06


「エバ、え? 今なんと?」

「エバンスドール家さ。君もよく知っているだろう」

「知ってるも何も、領主様の一族ですか⁉」


 私だってこの土地に住まう住人の一人だ、領主様の名前は知っていて当然である。


 エバンスドールといえば、何百年前からこの土地を納めてきた由所ある公爵家だ。過去に何処かの姫が降嫁してきたこともあり、実質王族の血も入っていて私からして見れば架空動物にも近しい天上人だ。


 年に数回ある街の催し物で領主様が街にやって来たことがあり、私はその時屋台で絶賛バイト中だったが遠目で拝見したことがある。

 随分とお年を召されており、噂では何人か居るご子息の誰かに家督を譲りたいと考えているとかなんとか。


 そしてエバンスドール家には一つの噂がある。


「あのう……もしかして私に外へ連れ出して欲しいお相手って……」

「エバンスドールの末息子、エリエル様だよ」


 崩れ落ちた。


「クローリアさん⁉ 膝からいったけど大丈夫⁉」


 大丈夫なもんか。




 エリエル・エバンスドールはこの土地に名を轟かせるほどの出不精である。

 それもここ何年も外に出ていないという筋金入りだ。


 噂では異国のスパイスをたっぷり使った料理を部屋の前に置いても、暑い地方に生息する鼻が長く耳が大きな動物を十頭連れてこようとも、部屋の前でパレードを行われようとも、耳が蕩ける甘美な歌声を持つ歌手を連れてこようとも、百匹の犬と猫でもふもふ天国を作っても、執事長に泣かれようが黒板を爪で引っ掻こうが百人の美女が押しかけようが出てこないらしい。

 ……ちょっとご子息に同情するかも。


 とにかく、そこまで根性の入った引き籠もりを相手にするなんて無理だ。

 公爵家がお金と人脈をフルで活用しても出てこなかった引き籠もりを、何も持ち得ない私がどうやって引きずり出せって言うんだ。


 横に置いてあった荷物を手に取った。


 経験上、バイトという立場でもある程度の責任がある。

 委託業務で果物を売る仕事をしたことがあるのだが、その日に売り切らなければ余った分は私の買い取りとなる。

 責任を伴う歩合制だったので報酬は高いが、失敗すると痛い目を見るのは自分なのだ。


 この条件にこの難易度。なるほど納得の難易度マックスだ。


「ファブラード侯爵、大変申し訳ございませんがこの件はなかったことに「それじゃあこれからよろしく頼むよ。給料は固定給と歩合給、その日の進捗によって変わるから頑張って! 早速クローリアさんの部屋をすぐに用意しよう!」へぇッ⁉」


 今私喋っていたよね⁉

 わざと被せてきた⁉


 わざわざ席を立って私の両手を取ると、結構な強さで握ってきた。い、痛い……。


「すいません、私やっぱり……」

「まさかとは思うけど、断るなんて言わないよね?」


 急に低くなった声に、思わず肩を震わせた。

 さっきまで温厚で優しそうや空気を纏っていたファブラード侯爵の目が一変していたのだ。

 淀んだような目に光はなく、決して私の手を離そうとしない。心なしか部屋の温度も下がったような気がする。


「経験豊富なクローリアさんのことだ、募集要項もちゃんと読んだよね?」

「えっと……」


 紹介所のおじさんからひったくったように貰った募集要項を頭の中に思い浮かべる。

 た、たしかにザックリしか読んでなかったけど……‼


「ほら、ここ。まさか見落としていたなんてないよね?」


 ファブラード侯爵に戸に握られていたのは、礼の募集要項だった。

 とりあえずいったん手を離して貰い、細かな字を目で追っていく。最後の最後まで、紙の端まで視線を滑らせると、とんでもない事が書いてあった。


「採用された場合、辞退することは出来ない。また成果が出ないと判断した場合、給与の全てを返却、また居住費、食費等請求する……⁉」

「そうだよ、ちゃんと書いてあるじゃないか」


 ある程度のリスクは想像したけど、いやいや、こんな大切なことを蟻の頭くらいちっちゃな字で書かれてるとは思わないじゃん‼ 他の人ここまで読んだの⁉ すげェよ‼

 紹介所のおじさんがあまり焦らない方が良いといっていた意味がようやくわかった。

 きっと各紹介所にもこの重要事項は伝わっていたのだろう、もし誰かに紹介するのであれば口頭でこの条件を教えていたに違いない。


 私に伝わらなかったのは、職を欲する気迫におじさんが説明を忘れたか、あるいはプロノアルバイター、クローリア・ヴァンクスであればこの高難易度バイトも熟せるだろうという信頼か。

 あまりにの衝撃に現実逃避が混じっているのは認めよう。


「……非常に残念だが、クローリアさんがどうしても出来ないというのであれば仕方が無い。このことは無かったことにしよう」

「本当ですか⁉」


 よっしゃ! こんなの受けたら大赤字だ、時は金なりっつってね!


 今度こそ、と鞄を肩にかけると扉へ振り返った。が、何故か扉の前には腰に剣を射した警備員だか護衛だか知らないけど、男の人が二人立っていた。


「何処に行くんだい?」

「え? あの、家に帰ろうかと……」

「ダメだよ、違約金を払って貰ってからじゃないと帰せないよ」


 な ん だ と。


「違約金ってなんですか⁉ そんなこと書いてありましたか⁉」

「書いてあるよ、ほら」

「本当だ‼」


 むちゃくちゃな条件の下に、これまたちっちゃく書いてあった。

 これからはちゃんと注意事項を全部読もう。もし払える範囲であれば今回は勉強だったと思って……。


「は……? なんですかこの金額……?」

「なにって、違約金の金額だよ」

「いやいや……はあ……?」


 多分、相当間抜けな顔していると思う。でも仕方ないよね。これまたちっちゃく書いてある金額が私の実家を五軒ほど買えるような金額だったんだから。


「さ、早く払ってくれるかい」

「えっと、そのぉ……」


 どう考えても無理だ。というか、一生働いても返せない。


「なら君のご実家に連絡しようか。

 ヴァンクス家は、確か爵位は男爵だったか。小さな土地があっただろう、そこと家を抑えて……ご両親はまだ働ける年齢だったね。ならば我が家の所有している鉄鉱山と運行している漁業船に乗って貰おう。弟さんは……非常に可愛らしい顔をしていた」


 ゾッと鳥肌が立った。この男、最初から私を解放する気がなかったのだ。


 昨日の今日という短時間であっという間に身辺調査が行われて、退路が断たれた。


 家族を、人質に取られたのだ。


「私の知り合いで最近変わった趣向の店が出来てね。公に出来ない嗜好を凝らす裕福な貴族達が、美男を求めて「この仕事、是非私に請け負わせてください‼」……よかった、君ならそう言ってくれると思っていたよ」


 これ以上聞きたくなかった。そんないかがわしい店で大切な弟を働かせるわけにいかない。


 半ば叫ぶようにこのとんでもない仕事を引き受けた私に、ファブラード侯爵は数分前のような穏やかな笑みでゆっくり頷いた。

 

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