19
「まあその条件はそんなに難しくはないかな……ロバート執事長に上手く言って私がここに上手く来られるように……でもそこを誰かに見られるとまずいよね」
「次の条件は」
「まだあるの⁉」
「当たり前。
あんた、俺の部屋に引っ越してきて」
ピタ。
ウロウロと無意味に歩く足も視線も思考も、全てが止まった。
な、なんて……? 誰が、どこに?
引っ越してくる……あのボロ部屋から?
徐々に思考が鈍く軋むような音を立てながら回転し始めた。
「えー……と、何故私がエリエルさ、おっと口内炎のせいで……。エリエルの部屋に移動する必要があるので、おっと抜き損じた親知らずが暴れて」
「誤魔化し方独特……。
必要性を問われると難しいけど……うーん……俺の姿を見られたから、かな」
私は、だいぶまずい案件に首を突っ込んでしまったようだ。薄い胸の前で手をギュッと握りしめる。
女が男の部屋に引っ越す。
その後のことなんて安易に想像できる。
「私、誰にもエリエル様の事を言いません‼」
「ロバート「っだあああああッ‼ 言わない! 言わないから‼」うるさ……」
あんたがロバート執事長を呼ぶからだ‼ 敬語様付けの何が悪いってんだ……!
「あのねぇ……私はそういう営業しない……から」
「そういうってどういう?」
「言わせないで、よ。
私は確かに今まで色んな職業を体験してき……た。でもね、まだ体は売ったことないんで……の。
娼婦経験はないので……ぇん、夜の慰め相手であれ……ば、他を当たった方がよろし、いい、ヨ」
「あんたの薄っぺらい体なんて興味ないよ」
「表出ろ」
こいつ、煽りの天才か。
「はぁー? 脱いだら凄いからな? 着痩せするタイプだかんな? 舐めんな?
じゃあなんですか、美女百人押しかけても微動だにしないエリエル君はいっちょにおねんねしてくれるお友達がほちいんでちゅかーっブゥッ‼」
「確かに敬語はやめてって言ったけどそれはそれで腹立つ」
多分、今すっごい不細工な顔してると思う。
メンチを切ってエリエルの顔を下から覗き込んだら、両頬を片手で捕まれた。案外手おっきいんだな。
「あはは、えぐい顔」
「ンボッ、ブゥゥゥウウ‼」
「あーおもしろ」
「っの、悪趣味引き籠もりワカメ‼」
もう知らん、こんな奴に敬う気持ちなんかこれっぽっちもないわ!
やっと魔の手から逃れると、あまり手入れのしていない頬を摩った。
「まあ添い寝も……ベッドは一つしかないから必然的にすることになるけど。
俺はあんたの体は求めないから、それは約束してあげるよ。
だけど」
「だけど……?」
「……一緒に、遊んで」
少ししおらしくなった彼の姿を見て、いつぞやの光景がフラッシュバックした。
あれは弟はデイヴィスがまた小さかった頃だ。
収穫で忙しくなる秋、ご近所の麦畑で収穫の手伝いをしていた時だ。
中々終わらなくて、夕暮れが早くなって空が真っ赤に染まっていたのを今でも覚えている。
滴る汗を拭って頭を上げると、いつまでたっても家に帰ってこない私を心配したデイヴィスが畑の外からポツネンと私を見つめていたのだ。
『デイヴィス! どうしたの?』
『おねえちゃん……』
秋って寂しくなる季節だから、それも相まって我慢できなくなったのだろう。
大切にしていていたクマのぬいぐるみを抱きかかえて、涙ぐみながら駆け寄ってきたのだ。
『こら、汚れるから離れて』
『やだぁ……』
『帰ったら一緒にご飯食べよ? それまで我慢して』
『寂しいよぉ……今日はちっとも遊んでくれないし、もう帰ってきてよぉ……』
『もうすぐ帰れると思うし、そしたら一緒にお風呂入ろ! ご飯も食べ終わったら寝るまでお姉ちゃんが遊んであげるから!』
そう言った時のデイヴィスが安心した顔は忘れられない。弟を可愛く思う姉として、庇護欲メーターがカンストした。
その後は鬼の早さで収穫を終わらせ、泥だらけになって家に帰ったというわけだ。
話が飛んでしまったが、私は弟のデイヴィスを大切に思っている。
守るべき存在だと思っているし、もし寂しいと思っているなら側にいてあげたいと思う。
……そう、私が寂しいときもまた然り、だ。
「俺、立場上そんなに友達とか居ないし、出来る性格じゃないし……。
ここまで喋れる人間って滅多にできない」
「(自分の性格わかってるんだ)」
「本当はあんたに俺の名前を明かすつもりはなかった。バーボフカさえ焼いてくれたらもういいかなって思ってたけど、あんたの考え方とか家族のことを聞いて気が変わった。
俺の遊び相手になって」
「気が変わったで簡単に引っ越しは決められない。
それに遊ぼ、じゃなくて外に出て働きな」
「それをさせるのがあんたの役目でしょ。これってまたとない機会なんじゃない? このまま俺の部屋に引っ越してきて、俺の気を外に向けたらファブラードから解放されるよ」
「んぬぅ……‼」
「それにベッドもカビだらけだったんだって? 他の家具も壊れてるみたいだし、忙しいなら片付ける暇もないんじゃないの。
俺の部屋に来たら着替えるだけですぐに寝られるよ」
非常に魅力的な申し出ではあるけれど。
いいのか? 本当にこれで合っているのか?
身構える私を見て、エリエルが笑った、気がする。
「そんな野良猫みたいに威嚇しないで」
「だれが野良猫!
それと一使用人が勝手に部屋を帰るなんて許されないから!」
「屋敷の主である俺がいいって言ってるんだから、いいんだよ」
「それもそっか……?」
私の部屋の周りに誰も住んでいないし、確かに誰かにバレるなんてあり得ないような気がしてきた。
第一ロバート執事長やポプリさんだって私の私室なんて知らないだろうし? え、これ有りなんじゃない?
エリエルには百人の美女にも靡かなかったという鋼のような固い実績もあるわけですし。
……ありだ。
「(今でよく騙されてこないで……いや、ファブラードに騙されているか)」
折れ始めた私は、エリエルがジト目で見ていたことに気付くことはなかった。
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