第10話 ヴィンセント家で迎えた新しい朝

 清々しい朝を、ふかふかのベッドで迎えられるだなんて思ってもいなかった。


 手入れが行き届いたカーペットに年代物の家具。大きな窓からは美しい庭を眺めることが出来て、眩しいくらい。リビングと寝室は別だし、隣には次女のカレンが使える部屋まである。

 ふかふかのベッドとクッションおかげで、昨晩はぐっすり眠ることが出来た。

 だけど、変だわ。どう考えても、この部屋は貴賓室だもの。間違っても、罪人を通す部屋などではない。


「──カレン、私は夢を見ているのかしら?」

「突然どうされのですか?」

「だって……てっきり暗い塔に幽閉されるんだと思っていたんだもの」


 窓辺から見える薔薇の庭園がキラキラと輝いている。まるでおとぎ話に出てくる花園のようで、今にも美しいお姫様が現れそうだ。


「お嬢様が幽閉なんて、とんでもない話です!」

「でも、私は魔力を暴走させたから……」


 ふんすっと怒るカレンは、私をドレッサーの前に座らせると、ブラシで髪を梳かしてくれた。


「悪いのは宰相閣下のご子息にございます。浮気をした上、口裏を合わせてお嬢様を悪者に仕立てたのですよ」

「……それを信じてくれるのは、カレンだけよ」

「そんなことはございません。坊ちゃまも、大層お怒りでしたよ」

「お兄様が?……もしかして、カレンがお兄様に伝えてくれたの?」

「はい。旦那様に任せていたら、正しい話が伝わらないと思いましたので」


 丁寧に梳かれた薔薇色の髪に、白いリボンが編み込まれていく。

 嫌味のないように、だけど愛らしく。それが髪を結ってくれるカレンのこだわりらしく、派手な髪飾りがなくても、いつだって可愛く仕上げてくれる。

 手を動かしながら、カレンは話を続けた。


「坊ちゃまがすぐに、フェリクス様へ使者を送って下さったんですよ」

「……お兄様が?」

「はい。お屋敷にいたら、お嬢様のお心が壊れてしまうだろうと心配されて」

「そうだったのね。……お兄様とフェリクス様に交流があったなんて、知らなかったわ。ご年齢が少し離れているように見えたけど……」


 お兄様は私の三つ上だから、今年で二十歳になる。でも、フェリクス様はさらに年上に見えたわ。二十五は超えていると思うのよね。


「お嬢様、お忘れですか?」

「……何を?」

「お嬢様もフェリクス様とお会いしていますよ。それに──」


 カレンが何かを言いかけた時だった。ドアがノックされ、何かいいかけた彼女は、会話を打ち切るとそそくさと来訪者を出迎えに行ってしまった。


 私がフェリクス様と会っている?

 いつのことかしら。お兄様のご学友なら、何人かご紹介されたこともあるけど。──昨日会った高身長のフェリクス様を思い出すけれど、それらしい人の記憶はない。


 とても綺麗な銀髪で、まるで月光のように美しい瞳だったわ。そもそも、あんなに目立つ姿の男性がいたら、学院のご令嬢は放っておかないでしょうし、噂話くらい聞くと思うのよね。

 でも、待って。ご年齢を二十五歳としたら、私が入学する前には卒業されてることになるわよ。そうすると、学院以外でお会いしてることに──物思いに耽っていると、鏡の中にフェリクス様の顔がぬっと写り込んだ。


「おはよう、アリスリーナ。今日も美しいな」

「フェリクス様──!?」

「しかし、茶色のドレスでは、せっかくの薔薇が枯れたようだ」


 少し不満げな顔で私を見降ろしているフェリクス様に、私は返す言葉が見つからず、口をパクパクさせた。鏡に写る姿は、まるで餌をねだる雛のようだわ。


 おはようございます。そう返せば良かっただけなのに、一度パニックになった私は、彼の一挙一動に朝から振り回されることになる。


 フェリクス様の指が髪に触れた。男らしい指は、まるでガラス細工を扱うように優しく触れてくる。


「このリボンのように、真っ白なドレスも良いかもしれないな。銀糸の刺繍を施すのはどうだろうか。なあ、ブライアン!」

「そうでございますね。美しい薔薇をより引き立てる可憐なピンクの花で飾るのも良いかもしれません」

「ピンクのドレスか。アリスリーナは小柄だし、それも愛らしくて良いな」


 少し後ろに控えていたブライアンさんは顔色一つ変えず、恥ずかしげもない言葉を並べる。それにフェリクス様はうんうんと頷いた。


 昨日、仕立て屋を呼ぶって言ってたけど、どうやら本気のようだ。


 私たちの様子を、カレンは静かに見ているけど、にまにまと嬉しそうに口角を引き上げているし──いったい、何が起きているの。私は、罪人で静かに生きていく運命ではなかったの?

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