第8話 薔薇の庭園でティータイム

 美しい庭に感嘆の声をこぼすと、フェリクス様は嬉しそうな顔をこちらに向け、気に入ったかと尋ねてきた。

 さっきは威圧的な熊のように見えた顔が、ぱっと輝いて人懐っこい大型犬のようになる。


「手入れが行き届いていて、素晴らしいお庭ですね」

「ここは亡き両親が愛した庭だ。当時から変わらず、庭師のリント夫妻が管理してくれている」


 フェリクス様は、庭で手入れをしていた初老の夫婦を呼ぶと紹介してくれた。


「お初にお目にかかります、お嬢様。どうぞ季節の花々を、お楽しみください」

「お部屋にも、お好きな花をご用意させていただきますね」


 優しそうなご夫婦は、頭を下げると作業に戻っていった。

 さらに進むと、可愛らしい東屋パーゴラが見えてきた。そこでは、数名の侍女がお茶の用意をしている。


「このようなおもてなし……フェリクス様、私は、罪人にございますよ」

「くだらないことを言うんだな。あれは冤罪だろう」

「それは……」

 

 パーゴラの中、ふかふかのクッションが積み上げられた長椅子に座るよう促され、私は俯いて言葉を濁した。


 確かに、婚約者を殺そうとしたなどという事実はない。だけどあの時、私の心に怒りや憎しみが欠片もなかったかといえば嘘になる。魔力を暴走させ、学院で破壊行為を行った事実は否定できない。


 横に腰を下ろしたフェリクス様の顔を見ることも出来ず、胸元を握りしめていると、ふわりと甘い香りが漂ってきた。顔を上げると、目の前に紅茶で満たされたティーカップが置かれた。

 クッキーにスコーン、タルトに果物の盛り合わせ。お菓子もこれでもかというほど運ばれてくる。


「こちらはメープルシロップになります。お使いください」


 年長の侍女がテーブルに置いた小さなガラスのポットの中で、琥珀色の液体がとぷんと揺れた。


「我が領の名産品だ。美味いぞ」

「そのような貴重なものを、私が頂くわけには──」

「アリスリーナのために用意したんだ。紅茶にも合うぞ」


 琥珀色のメープルシロップがカップに落とされた。

 フェリクス様が自ら銀のスプーンで紅茶をかき混ぜ、カップを手渡してくるものだから、私は断りきれずにカップを受け取った。


 カップを覗き込むと、キラキラと輝く紅茶から甘い香りが立ち上がった。


 さあと促されて一口飲むと、紅茶の渋みを包み込むような甘い香りが口いっぱいに広がる。だけど、まとわりつく甘ったるさはなく、私の知るメープルシロップと違って、とても爽やかな口当たりだった。

 今は初夏だというのに、秋の爽やかな風が吹き抜けるようだわ。


「気に入ったか?」

「私の知るメープルシロップとは、全く違います。とても美味しいです」

「そうかそうか! ほら、これも食べてみろ!」


 驚いている私を見て、フェリクス様は満足そうな顔で、カップケーキを手に取る。


「いいえ、そんなに頂くわけには……」

「お前の母はここにいないんだ。好きなだけ食べればいい」

「母?……あの、どういう意味でしょうか?」


 突然、お母様のことを言われた私が反応に困っていると、フェリクス様は目を細めた。


「昔、母親に甘いものを控えるよう言われて、凄く不満そうな顔をしていただろう」

「……え?」

「可愛らしく頬を膨らまして、兄ばかりケーキを食べてズルいと怒っていたが、もう気にする必要はない」


 クリームたっぷりのカップケーキが、さあ食べろと言わんばかりに、私の口元へと押し出された。

 懐かしむように細められる金色の瞳を見て、私は眉をひそめた。


 確かに、幼い頃から淑女教育に煩かったお母様から、お菓子を食べるのを咎められていた。


 女の子はすぐ太ってしまう。そうするとコルセットが苦しくなるばかりか、ドレスの見栄えも悪くなる。さらに化粧ののりも悪くなるから良いことは一つもない。──母の持論を、幼かった私が理解できる訳もなく、お兄様の半分も食べさせてもらえないことに不満を感じていた。だけど、反抗なんて出来る訳もなく、大人しく従って育った。それもこれも、立派な宰相夫人になるためだったんだけど。


 胸の奥がずんっと重くなる。甘い香りと共にある記憶に、良いものなんて一つもない。


「……お兄様から、聞いたのですか?」


 私の質問に、フェリクス様は少し目を見開くと意味深に笑って、さてと呟いた。


「ここには、ケーキを食べても咎める者などいない」

「いいえ。罪人の私が贅沢をすれば、きっと、不快に思う者が現れます」

「その時は、俺がどうにでもしてやる」

「あの……それは、どういう意味でしょうか?」

「この地で、俺に歯向かう者はいない。お前は安心して、好きなことをすればいい」


 私の手にカップケーキを置いたフェリクス様は、湯気をくゆらすカップに口をつけた。

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