08



 結論から言おう。


 私はめちゃくちゃ頑張った。


「お、終わった……」


 あの後、ポプリさんから教えて貰った小麦粉小屋に掃除用具を持って行くと、日の当たらない小屋が堂々と私を迎え入れてくれた。

 商品を他する小屋なので直射日光に当たらないよう日陰になるところに建てられたその小屋は、何処か不気味だった。


 流石にこんな大きな小屋を一人で掃除するはずないだろう。

 もう少し待てば一緒に仕事をする仲間がやってくるに違いない。

 そうだ、もし可能なら仲良くなれないだろうか? 友達を作りに来ているわけじゃないけれど、せめて少しでも心が緩まる瞬間が欲しい。


 しかし私は新人、来たとしても相手は先輩だ。後輩が先に仕事を始めている姿を見せた方が、相手も感心して少しくらい言葉を交わしてくれるだろう。


 ほんの少し不純な動機を織り交ぜた私は、気合いを入れてモップを手に取った。






「……結局誰も来なかった……」


 過去に清掃のバイトを何件も請け負ったことがあるので、掃除自体は得意だ。

 確約されたクオリティとスピードが私の売りである。


 ってそうじゃなくて。


「(入ったばかりの新人に現場を任せるか……⁉)」


 そう、問題はそこなのだ。


 どんな職場でも流石の初日は先輩が側につき、あれこれとノウハウを教えて貰うというのがセオリー。

 古風な〝背中を見て覚えろ〟がスタイルだったとしても、せめて背中を見せてくれ。

 私の実家より広く高い小屋を掃除するのは随分と骨が折れた。私でなかったら心折れて逃げ出すだろう。


 汚れきったモップをバケツに浸していると、足音が聞こえた。

 今更援軍が来たっていうのか?


「あれー……綺麗になってるー」

「ぽ、ポプリさん」


 木陰から顔を出したのは、正真正銘この仕事を指示した先輩のポプリさんだった。


「ふーん……。ロバート執事長から様子を見て来いって言われたけどー……特に報告することは何もなさそうかなー」

「何もない……⁉」


 は⁉ こんなに綺麗にしたのに⁉


 唖然としている私をよそに、ポプリさんは小屋の中をサッと確認すると手をヒラヒラさせながら歩いてきた道を振り返った。


「ふーんー。じゃ、さっきも言ったけど昼からまだまだ仕事あるからねー」


 いや、それだけ……?

 「凄い! こんなに綺麗にするなんて!」とか「一人に任してごめんね」とか、もっと言いようがあるんじゃ……。

 冷たい先輩の態度と言葉に、思わず顔が俯きかけた。


「(いかん! こんなことでめげてどうする‼)」


 昼からも沢山やることがあるんだ、切り替えていこう!


 モップを洗浄する手を再び動かし始めた。




 ******




「これがあんたの食事だ」

「あ、ありがとうございます」


 掃除道具を元にあった場所に戻し、厨房にいくと鼻の頭にそばかすが散らばった青年がぶっきらぼうにお盆を突き出した。

 上に乗っているのはパンとチーズ、それにコップに入った一杯の水。


「いただきまーす」

「さあ、休憩だ」

「わ、今日の賄いも美味しそうね」


 厨房の隣にある食堂は既に席が埋まっており、良い匂いがこちらに漂ってくる。

 先輩方のお盆の上に乗っているのは、湯気が立ち上る具沢山のスープと柔らかそうな白く大きなパン。メインは魚の香草焼きだろうか。なるほど、この匂いの元は香草か。


「早く持って行けよ」

「はい……」


 なんか……なんかさぁ……。


 受け取ったお盆の上をしげしげと眺める。

 転がっているパンは小さく、お盆に当たると〝カンッ〟と甲高い音が聞こえた。


 あからさまな待遇の優劣を見せつけられたところで、先輩方の中に座る勇気は持ち合わせていない。


 私はお盆を持ったまま、ソッと厨房から退室した。





「うわー……リックってばキッツー!」

「しかたがないだろ‼」


 クローリアが出て行った後その直後。閉じた扉を使用人一同は穴が開くほど見つめていた。


「なんだよ、ポプリだってロバート執事長からいつも通り追い出せって言われたんだろ!」

「言われたけどさぁー。あの子小麦粉小屋の掃除、本当にやっちゃったんだよねー」

「え」


 ポプリの間延びした声と、厨房の見習いであるエリクの固い声が食堂に響く。


「あんなでかい小屋の掃除を一人でやったのか……?」

「綺麗になってたよー。塵一つなかったもん、掃除なんてズル出来ないし誰も手伝わないだろうしー。

 単純にこっちが助かっちゃったよー」

「ヤメロ! 俺の良心が痛むだろ‼」


 ざわつく厨房の真ん中で、ポプリは白いパンを小さく千切った。


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