07



 拝啓、デイヴィス。お姉ちゃんは貴方の尻を守りました。





 「(……なんて言って場合じゃないんだよ‼)」


 私のおバカ‼

 バイト歴何年だ⁉ なんで今更こんな単純ミスを犯す⁉


 案内された部屋の中で、一人頭を掻き毟った。叫ばなかっただけ偉いよ。


 この屋敷、なんとエバンスドール家のご子息、エリエル様が住まう別宅だそうだ。びっくら仰天、どんな家だ。


 だというのに。


「なにこの部屋……埃だらけじゃん……」


 外面だけか? と問いたくなる。

 それとも、もともと物置小屋か何かだったのだろうか。

 一応ベッドは置かれているが、足が折れかかっている。本棚だって仕切りが割れているし、机にも亀裂が入って椅子は背もたれに変な染みがある。

 ここ、人が寝泊まりするところじゃなくて壊れた家具置き場じゃないの? 普通雇ったばかりの人間にこんな部屋を宛がうか? 出るとこ出たら……ダメだ、多分負ける。流石大企業。


「だ、だめだ、思考がマイナス方面へ向かってる……。とりあえず着替えだけでもタンスにしまわないと……」


 戻れることなら、ワクワクしながら着替えを詰め込んでいた昨晩の自分を止めに行きたい。


 備え付けのタンスを開けると、かび臭さと耳をつんざくような軋む音。あ、ダメだ、服を入れたら絶対かび臭くなる。




 ――カンカンカン……




「あ、始業の時間!」


 ここに来る前に簡単な説明や人物の紹介を受け、お仕着せを受け取った。


 もうすぐ始業の鐘が鳴るので、それを合図に広間に出て執事長の言う通りに働け。そして通常業務をこなしつつ、エリエル様と接触しろ。


 それから私が受けた命はもう一つあった。


「誰にもバレずにエリエル様と接触するのって、相当難易度高いと思うんだけどな……」


 何故かファブラード侯爵は、内密にことを進めるよう希望してきたのだ。

 使用人としての業務をこなしつつ、裏で動けと? ちょっと密偵みたい。そうだ、次の仕事は密偵にしようかな。


 埃の舞う部屋の扉を閉めると、奥に続く道を歩き始めた。


「(人質と違約金がなければあの部屋にだって耐えられるのにな)」


 しかも毎日ファブラード侯爵の遣いが来るから、その人に報告書を出せって。仕事だからしかたないけどさ、日報は書きますよ。




 人が大勢いる広場に行くと、ほとんどの人が集合しているようだった。

 集団の前の方には白髪をピシッと後ろに撫で付け、モノクルを掛けた男性。胸元に光るピンバッチは、執事長のみが付けることを許されている唯一無二の証だ。


 人並みをかき分けながら前に行くと、恐る恐るその人に声をかけた。


「おはようございます。ロバート・ウィクソン執事長でいらっしゃいますか?」

「おはようございます。その通りですが……」


 お前誰だよ、みたいな顔はやめてください。


「本日よりこのお屋敷で働くことになりました、クローリア・ヴァンクスです。

 ファブラード侯爵よりまずは執事長から仕事の指示を受けるようにと」




 シン…………




 朝の挨拶前で少し賑やかだった広間が静まった。


 私なんか変なこと言った⁉


「はあ……。またですか……」

「え? えっと……また、というのは……」

「まあいいでしょう。


 ポプリ」

「はーい」


 執事長の無機質な声に返ってきたのは、なんとも可愛らしい声。

 時間差で出てきたのは、春に咲く薄紅色の花を連想させるような髪を三つ編みにした、私を同じ歳くらいの女性だった。


「いつものようにお願いします」

「承知しましたー」


 何処か間延びした喋り方が毒気を抜かれる。



 それから朝礼はあっという間だった。


 簡単な業務連絡を済ますと、特に新人の紹介は無く解散となった。

 ……普通新人が入ったら挨拶なりなんなりさせるのでは? この風習は庶民だけなんですか?

 ゾロゾロと解散する先輩方の視線が突き刺さる。


 なんというか……冷たい視線? 棘が含まれている? 言葉に表しにくい感情が含まれている気がする。


「ちょっとあんたー、こっちに来てー」

「! はい!」


 ポプリと呼ばれた女性の声に条件反射で背筋が伸びた。

 飼い主に呼ばれた犬の如く駆け付けると、ポプリさんは顎で屋敷を示した。


「掃除用具はあの部屋ねー」

「はい!」

「この屋敷はここが本邸、周りに小屋と塔が沢山建ってるのー。とりあえず今日は小麦粉小屋を掃除してー、昼から厨房で野菜の皮むきー、夕方は針仕事ねー」

「はい‼」

「ご飯は鐘が鳴ったら適当に食堂においでー。何かは貰えるんじゃないー?」


 じゃ、私の仕事があるからー。


 そう言って他の人に交ざるポプリさんの背中を唖然として見つめた。


 ……あ、なるほど、この職場は自分で考えて動くスタイルってことね。

 マニュアルなんかないから先輩の背中を見て成長しろっていう古風スタイルね。


「早く持ち場につきなさい」


 よし! と気合いを入れていると、後ろから背中を刺すのは執事長の声だ。


「働かざる者食うべからずです。ノルマを熟せなかったら食事はないものと思ってください」

「……はい」




 私、負けない、絶対。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る