23



 報告書を渡し、部屋に帰った後は大変だった。


 遊んで、寝る、最近発売されたばかりのゲームが二人以上じゃないとできない、寝る、じゃあちょっと前に発売されたゲームに付き合って、寝る、チェスは、寝る。


 どんなやり取りだ。


そんなエリエルを振り切って遠慮なしにベッドに潜り込んでやった。

 巷のうら若い女性が好む小説では、こういったシチュエーションに陥った時


「俺がソファーを使うから、君はベッドを使って」

「いいえ、私が」

「いや、俺が」


 などといった可愛らしいやり取りが定番化していると思う。

 残念だったな、昨晩の私にそんな余裕はない。


 遊べと駄々こねるエリエルを無視して、容赦なくだだっ広いベッドに上がり込んだのだ。


 引っ越してこいって言ったのはエリエルだし、ソファーはなんかよくわからない本で埋め尽くされているし。

 こんなに広いんだから、隅っこ一部貸してよね。


「……本当に寝るの?」

「今日は疲れたんだよー。また明日にしてよー」

「折角面白そうなゲームあるのに……」

「(休日母親に遊んでってせがむ子供みたい)」


 疲れとテロンテロンに育て上げた部屋着の安心効果、そして人生初めてともいえる最上級ベットに抗えることは不可能。

 まだ騒いでいるエリエルを無視して、私の意識は暗転した。




 ******




「私って案外図太かったのかな」


 パイプを磨きながら、昨日の出来事をおさらいすると己の逞しさに拍手を送りたい。


 朝の目覚めは驚いた。

 体の疲れは綺麗さっぱりどこかに行って、質のいい睡眠が取れた。

 隣で丸くなっているエリエルが動く様子はない。

 ……部屋着のままだけど、もしかしてパジャマ兼用⁉︎


 あれからどれくらい起きていたんだろうとか、朝ごはんは食べないのかなとか、色々思うことはあるけれど。

 とりあえず私は朝礼に行かなければいけない。


 そっとベッドから降りると、書き置きを残して部屋から抜け出した。



 そして私は今日あてがわれた仕事に向き合っているのだ。


「まさか朝方に寝て昼まで寝てる……なんてことないよね……?」


 それはそれでちょっと心配なのだが。


 とにかくこの仕事を昼までに終わらせないといけない。

 パイプの角までブラシで擦っていると、後ろで足音が聞こえた。


「今日も頑張ってるんだー」

「お、疲れさまです」


 突如知して現れたポプリさんに、思わず身構える。

 急いで立ち上がると、お仕着せの裾についた枯れ草をはらった。


「そこ、蛇がよくいるから気をつけた方がいいよー」

「ぎゃあ‼︎」

「はっはっはー。まだいないってー」


 教えてくれたのはありがたいけど、ちょうど私がそのポイントで作業している時に教えないでほしい。……まあそこで蛇に出会したら出会したで文句言っていただろうけど。


「これ、昨日あんたに渡そうとしてたんだー」

「なんですか?」

「ちゃんと手を洗ってから触りなよー」


 手を拭って袋を開けると、ふんわりとした匂い。


 こ、これは……!


「パン?」

「そー。あんた昨日晩御飯全然食べてなかったでしょー」

「えー…っと、はい……」


 良心がちょっと痛んだ。


 実はここの家主にせがまれて共有台所で魚のバター焼きを食べてましたなんて、言えない……‼︎


「こんだけ仕事押し付けておいて言うのもなんだけどー、バリバリ体動かしてるんだからどれだけ疲れていてもご飯は食べた方がいいよー」

「あ、ありがとうございます」


 しかもこのパン、私が初日に食べた硬いパンじゃない。

 ポプリさん達が食べていた白くてふわふわのパンだ!


「こんないいものもらってもいいんですか⁉︎」

「いいもの……そこまで感動されるほどのものじゃないけどー」

「だってこんないいパン! 街で買おうとしたら芋が五つは買えますよ!」

「あー、まあ換算したらそれくらいかなー?」


 やっぱり屋敷の人たちはいいもの食べてるなぁ……いや、泣かないから。

 私だってがっぽりお金稼いで、家族分買って帰るから!


 パンが傷まないように、いそいそを日陰に避難させる。

 そんな私の後ろ姿を、ポプリさんは腕を組んで見つめていた。


「あんたさー、よく働くよねー」

「どうも……?」

「素直に褒めてんのー。

 仕事も早いしー、どんな量の仕事もこなすしー、たまに腕が二本以上見えるしー、泣き言だってこぼさないしー」


 最後のは人前で泣かないだけで、こっそり涙を流しているだけだ。


「あんたなら今まで来ためんどくさい奴らより少しは長くいられると思うけどー。

 時間の問題だよー」

「それなら大丈夫です!」


 この人、私をいじめてくるいけすかない人かと思っていたけど、案外そうじゃないのかもしれない。

 さっきもらったパンはまだ暖かった。

 昨日渡そうとしてくれたパンとは別に用意してくれたのだろう。


 思い込みかもしれないけど、ほんの少しだけ人の暖かさに触れられて嬉しくなる。


「私、なんとなくやれる気がしてきました!」

「げぇー……その仕事量でー? あ、被虐性欲かー」

「そっちの趣味はないんですよ」

「大丈夫ー。言いふらしたりしないからー」

「絶対言うつもり……ああ……いい笑顔……!」


 頼むから変な噂だけは流さないでくれ……。

 軽やかに去っていくポプリさんを引き留めたかったけど、初めて見せてくれた笑顔に引き止める術はなかった。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る