03.
「姉さん、準備出来ました」
「ん」
やんちゃだった頃の面影は既になく、透き通る藍色の瞳が綺麗で物腰柔らかな美少女へと成長した澄海玲が言う。肩まで伸ばした濃藍色の髪がふわりと風に舞い、私も使っているシャンプーの香りが鼻孔をくすぐる。
(変な男が寄ってこないか、お姉ちゃんは心配です)
モデルでもここまでの美人はいないと断言出来る。これは間違いなく世の男性が放っておかない。これから入学する大和学園の男子生徒の大半は澄海玲に惚れそうな予感がある。そのうえ主席入学だ、非の打ち所がない。ちなみに私は可もなく不可もなくである。
「はぁ~~~今日の姉さんも綺麗です……」
「……ありがと」
……唯一の欠点は超シスコンなところだろうか。確かに、母親譲りの美貌を受け継いでいる為、容姿に関しては多少の自信はあるけれど、澄海玲に比べれば月とスッポンである。澄海玲の審美眼はシスコンフィルターで歪みまくっているので彼女の評価は当てにならない。
「澄海玲、ちゃんと友達作らなきゃダメだよ」
「必要があれば」
私達以外すべて大人な環境で育った故か、性格面でも少々歪な成長を遂げてしまったらしい。幼稚園や小中学校で社会性を学ばなかったことも原因の一つかもしれない。私がいないと行きたくないと駄々を捏ねた澄海玲に、両親共々折れた結果がこれである。こんなことなら心を鬼にしてでも澄海玲を小中学校に通わせておくべきだった。
(私がしっかりしなきゃ)
全寮制の大和学園に入学した今、澄海玲が万が一にも暴走しないように手綱を握られるのは私だけだ。両親からも頼まれているし、澄海玲のことは注意深く見ていこう。
「履いた、行こ」
「はい!」
玄関に手を掛けていた澄海玲が扉を開け放つと、眩い朝日がおはようと挨拶をしてくれた。今日は終日快晴となっており、これ以上ないほどの入学式日和である。どんな出会いが私達を待ち受けているのか、楽しみ過ぎて夜しか眠れなかった。
「入学式が行われる講堂は……ここから三十分ほど歩いた場所のようです」
「広すぎ」
私達が入学する大和学園は、神纏士の育成を目的とする歴史ある学園だ。全国から御霊を宿した少年少女が集う為、全ての生徒が生活する為の寮も敷地内にある。他にも多種多様な目的に応じた訓練場や演習場もあるとパンフレットに記されていた。要約すると、とっても広いのである。流石、八百万の御霊が存在する国と言われるだけのことはある。
「同じクラスになれると良いね」
「恐らく問題なく姉さんと同じクラスになるのではないかと思います」
「……澄海玲?何かしたの?」
「面談の際に姉さんと同じクラスにするよう少々脅し……お願いしました」
「今脅したって言った?」
「お願いしました」
聞き間違いじゃなければ脅したと言ったように聞こえたけど、気のせいじゃないよね?お姉ちゃんそんな子に育てた覚えはないのだが。確かに澄海玲の気持ちも理解できる。私だって澄海玲と離れないで済むならそうするべきだという思いなのだ。
「澄海玲」
「はい」
「駄目でしょ?」
「……ごめんなさい」
けれど、それは社会のルールに則った上での話である。それを捻じ曲げてしまう行為は悪戯に社会の規律を乱す行為でしかない。姉として、今回の誤った行為に及んだ澄海玲を見過ごすことは出来ない。落ち込んだ様子を見せる澄海玲に罪悪感を覚えるが、心を鬼にする。
「後で謝りに行こうね、お姉ちゃんも一緒に謝りに行くから」
「はい……ありがとうございます、姉さん」
「ん、じゃあ行こっか」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
教室棟が近付くにつれ、真新しい制服に身を包んだ生徒をチラホラ見掛けるようになった。私達と同じ御霊を宿した新入生達だろうか。しかし、こうも人が多いと、私はもう喋らないほうが良さそう。中には黒神先生や澄海玲のように影響が出ない生徒もいるかもしれないけれど、今この場でそれを確認しようものなら下手すると黒神先生に殺される。最近のあの人は遠慮という言葉を忘れてしまっている。私はまだ死にたくない。
「私が対応しますので、姉さんは喋ってはいけませんよ?」
澄海玲の言葉に首肯く。それにしても彼等は何処の寮に住んでいるのだろう?一週間前から寮生活をスタートさせているけれど、私達の他にあの寮に引っ越してきた生徒を見掛けた事が無い。
(……もしかして私達だけ隔離されてる?)
私達に援助してくれた国が運営する学園だ、その可能性は高いだろう。教職の方々も、私達について仔細把握している筈。学園側としても私の扱いには心底困っているのではと思うと、少し申し訳なくなる。
「……私の姉さんに卑陋な視線を向ける者がいます」
……絶対私じゃないと思うけどね。
それとなく周囲を確認したが、殆どの生徒が澄海玲の美貌に見惚れて立ち尽くしているのが見て取れる。少なくとも、私に視線を向けている生徒は極少数しかいないだろう。肩が当たるぐらいの距離で並んで歩いてるから、私に視線を向けている可能性は無きにしも非ず、ではあるけれど。
「愚か者には制裁が必要で──っしゅん!!」
入学早々問題を起こそうとする悪い子にはチョップをお見舞いしておく。まったく、どうしてこの子は私が絡むとこうもポンコツになってしまうのか。この子の将来が心配だ。もう少し落ち着いてくれれば私も安心するのだが。
「……痛いです姉さん」
(可愛い)
少し涙目になりながら私を見上げる澄海玲が可愛い。そう思っているのは私だけではないようで、澄海玲の美貌に見惚れる視線を犇々と感じる。中には恋慕の念すら抱いてるかのように熱視線を送る女生徒の姿も窺えた。
「……姉さん恥ずかしいです」
(可愛い)
そんな衆目の前で、私は綺麗にハーフアップに結われた濃藍色の髪を撫でる。丁寧に手入れされた髪は大変触り心地が良い。毎日怠らずに丹念にお手入れした甲斐があったと自画自賛している。澄海玲も私の髪を丹念にお手入れしてくれて、お陰で枝毛のひとつも見当たらない濡れ羽色と表現するに相応しい自慢の髪となった。
(……いつかは澄海玲もお嫁さんにいっちゃうのかな)
私には勿体ないぐらいの、自慢の妹。澄海玲が紹介したい人が居ると私に言ってきたら発狂するかもしれない。否、間違いなく発狂する。反対するなんて真似はしないけれど、血涙流して発狂する。澄海玲本人が選んだ人であれば間違いはないだけに余計にそう確信している。
(……あれ?私も澄海玲のことシスコンだなんて言えないような?)
「姉さん?どうかしましたか?」
ブンブンと頭を振り浮かんだ邪な考えを振り払う。これ以上考えると声が漏れそうだ。余計な事は考えずに、間もなく始まる入学式について考えた方がよほど建設的である。
御霊を宿した子供はやむを得ない事情を除いて大和学園に入学する決まりになっている。一般的ならば受験生を篩に掛ける学力試験と面談だが、この学園では各生徒の現時点での学力を測る目的以上のものは何もない。澄海玲はその試験で全教科満点を記録した。勿論、生徒が試験の結果を知る事は出来ないので自己採点ではあるけれど、私や両親、それと施設の方にも確認して頂いたから満点で間違いない。
新入生代表挨拶は学年主席が担当する慣習となっているので澄海玲が担当する。澄海玲なら新入生や在校生を前にしても動じることなく立派な挨拶をしてくれるだろう。
「クラス分けは……あちらの掲示板に張り出されているようですね」
教室棟の入り口横に設置された巨大な掲示板に見た事も無い数の人達が群がっていた。流石は新入生だけで三百名を超えるマンモス高なだけある。あの中に割って入るのはやめておこう、ぶつかった拍子に漏れ出た声で掲示板前が地獄絵図と化してしまうだろうから。
「掲示板でも確認出来るようですが……あの方に聞いた方が早いかもしれません」
掲示板だけでは三百名を超える新入生を捌くには到底足りない。端末を片手に生徒達に対応している教職員と見られる方々は今日の為に配置されていると見た。それなりの人数があちらへ流れているが、あの程度なら掲示板で確認するより早いだろう。
「おはようございます、お名前をどうぞ」
「おはようございます。逢坂咲良と逢坂澄海玲です」
「──ッ!」
「どうかしましたか?」
「……いえ、咲良さんと澄海玲さんですね。お二人は1-Fクラスです。場所は──」
果たして今の反応は私と澄海玲、どちらに対するものだろう。片や学年主席の優等生、片や御霊の制御もままならない問題児。或いは両方か。どちらにせよ、私に対する学園の心象はあまり良くないらしい。
「行きましょう姉さん」
さて、私達の教室は目の前の教室棟の三階にあるとのこと。玄関を抜けると、豪華絢爛な螺旋階段と中央に巨大な二体の彫像がある空間に出た。屋上がある四階まで吹き抜けになっており、天井の天窓から光が降り注いでいて非常に明るい。
(あれって……八岐大蛇と
空間の中央には、現在は黒神先生に宿る天災の象徴たる八岐大蛇や、大和皇国の台地を形作ったという神話を持つ大太法師の彫像が鎮座していた。他国では二つ名の"大蛇"と"巨神"の方で覚えられているらしく、八岐大蛇や大太法師の名を出しても分からない人の方が多いんだとか。
「……凄い御霊の数ですね」
「うん……」
階段を登りつつ、澄海玲が呟いた言葉に周囲に人が居ないことを確認してから小さな声で頷き返す。壁面には今にも動き出しそうな様々な御霊の彫像が精巧に彫られていた。
どの御霊も大和を代表する御霊達である。大和皇国が欧米諸国に警戒される程の強国に至れたのも、先の大戦で勝利出来たのも彼等の尽力によるところが大きいと、特訓の合間に受けていた授業で習った。
「三階の一番奥でしたね」
「ん」
三階に辿り着くと談笑する声が聞こえてきたので再びお口をチャック。開け放たれた扉から教室をチラリと覗き見ると、友好を結ばんとする新入生達の姿が見て取れた。どの子もこれからの新生活に心を躍らせているのだろう、眩しいぐらいに笑顔が輝いている。
(……っ)
彼等の姿を見て、ふと見に覚えのない光景が脳裏に浮かぶ。夕日に照らされて黄金に輝く何処までも広がる草原。その中を子供達が駆けっこして遊んでいて──……私はその子供達を優しく見守りながら衣服を編んでいる光景だ。
(……なに、これ?)
随分と古めかしい時代のように見える。着ている衣服も歴史の教科書に載ってるような衣服に見えたし、複数の竪穴住居らしき建築物も見受けられた。縄文時代や弥生時代、もしくはもっと古い時代かもしれない。
だが、不可解な点が一つある。もし、今、思い出した光景が私の前世での記憶なのだとすれば、物心ついた時から朧気に覚えている現代知識は一体誰のものなのだろうか。
「ね、姉さん?」
「ん?なに?」
「……泣いてるのですか?」
「えっ?」
振り返った澄海玲にそう言われ、頬を伝う感触に今更気が付いた。泣いているのだと自覚した途端、自分の意思ではどうにもならないほどの涙が溢れてくる。
「こっちです姉さん!」
すぐに澄海玲に手を引かれ、女子トイレへと逃げ込む。廊下のド真ん中で泣いていた私が好奇の視線に晒されるのを防ぐために。実際、女子トイレに逃げる際に少しばかり注目を集めていたし、澄海玲の咄嗟の判断は正解だった。
「大丈夫です、誰も居ません」
「ありがと……」
「姉さん、ハンカチどうぞ」
事前に誰も居ない事を確認してから口を開く。手渡されたハンカチを目元に押し当てて、暫く深呼吸を繰り返した。
「どうして急に泣いたのですか?」
「教室の子達を見たら、見たことない光景が頭に浮かんで」
「……例の前世の記憶ですか?」
「ううん、さっき見たのは違う……と思う」
私のものではない記憶がある事は、既に澄海玲を含む周囲の人達に伝えてある。きっと信じてくれないだろうなと思っていたが、大和皇国では輪廻転生等の事例はいくつか存在するらしく、あっさりと受け入れられて拍子抜けしたものだ。
「草原で遊ぶ古めかしい恰好の子供達に、衣服を編んでる姉さん……ですか」
「あの恰好、歴史の授業で見たかも」
「あとで調べておきますね」
「うん、ありがと澄海玲」
「では教室へ行きましょう」
少しだけ身嗜みを整え、再び私達の教室を目指す。時間にして五分程女子トイレにいたが、その間に廊下には随分と生徒達が増えていた。間もなくそれぞれの教室で入学式に関しての説明が行われる時間だし、掲示板を眺めていた生徒達が皆登ってきたのだろう。私達も急いだ方が良さそうだ。
「1-F……ここですね」
私達の教室は長い廊下の突き当りにある。一番近いクラスとは二部屋分離れていて、薄々察していた憶測が一層現実味を帯びてくる。この分だと、目の前の教室は私達二人だけのクラスの可能性すらある。流石にそんな真似はしないと思うけれど……しないよね?
「失礼しま──……す」
「……澄海玲?」
一足先に教室に足を踏み入れた澄海玲が立ち竦んでいる。まさかとは思うけれど、私の予想が当たっていたりするのだろうか。少しだけワクワクしながら教室の中を覗き込むと、そこには私の想像していた光景とは少し違う光景が広がっていた。
「……」
「……」
「……」
大柄で目付きの鋭い赤い髪の男子生徒に、容姿端麗な黒髪の男子生徒。そして、派手な金髪とネイルやピアスがやたらと目立つちょっと近寄りがたい雰囲気の女子生徒が一人。入口で立ち尽くす私達に、三人共が好奇の視線を向けていた。
「……あ、あれ?」
そんな彼等と視線を交わしたその瞬間に、またもや大粒の涙が溢れ出す。胸が張り裂けそうな悲哀の感情が全身を駆け巡り、思わず腰が抜けてしまいその場に座り込んだ。自身の変化に思考が追い付かず、混乱しながら泣くという意味不明な状況だ。
「姉さん!?」
本当にどうなってるんだ、私の身体。
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