18


「本日はお日柄もよく……」

「何急に」


 夢であってくれと願い、こっそり自分の頬を抓ってみるが何も変わらなかった。

 悲しきかな、現実だ。


「なんで頬っぺた抓ってるの。食事中なんだから席に戻りなよ」

「ア、ハイ、イイエ……」

「どもりすぎ。早く食べないと俺が食べちゃうよ」


 促されるまま再び椅子に座った。

 目の前にはまだ温かい湯気が立ち上る料理と、傑作リンゴの解体に勤しむ〝エリエル様〟。


 あーやらかしてる。

 最初っからやらかしてる。


 食べる気のないスープを匙でかき回しながら、昨日から今日にかけての愚行を思い返す。


「ふっ……うっ、グスッ……!」

「え、なに」

「だって……だっでぇ……‼」

「え、えー……」


 お、おろか……あまりにも愚かだ……‼


 頭を埋め尽くす暴挙に己への情けなさやら羞恥やら後悔が襲い掛かってくる。


「足払いから始まって馬乗りに胸倉掴んで、偉そうにため口まできいて……。

 で、でもしょうがないじゃん……‼ 誰もこんな毛玉だらけの部屋着きてワカメみたいなボサボサ頭が、エリエル様なんて……思わないってぇ……‼」

「あんた、遠慮なくディスるね」

「もうダメだ……私はファブラード侯爵に脅され続ける運命なんだぁ……」

「バイトの募集要項にちゃんと書いてあったけど小さすぎて見逃していたっていうオチ?」

「なんでわかるんですか……」

「それがあいつの常套手段だよ。っていうかなんて今更敬語なの」

「は、相手が目上の人間ってわかったら敬語を使うっていうのは社会人として当然ですよ」

「引き籠りの俺に喧嘩売りながら敬いを見せてくるの器用だね。俺にとっても全部が初めての経験だよ。

 はい、ハンカチ」

「ハンカチ持ってる……貴族だ……」

「人として当然だから」


 はい、と手渡されたハンカチで涙を拭おうとして止めた。

 これ絹だ。


 汚れないように机へハンカチを置くと、とりあえず床に座ってみた。


「あの、エリエル様……。今から土下座したら間に合い……マスカ……?」

「その敬語やめて、あと様なんて付けないで」

「無理です」

「じゃあ間に合わないしロバートに言いつけるから」

「ミンチにされるからやめて」

「じゃあ立って」


 せっかく膝を折ったのに、また椅子に逆戻り。


「それ食べないと片付けられないよ。もうすぐ人が来るけど、いいの?」

「…………」


 味しないって‼


 相変わらず林檎をつついている。どういう感情?

 スープを口の中に流し込んだ。こんな雑な食事、引っ越し業者のバイトをしていた頃の繁忙期以来だ。あ、それ去年だ。


 林檎もいつの間にか無くなっており、空になった食器を手早く回収すると流し台の水を出した。


「で、交換条件の続きだけど」

「続くんですか⁉」

「…………」

「あっ、無言の圧力やめてっ」

「次敬語使ったらロバートに言いつけるし、俺の名前に様をつけたらファブラードの屋敷前に吊り下げるから」

「拷問か」


 そう言われても、相手は領主様の息子よ?


 お皿を洗いながら、背中に突き刺さる視線に耐え抜く。

 前髪で目が隠れてるはずなのに、よくここまで圧出せるな。


「……俺が今から言う条件を飲んでくれたら味方になってあげる」

「それは脅しでは……」

「別に断ってもいいよ。自分の力でなんとかするって息巻いてたし、見物だね」

「天上人にとっての娯楽扱い……」

「なんか言った?」

「イイエナニモ」


 手に着いた泡を拭った。

 夕食の時間が終わるまであとほんの少し時間がある。


「まず一つ目。

 さっきも言ったけど、昼ご飯も作って。ロバートにはここに昼の時間も近づかないように言っておくから」

「な、なんでそこまでしてご飯にこだわるんです……んんん喉の調子が悪いだけで決して敬語ではない‼」

「誤魔化し方が下手くそすぎるね。

 ……だって、ここの料理は冷めてるし」


 冷めてる、とは。

 食堂で皆が食べていたものを思い出す。


 記憶の限りでは皆楽しそうに温かな食事を囲っていたように思う。

 なのに彼の食事だけ冷めている? 私と一緒で虐められてるのかな。あ、だから引き籠もって……?


「絶対変なこと考えてるでしょ」

「大丈夫です、私も嫌われているので……今のは敬語じゃなくて東南の方の方言ね」

「凄い丁寧な方言だね。

 別に俺の料理が冷めてるのは嫌がらせでもいじめでも何でもなくて、毒味されてから運ばれてくるから冷めてるだけ」

「あ、そういうこと……」

「それに、皆の前で一人だけ食べるなんて嫌だよ」


 貴族の食事方法なんてよくわからないが、話には聞いたことがある。

 特に高い地位にいる人間は時として命を狙われる可能性がある。その暗殺方法でもっともポピュラーなのは、食事に毒を盛る方法だとかなんだとか。

 ……暗殺方法とポピュラーという単語を組み合わせる日が来るとは思っていなかった。


「まあ確かに冷たいご飯は私も好きじゃない……し、一人で食べるのも寂しい、かな」

「急に喋るの下手くそ。ウケる」

「(我慢我慢我慢我慢)ひ、一人で食べるのも寂しいもんね」

「なんで好き好んで大勢の視線に晒されながらご飯食べなきゃいけないのかわからない。

 犬じゃないんだから、食べてるところ見せつけたくない」

「それで今まで部屋に籠もって食べていたと?」

「……見られないなら、まだ冷めてる方がマシだと思ったから……」


 あー……そういうこと……。

 ……いや、まずくね?


 背中がゾッと冷たくなった。


「え、待って。私の料理食べたよね⁉」

「うん、美味しかった」

「ありがとう‼ そうじゃなくて‼ 毒味は⁉ 私味見したけど完成形の毒味はしてないよ⁉」

「毒入れたの?」

「入れてたら共倒れだわ‼」


 とんでもないこと言うなよ!

 毒味が必要って事は、こういう場にロバート執事長とお偉いさんを呼んで……もうダメだ、食事は既に彼の胃袋に収まっている。


「腹パン何発か入れて吐かせた方が良いのかな……」

「アングラ思考本当やめて。

 それに俺、小さな頃から毒物の耐性つけてるからちょっとやそっとじゃ死なないよ」

「なんだ、よかったぁ……」

「……さっきまで土下座までしようとしていた人間に腹パンって発想がとんでもないよね……」


 とりあえずジャガイモの芽だけはしっかり取ろう。

 仄暗い空間を点す蝋燭が、私の頬を伝った汗を光らせた。

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