02



 私は生まれた時から家が貧乏だった。


 わが家は一応名目上男爵家である。〝一応〟。

 本当に! 〝一応〟!

 こんな土埃まみれになった女が爵位を語るのもおかしな話なのは十分わかっている。

 昔から爵位のことを聞かされても人より貧乏な生活を強いられてきたから、全く実感がない。


 物心ついた時には、既に生まれたばかりの弟を背負って子守りを手伝っていた。

 畑から帰ってくる父と母はいつも泥だらけで、それでもお腹を空かせた私達を食べさせるために疲れた体へ鞭を打って台所に立っていてくれた。


「(しかしなぁ……)」


 赤みがかった空を見上げると、焦げ茶の前髪が風に吹かれた。


 世間一般的に言うと、令嬢って働くにしてももっとお淑やかに働くものじゃない?

 こんな袖捲りあげて泥だらけで髪の毛も適当に縛り上げた女、どの角度から見ても令嬢には見えない。


 理由は至ってシンプル。

 お淑やかで優雅に働けるような伝手がないからである。


「(あ、ついでに職業紹介所覗いて行こっかな)」


 別に私自身の帰りは何時だって良いのだ。仕事によってはもっと夜遅くなるときだってある。今頃家に居るのは、今朝聞いた予定が狂っていなければ私と同じく仕事を終えた弟くらいだろう。

 夕食は弟が用意してくれるから、少しくらい遅くなって平気だ。


 靴についた泥を落とすと、職業紹介所の扉を開いた。


「こんにちはー! 今日はなにかいいバイト、募集していますかー?」

「お、クローリアちゃんか」


 ここの紹介状は通いすぎていて、受付のおじさんとはスッカリ顔なじみである。

 そのおかげで割のいい仕事を優先的に回してもらえたりするのだから、やっぱり伝手って大切なんだと思う。

 その伝手で汚れなくて割のいい仕事紹介してもらいないかな……そもそもこんな下町の紹介状に依頼なんて降りてこないか。


 爵位のある屋敷の給仕係になりたいのならそれなりの立場の人から紹介してもらうか、何かしらの名誉を授かってスカウトを受けるしかない。


「今日は何件か新しい依頼が来たよ! でも今の用水路建設はどうなったんだ?」

「あー……本日限りでクビになりました……」

「そうか……」


 いたたまれない空気が受付に流れる。

 何を隠そう、私に今の仕事を紹介してくれたのがこのおじさんなのだ。


「ま、まあ大丈夫だよ! あの辛い用水路作業を経験したクローリアちゃんなら、どこだってやっていけるさ!」

「あはは……そうですかね……」


 うん、そうだよね、そうだと信じたい。

 随分と焼けた頬を掻きながら、ワタワタと私を慰めてくれるおじさんの前に座った。


「今回はね! なんと! 前からクローリアちゃんが言っていた希望を満たしてる条件の仕事があったんだ!」

「本当ですか⁉」

「お、落ち着いて!」


 思わず机に身を乗り出した。

 これが落ち着いていられるか!


「あったんですか⁉


 貴族の屋敷に住み込みで制服支給、まかない付きにシフトの柔軟性と時間の融通が利いて他の掛け持ちバイトも許されてて、時給が高くて日払いの⁉」

「そう! まさしくそれだよ!」


 天井を仰いだ。


 ついさっきまでこの世の不平等に嘆いていたのが嘘みたいだ。


 基本無信仰だけど、今だけは叫ぼう。ありがとう、神様。


「でね、条件なんだけど……」

「はい! なんなりと!」


 こっちとらバイト歴長いんでね、そんじゃそこらのアルバイターとは違うのよ!

 掃除だって皿洗いだって動物のお世話だって裁縫接客交通整理土木作業なんでもござれ! 貴族の家に土木作業があるのかは知らんけど。


「元気が出てよかったよ!

 それで仕事内容なんだけどね「大丈夫です!」 えっ」


 詳しく内容を離そうとするおじさんを手で制した。


 私は知っているのだ。


 こういった職業紹介所で紹介されている仕事は、他の紹介状でも共有されているのだ。

 つまり、今こうしている間にも私以外の誰かがこの案件を虎視眈々と狙っているということ。こんなおいしい案件、飛びつかない人間が世の中にいるか? 否!


「私、家に帰って履歴書書いてきます!」

「で、でも内容だけ確認しておいた方がいいんじゃないかな」

「そんな悠長な事言ってられませんよ! 面接会場は? 住所を教えてください、あっ、交通費用って出るんですかね⁉」

「(ちゃっかりしてるなぁ……)これが募集要項だよ、でもそんなに焦らなくても大丈夫だと思うけどな」

「あーっ……! 早く帰って家族に報告しないと……! まあまだ採用も何もされてないんですけどね!」


 ガハハ! と大きく笑うと、おじさんからもらった募集要項を鞄にしまった。

 よし、今日は肉だ! たまには贅沢してもバチは当たらない!


 クビになった悲しみなんてスッカリ吹き飛んだ私は、スキップしながら職業紹介所の扉から帰路に着いたのであった。





「大丈夫かなぁ……。


 あの家の噂、クローリアちゃんなら知ってると思うんだけどな」


 そんな私の後ろ姿を眺めているおじさんの後頭部に夕日が反射した。

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