第8話 地の声
「ここぞという時の出目は大事だ。それは天の声でもある。おのが軍を良きものとし、地勢を調べ、敵を知り尽くす。そうして最後に天の声という。出目も同じ」
若者を教導する大人のように語りかけながら楚王がサイコロを転がす。碗の中でチリンチリンと鳴りながら、止まった。その数を荀罃が確認したあと、再び楚王がサイコロを碗に転がした。
「出目二つに駒二つを動かす。が、梟は出目二つを合わせ、動くことができる」
「つまり、一つの駒しか動かせません」
荀罃が絞り出すように静かな声で即座に返す。楚王は頷きながら、荀罃の魚を狩った。『方』に近い駒だった。
これで、荀罃の駒は四つである。さらなる劣勢であった。楚王は二度、梟を動かした。荀罃が取られた二つの駒の場所には二度と行けない。移動範囲が狭まっていくところに、荀罃の勝機がある。荀罃は己の場を確認した。全ての駒が
サイコロを振り、出目に合わせて動かす。はっきり言えば、良い出目であった。荀罃は前回動かした駒を進め、最も危険なもう一つを『角』と呼ばれる場所へ進めた。『方』が駒を変化させる特殊なマスであれば、『角』は駒の場を変えるマスである。『角』から離れた『角』へ駒を動かす。本来、反時計回りに動く駒が、大きく『後退』した。ボードゲームで言えばジャンプマス、もしくはワープマスといったところか。
「ほう。その駒をそう動かすか。しかし、その後は出目次第だぞ」
「しかし、最も『方』へ近くなりました。梟が
感心した楚王の声に、荀罃が挑むように返した。
「思ったより腹が座っている」
楚王が素直に褒めると、サイコロを振った。一度目は数字、二度目は『白』であった。
「まず、動かそう」
楚王は迂回路で一旦『方』へ戻り、方向を変えて一つ駒を進める。マスの自由が無いため、こうでもしないと荀罃の駒を狩りにいけないのだ。
「それでは、御酒をいただきます」
荀罃はそそがれた杯を両手で持つと、一気に飲んだ。辛く、少し強い。胃に落ちるころには熱さがあった。ふっと息を吐くと酒気の香りが漂う。思わず目の上を揉み、もう一度息を吐いた。
「なんだ酔ったか」
「いささか」
楚王のからかうような声に、荀罃はく応える。
「晋人は酒が弱い」
脇息にもたれかかり、頬杖をつきながら楚王が笑う。そう言う彼も目元が少々赤く、それなりに酒を飲んでいた。
「我が国は周に御酒を教わりました。酒作りにも作法がありますれば」
荀罃は拝礼しながら言った。楚の酒は下品で下等だから悪酔いする、ということであり、慇懃無礼そのものであった。今まで黙って見ていた臣どもがどよめき、
なんという無礼か!
殺せ!
今からでも贄に!
と騒ぎだす。
「王よ! その非礼な
誰かが鋭く言った。周囲からの圧迫が荀罃を襲うが、だからどうした、という開き直りがあった。家臣の怒号全てより楚王の軽口のほうが潰れそうなほど圧が強い。
その楚王が脇息に拳を叩きつけて叫び返す。
「俺は! この遊戯で
一気に場が冷え、静かになる。否、楚王だけは、早く出てこい、と怒鳴っていた。寛容な王であるが、
「王よ。今の声は民、すなわち地の声です。楚を侮辱され怒らぬ民がおられましょうや。しかし、王と晋人は天の声を待つ身です。民の声より天の声こそ、重きもの。高きから低きへ全ては流れます。王が天の声を知り、民に教えれば、民も安んじるというものです」
若い
「さて、お前の手番だ」
と屈託無い笑みを見せた。荀罃は、その笑みに獣の牙を感じながら、サイコロを振った。
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