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「ち、因みになんだけどさ、今まで失敗してきた人達はどうなったの?」


 顔色なんて気にしていられん。

 青年の心配はありがたく横に置いておき、机から身を乗り出した。


「えー……。

 家ごと売り飛ばされたりとか、地下で日の目を見ず毎日重労働だとか。

 ……ねえ、本当に顔色悪いよ」

「家ごと……はは……あははは……」

「……まさかとは思うけど」

「家族人質に取られてるし、仕事断ろうとしたら違約金請求された……え、これ給料払われない可能性あるの⁉」

「俺に言われても知らないよ」

「嘘だぁ……」


 机に伏した。


 こんな状況だというのに、青年はカトラリーを動かす手を止めない。


「あいつらにバレないうちに荷物まとめて国外逃亡でもした方がいいんじゃない?

 あ、その前にバーボフカは焼いてね」

「強か過ぎる……」

「どうも。

 それにあんた、色んなところで働いてた経験があるんでしょ? ならこんなところで燻ってないで、さっさと次に行きなよ」

「次、ねぇ……」


 ゴチン、と額を一度机にぶつけた。


 私は今までどんな仕事もこなしてきた。

 体を売ったことは無いけど、大概の職種は経験済みだ。その私ですら、こんな依頼は初めてだった。


 だから、なのかな。


「私さ、この依頼を受けたときちょっともったいないなって思ったんだよね」

「はあ?」

「凄い声出すじゃん。

 だってさ、引き籠もってるって事は外に出てないんでしょ?

 仲間と力を合わせて何かを成し遂げる快感も、仕事終わりの冷たい水が美味しいことも、早起きして吸い込む空気の美味しさも、帰り道に見上げる夕日の感動を知らないなんてもったいないよ。

 あ、もしかしたら経験済みかな」

「…………」


 見ると青年のお皿は空っぽになっていた。

 机を彩っていた林檎を差し出すと、言葉を発さず青年に渡る。


「エリエル様が何で引き籠もってるかは知らないし、確かにこの世の中は辛いことだらけだと思う。

 私なんかの言葉は届かないかもしれないけど、あなたの知らない綺麗なものだってあることを教えにきた、つもりだったんだけど……」

「声ちっちゃ」

「ファブラード侯爵の事聞いて、ここに来た心構えを堂々と言えるほど人間出来てないんだよ」

「でもこのままじゃあんたに救いは無いよ」

「なんでトドメ刺す?」


 泣きっ面に蜂からの塩とハーブを擦り込むな。


 フィニックス林檎を控えめに突く青年を睨め付けながら、グチャグチャになった頭を落ち着かせる。


 考えろ、どうしたら私達は救われる?


「……やっぱり仕事を達成するしかないよね」

「そう、程々にね。応援はしてる」

「他人事だなぁ……他人事だけどさ。仮にも君の主人でしょ」

「応援してるって言ったじゃん。


 でもどうやってエリエルに接触するの?」

「そこよ」


 そこが最難関なのだ。

 別に日中の仕事はどうだっていい、体は疲れるしメンタルだって削れるけどやれないことはない。しかし私も人間なのでそう長くは保たないだろう。


 それを考慮して、一秒でも早く接触する必要がある。


「夜中にエリエル様の部屋に忍び込むか……でも場所がわからないし、警備の人とかいるのかな」

「まずは味方を引き込むことだね」

「自分の力でなんとかする。だってこの屋敷の人達は私に心開いてくれないし」

「俺がいるじゃん」

「頼もしいんだけどねぇ……」


 まずその育て上げた部屋着をなんとかしてから申し出て頂きたい。


「君がぁ……? じゃあこの屋敷の地図書いてくれる?」

「なんなら正規の地図持ってきてあげるよ」

「マジか」


 ちょ、ちょっと……これ流れが私に来たんじゃない……⁉

 もし地図が手に入るんなら今後動きやすくなるし、昼間の仕事効率だって格段に変わる。エリエル様の部屋だってわかるし……!


 この人、味方に付けた方が良いのかも。


「じゃあ……‼」

「その代わり、交換条件」


 この人のこと全然知らないけど、末っ子気質の割にしっかりしてるよね。

 出かけた言葉が引っ込んだ。


「な、なに?」

「……昼ご飯も作って」

「それは無理」


 ほとんど条件反射だった。


「だってここら辺は昼間と違って人が多いみたいだし、待ち合わせ場所の中庭だって……あ‼」

「どうしたの?」


 すんごく大切なこと‼ 忘れてた‼

 目をヒン剥くと林檎を突いていた青年の手首を掴む。ほっそ。


「待ち合わせ場所、変更しよう!」

「なんで」

「なんでって、君ここに住んでるのに知らないの⁉

 ここ出るらしいじゃん、事故物件とかになったら自分の給料で責任取らなきゃいけないんだよ⁉ 私に至っては給料が出るかどうかも怪しいのに、態々危険を犯すなんて……‼」

「ああ、それはあんたみたいな……特にファブラード侯爵伝手でやって来た人間を遠ざけるための嘘だよ」

「でも何かはあるんでしょ⁉」

「うん。


 この時間帯はあの中庭にエリエルは来るからだよ」


 青年の手首を離すと、立ち上がった。


「何処行くの」

「離して!」


 なんで今度は私が捕まれているんだ。

 速攻で厨房から走り出してやろうと思ったのに、青年に邪魔された。

 見かけによらず力あるな⁉


「また交換条件を話してる途中でしょ」

「こうしてる間に‼ エリエル様がどっか行っちゃうかもしんないでしょ‼

 行かせて! 行って……とりあえず土下座してくる‼」

「絶対やめて、ドン引きだよ。

 それにエリエルは何処にも行かないから」

「何を根拠に!」

「だってまだ林檎食べてないし」

「林檎はっ……‼




 は?」

「ねえ、この林檎は何処から食べるのが正解なの?」


 青年がフェニックスの羽根をへし折った。あーあ、そこが一番技術が必要なのになぁ……。

 今にも羽ばたきそうだったフェニックスが大惨事だ。


「なに狸がカンチョー喰らったみたいな顔してるの」

「それどんな顔?

 じゃなくてさ、君が林檎を食べ終えるのとエリエル様が何処にも行かないのは……」


 ジワッと全身から汗が滲む。


 規則が厳しい貴族の家。

 ルールを守るのは使用人として当然のことだろう。そのルールの筆頭に来るのは身だしなみだ。ポプリさんやロバート執事長、厨房のそばかす青年も皆清潔感のある格好をしていた。


 唯一そのルールを破ることができるとしたら――。


 フェニックスの羽根を咥えた青年の口元が、三日月型に歪んだ。


「そういえば自己紹介がまだだった。


 俺はエリエル。

 エリエル・エバンスドール」




 さっき食べたものが逆流しそうだ。

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