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「エリエル様、軽食をお持ちしました」

「ありがと」


 夜の帳が下り、屋敷の中が静かになっていく。

 この屋敷の主人であるエリエルの部屋に近づくことを許されているのは、ほんの一握り。

 その中にカウントされているのは、執事長のロバートだ。


 いつも以上に張り切って背筋を延ばし、後ろに撫でつけられたロマンスグレーが月夜に照らされる。


 ダーツの矢を弄りながら、エリエルは机の上にお盆を置くロバートに問いかけた。


「最近ファブラードの紹介で入ったクローリカなんだけどさ、どう?」

「どう、とは……使用人業務の能力を客観的にみて、ということでよろしいでしょうか?」

「そう」

「それであれば、非常に有望な人材と初日から使用人一同陰で感心しておりました。

 無茶振りな仕事量を一人で熟すだけでなく、実に仕事が細かい。

 ファブラード侯爵を介して、ということが残念でなりません」

「一応昔から付き合いのある家だし、彼は街でも顔が広い。無下に断れないからね」


 エリエルがダーツの矢を放つと、軽く軽快な音を立てて的の真ん中に刺さった。


「初日にクローリアの履歴書見た時に、みたことある名前だと思ったんだ。

 そしたら一応男爵家だったんだよ、知ってた?」

「ヴァンクス家、でしたな。

 確かこの領地の端の方に少し土地を持っている家系だと私も調べ及びました。

 しかし近年では財政も乏しく、下手すれば一般市民より力がないとか」

「全部調べんたんだ」

「この家に来るものは全て調査いたします」


 それもこれも、全てはエリエルを守るため。


 ロバートは深く頭を下げると、ソファーに沈んだエリエルに敬意を見せる。


「クローリアが来て三日? だっけ。

 他にファブラードからの動きは何かありそう?」

「今のところは何もございません。

 エリエル様の言いつけ通り、裏庭の扉も鍵を開けたまま、高台より見張りをつけております。毎晩クローリアがファブラード侯爵の使いに報告書か何かを渡していることでしょう」


 その内容はエリエルが捏造しているのだが、二人の関係性を知らないロバートは淡々と言葉を並べていく。


「そっか。


 クローリアには今までやって来た人間と同じように仕事を与いるんだよね?」

「はい、今のところ応えていないようですが。

 何か新しい作戦を考えましょうか」

「いいよ。増やすより、減らしいて欲しい」

「は……?」


 ロバートの目が点になる。


「し、しかしクローリアに時間と体力を与えるとエリエル様に近づこうと作戦を練る隙を与えてしまいます」

「大丈夫だよ、ロバートが心配しているようなことにはならないから」

「ですが!」

「悪いようにはしないよ。

 ただ、欲しいものが出来たんだ」


 紫がかった黒髪の隙間から見える紫水晶の瞳が、楽しそうに歪んだ。




 

 ****** 




 エリエルの部屋に帰る途中、誰とも会わないよいうに気を使うことすら疲れてきた。

 偶然というべきか、エリエルの部屋の付近だからか知らないけれど人はいない。

 その上扉に見張りもいないので、簡単にやってこれる。


 防犯上いいのだろうか、ちょっと心配である。


 部屋の隣には、昼間エリエルが言っていたように工事中の張り紙が貼られている。

 きっと昼間に頑張って作業しているんだろうな。


 ……明日からこの現場に入れって言われないか、ちょっと心配。


 扉をノックしようと手を上げた瞬間、扉が重たい音を立てた。


「おかえり」

「た、ただいま」


 数日ぶりに口から出た言葉にちょっと感動した。

 いい言葉だよね、おかえりとただいま。


「今日疲れてるでしょ」

「非常に」

「だと思ってロバートに軽食を持ってきてもらった。一緒に食べよ」

「神……‼︎」


 正直に言って今日は疲れた。

 いや、今日〝も〟疲れた。

 昨日の晩、寝心地のいいベッドでしっかり寝たが今日は今日の疲れがある。


 エリエルが開けてくれた鳶のを潜ると、相変わらず薄暗い。


「ねえ、部屋の前に見張りとかいないの? ちょっと不用心じゃない?」

「別に、誰も入ってこないよ。定期的に警備も巡回してる。

 ロバートや他の使用人も、俺が呼ばない限り近づかないようにしてるけど呼んだらすぐ来てくれる。あんたと鉢合わせしないように気は使ってるよ。そこら辺は徹底しているし、変な奴なんて入ってこれないよ」

「ここに居るんだが」

「あんたは……まあ……」

「なに、その〝別にあんたくらいこの屋敷に侵入しても屁でもないんだよ〟みたいな目」

「あえて言わなかったのに自分から傷つきに行くとか」


 当たってるんかい。

 何か言い返してやろうかとも思ったけど、お腹空いたし眠い。

 体力温存しておこう。


「これ、今日の分の報告。どうする? 先に渡しに行ってくる?」

「だる……いや、これが本来の仕事だった」

「心の声がダダ漏れだったよ」

 

 ほい、と差し出された報告書。しっかり密封されており、ファブラード侯爵宛てと書かれている。

 今日はどんな内容なのか気になるけど、それより軽食の内容の方が気になる。


「先に出してきなよ。その間に食事の用意しておくし、チェス盤も出しておくから」

「今日は寝たい「昨日もそう言って先に寝たよね」くっ……!」


 頼むから寝かせてくれ、仕事で疲れているんだ……あれ、これって結婚した夫婦(私が夫側)によくあるすれ違いの予兆会話?


「ほら、早く行って来なよ。今夜は寝かさないから」

「睡眠時間……睡眠時間をくれぇ……‼︎」

「睡眠時間が欲しかったら、俺が満足するまでチェスに付き合うことだね」


 明日仕事中に立ったまま寝ないか心配だ。


 目を擦ると、大きなあくびを一つぶちかまして重たい扉に手をかけた。






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