第6話 開戦

 この盤上遊戯の決着は以下のどちらかである。

 

 ・相手の駒を全て奪う。

 ・ひとつの駒を『ふくろう』とし、場にある自軍の駒が五個とする。

 

 当時、鳥は川を下れば魚に、魚は空へ向かえば鳥になると思われていた。この遊戯はその価値観を投影している。

 基本的に手持ちはで、反時計回りにしかマスを進めない。が、中央にある『方』のマスに入ればとなり、反時計回りでなくとも動く事ができ、他の魚駒を狩れる。

 となれば、全ての駒が梟になれば良い、となるが、この遊戯において、梟駒は場に各人。また、梟駒は一度通ったマスを使えない。最終的に梟は飛べなくなる。そうなると、相手の梟駒に狩られ消す方が良い。そうして、新たな梟駒ができることに賭け、サイコロの出目に頼む。この攻撃的な梟は使い捨てを考えて動かすわけである。

 互いのサイコロの目にしたがい、荀罃じゅんおうが先手となった。先攻後攻について、この遊戯はさほど問題ではない。サイコロを二回振り、駒を二つ、進める。双六と同じで進む場所は一方向であり、マスも――現代人から見ると複雑ながら――決まっていた。

「軽易解。物事は簡単に解決できる、か。良い卦だな」

 荀罃の駒のひとつを指して、楚王そおうが笑った。占いとして使った場合の場所であった。占いであればここで終わりであるが、遊戯である。

 元々、焦っていたところに、しょうもない軽口を投げかけられる。不快と怒りをかきたてるに十分だった。荀罃は怒鳴りつけたいのを必死に耐え、頬を痙攣させながら睨み付けた。楚王が、堅い堅い、と笑う。たしかに、荀罃は年のわりに堅苦しいところがある。

 逆に楚王は立場のわりに柔らかい。その柔らかさの奥に鋭さがあるのを、荀罃はびりびりと感じていた。対面しているだけで底知れぬ怖ろしさがある。王の貫禄というものか。

 楚王もサイコロを振り、駒を進める。互いの出目はかぶらなかった。荀罃は内心落胆した。楚王があとから荀罃と同じマスに止まれば、その駒を荀罃が奪える。魚同士でも駒の奪い合いができるのである。軽易解という卦になんの意味があったのか、と不快となり、荀罃は軽く首を振った。たかが遊戯で出た卦に縋っていたと気づき、恥ずかしかった。

 互いにサイコロを振りながら駒を進める。出目によって場の駒を動かす場合もあれば、新たな駒を出すこともある。

 チリンチロリン。

 カツ、カッカッ。

 碗で象牙のサイコロが転がり、木の盤の上で駒が進む。楚王が荀罃の手に頷き、時にはそこを動かすか、と笑うが、荀罃はそれどころではない。さいの目に左右される駒の動きは理屈ではなくままならぬ。勝ち筋を狙おうにも、出目は思い通りにならない。楚王の出目ひとつひとつに息を飲み、己の結果で一喜一憂する。合間に酒も飲まされる。しんの酒より若干強く辛く、胃が重くなっていく。

 自分の命が少しずつ削られている心地で、胃液がせり上がってきそうだった。その恐怖、焦り全てを押し殺し、表情を消しているのは荀罃の矜持、否、大夫としての意地である。

 サイコロを振り、楚王が笑った。

「これで、梟だ」

 駒の一つを、『方』へ進める。『方』の中にあるマスは四つ。つまり、そのマスに進めるチャンスは四回である。互いに一度目のチャンスは出目により通り過ぎていた。

 楚王が持っていた駒を縦に置く。そうなると、魚の姿が梟になる。職人の真骨頂であろう。横向きに見れば魚に、縦に見れば梟に見える駒だった。魚眼が、獲物を狙う梟の目となり、荀罃を貫くようであった。

 荀罃は、手元にある黒い駒を見て、息をつく。賽の目の助けにより、荀罃は楚王の駒をひとつ奪っていた。今、場にある楚王の魚は四つである。勝利条件のひとつは潰していた。

「良いことを教えてやる」

 楚王が歌うように口を開く。荀罃は脂汗をかきながらその顔を見る。

「俺はこの遊戯、負け知らずだ」

 サイコロの出来は良く、偏りは無い。出目に左右されるゲームであるため、忖度しようがない。勝とうとして勝ちようがないように、負けようとしても負けようがないゲームである。

 つまり、楚王は天に選ばれた豪運ということだった。

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