は苦労しそうだ、という見通しで、これもやはり貴族の子にありがちな根無し草的な未来が見え始めていた。
僕が二十三歳の時、ついに僕の通っていた学校は年齢を理由に僕を放り出し、行くあてもなく、故郷に戻るしかなくなった。戻ったところでやることもなく、伯爵として領地を切り盛りしている兄の手伝いしかやることがなかった。
特別に体力もなく、できることは領民の子に読み書きを教えるくらいだった。領地の経営は家臣たちが受け持っていて、僕は体良く弾かれていた。
そんな状態で数年が過ぎた時、不意に兄が倒れ、それきり亡くなった。
僕は愕然としたが、そこには、自分が伯爵位を継承する、などということはよぎりもしなかった。単純に兄の死に驚き、困惑したのだ。
そんな僕の思考停止の間に、いろんなことが決まっていった。
ヴァード伯爵領は、兄の遺児が継承し、成人するまでは家臣たちが領地の運営に尽力する。
僕、ハヴェル・ジェイズ男爵は、何の変化もなし。
こうして僕は明白な、紛れもない伯爵家のお荷物、となったのだ。
だから兄の死から一年も経たずに王都へ呼ばれるというのは、伯爵家の家臣たちからすれば不穏なものでもあっただろう。今更、僕が伯爵位に就くわけもないはずだが、彼らからすれば僕が統一王陛下に召喚されるという事態は正真正銘の悪夢だったのは想像できる。
いずれにせよ、僕のような領地も領民もなければ、何の役にも就いていない男爵に統一王陛下が目をつけたのは事実であり、その召喚を無視することはできなかった。
ヴァード伯爵家の家臣たちが、あるものは真っ青な顔で、あるものは赤黒い顔で王都へ向かう僕を見送ったのは、春の盛りだった。
僕としても落ち着かないのは、何が統一王陛下の関心を引いたのか、まったくわからなかったからに他ならない。
特に罪を犯したわけでもなく、特に領地経営に貢献したわけでもない。年ばかり無駄に食ってしまい、しかし妻帯していなかったが、まさかそんなところに理由もないだろう。
北部の辺境から馬車に揺られること半月、やっとの事でたどり着いた王都は、見たこともないほど巨大だった。三重の城壁があるとは聞いていたが、初めて見るそれは人間が建設したものとは思えない。その城壁にある巨大な門を抜けると、今度はどこまでも街並みが続く。その段になって、自分が潜った門は城壁のそれではなく、ただの城郭の一つに過ぎないとわかった。
城郭の内側は全てが街だと知っていたが、あまりに巨大、広大で、まるで全体像を把握できなかった。
もっとも、僕の役目は王都を見物することではなく、統一王陛下に謁見することだった。
馬車は先へ進み、いつの間にか城門をくぐり抜けたようで、どこかの建物の中に入っていった。そう、馬車が丸ごと入るような構造物の中にだ。
僕がやや狼狽えているところで、すぐ横の扉が開かれたので、御者が開いたのかと思ったら全くの別人だった。
服装は役人の正装だ。冠までつけていた。年齢は四十代だろうか。
呆気にとられている僕を鋭い視線で見上げてきた彼は、わずかに頭を下げた。
「ハヴェル・ジェイズ男爵、陛下がお待ちです」
「へ、陛下が?」
どんな人でも、このシチュエーションに驚かないわけがないだろう。
先ぶれがあったのかもしれないが、僕は旅装のままで、もちろん、献上する品を含めた荷物も解いていない。そもそも僕を待っているとは、どういうことだ? むしろこちらが陛下の都合に合わせると思い込んでいた。
いったい、何が起こっているのだろう。
役人がわずかに顎を引いた。
「陛下はお忙しい。男爵、こちらへ」
言葉を返す前に、彼が身を翻してしまったので、僕は慌てて馬車を降りた。長い間、馬車に揺られ過ぎたせいで体がグラグラと揺れているような感覚が抜けない。
役人は背筋をピンと伸ばして、足早に建物に入っていく。そう、馬車は完全に建物の中に入っていたのだが、あまりにも空間が大きすぎて、正確な表現がわからない。
ここは、王宮ということだろうか。正式名称がすぐに思い出せない。通称は、水晶宮、だったか。
役人の後を小走りで追いかけながら、僕は一度、背後を振り返った。
不気味なことに、そこにはポツンと馬車があるだけで、御者は姿もなかった。
すぐに廊下の突き当たりの階段を上がることになったので、それきり、馬車は見えなくなった。
役人は階段を上っていってしまう。
僕にできることは、その背中を追うことだけだが、いかにも不穏だった。
今から、本当に統一王陛下に拝謁するのだろうか。
とても信じられなかった。
(続く)
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