15
「(事故物件になったら責任……損害賠償……⁉)」
そんな危険を冒してまで、私は一体何をやっているんだ。
悲鳴を上げている腰をさすりながら、中庭の手前までやって来た。
ポプリさんからもらったお仕事。それはそれはキツかった。庭の剪定って何、庭師は何処に行った? 私が土いじりのバイト経験が無かったら詰んでいたぞ。
正直に言って今すぐにでも寝たい。昨日の寝不足が尾を引いているようだ。
「さっさと帰れば良いのに……」
〝久しぶりにこんなに暖かくて、美味しいの食べたから……ダメ?〟
昨日のあざといセリフがリフレインする。
姉としての直感が働く。あの青年、おそらく末っ子だ。
なんで損害賠償の危険を背負ってまでここにいるのか。
名も知らないボサボサ頭の男との約束が、私を縛りつけいるからだ。
っていうか名前、知らないんだけど。
「しまった、それだけでも聞けば良かったんだ……」
そうすればどこの所属かポプリさんに聞いて待ち合わせ場所を変更してもらえば……いや、教えてくれるかどうか怪しいわ。
一瞬ブッチしてやろうかとも想ったけど、やはり昨日の約束が重たい。
「はあ……早く来てよ……」
柱に寄りかかると、目を閉じた。今座ると確実に寝落ちする。
大丈夫、中庭には足を踏み入れていない。明日の朝、厨房に行ったらなんとか頼み込んで塩をひとつまみ貰うんだ。
サァ……と優しい夜の風が中庭を駆け抜けて、気持ちいい。
今日も疲れたな、昨日の手紙はちゃんと家族に届いたかな。
ベッドは絶対使うから昨日のうちに片付けたいけど、箪笥とかまだ全然手を付けられていない、今日少しでも進めたいけど出来るかな。
あと明日は隙を見て屋敷の間取りを把握したいな、探検したいけどそんな時間ないし、何処かに地図でもあればいいのに。
考え事をするのにピッタリな優しい空気が流れる中庭は、ポプリさんの〝出る〟という発言が似つかわしい。
「ねえ」
「(出た……)」
「こんなところで立って寝るなんて器用だね」
「寝てないよ……」
ある意味出たわ。
今日もまたダボダボのシャツに毛玉だらけのズボン。
昨日とは違うから、ちゃんと毎日取り替えているか。そこはえらいけど、一体何年かかってその服を育ててきたのだろう。
「昨日から思ってたんだけどさ、その服いいの? 見られたらやばいんじゃない?」
「見られなかったらセーフだよ」
「そういう問題? ここで働いているならそこそこの給金貰えてるでしょ、新しいの買いなよ」
「何言ってるの、部屋着はテロテロになってからが本番でしょ」
「悔しいけど同意」
「同意するんだ」
因みにヴァンクス家では布の向こう側が透けて見えるまで着るのが鉄則である。
青年は私の腕を掴むと、昨日と同じ方向へ引っ張る。
「早く行こう。お腹空いた」
だから私を待たなくていいって言ったのに……いや、黙っておこう。私の晩ご飯がかかっている。
それに、これはチャンスだ。
「今日のメニューはなに?」
「まだ決めてない。何がいい?」
「なんでもいい」
「それが一番困るテンプレの答えってわかって回答してるよね?」
本当、いい性格してやがる。
会話を続けながら、薄暗い道のりを歩いていく。
昨日はプチパニックになって何も考えられなかったけど、今日は多少周りを見る余裕がある。
右行って左行って、あ、また左ね。
「……道、覚えてるの?」
「んえっ」
ば、バレた。
こいつ、やるな……?
「ちょっと可笑しいと思ってたんだけど、この屋敷に入った時教えて貰わなかったの?」
「私、入った瞬間から嫌われてるから」
「入った瞬間から……」
その中身については昨日嫌というほど語ってあるので、流石に覚えているだろう。
青年の歩くスピードが、少しだけ緩んだ。
「……人当たり悪くなさそうだし器用に動いてるなって思ったから、なんであんたみたいなのが嫌われてるか不思議だったんだけどさ」
「私もだわ」
「もしかして、ファブラード侯爵からの紹介だったりする?」
思わず捕まれた腕が跳ねた。
別にそこは内緒にしてないけど、なんでわかった⁉
「もしかして探偵……ミステリー小説家、いや密偵……⁉」
「どれも違う。
でもその反応は〝そうです〟ってことなんだね」
「次の仕事では密偵をやりたいからさ、頑張ってポーカーフェイスと問答を軽く交わせる大人の余裕を会得しようと思う」
「うん、頑張って」
「で、なんでファブラード侯爵からってわかったの?」
「……先に入って」
いつの間にか昨日の厨房に着いていた。
……あ、途中から道覚えてないや。
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