02.
「己とは違う存在を感じ取れ、心に語り掛けてみろ」
一週間後。
私達二人の為に派遣されてきた神纏士の方の指示に従い瞑想を行っている最中である。御霊の影響が出始めた時期に行う初歩的な手法のようで、己の心に棲まう御霊に語り掛け意思疎通を図るのが目的なのだとか。
(……ちっとも感じ取れないんだけど)
本当にこんな方法で意思疎通を図れるのか。適当な仕事をしてやり過ごそうとしていないかと、腕を組んで私達を見下ろす神纏士を疑ってしまう。しかし、大和皇国の二大英雄の片割れであるこの方が、果たして自身の価値を貶める行動をする人物なのだろうかとも考える。
大和皇国が世界に誇る神纏士で、歴代の八岐大蛇の神纏士の中でも最強と呼び声の高い人物である。そのような人物を派遣してくるだなんて、政府は一体何を考えているのやら。それだけ政府が私達のことを重要視しているという証左なんだろうけれど……平穏な生活を望む私にとっては凶報に他ならない。
「あっ……なんかいる!!」
「えっ」
「……早いな、御霊に関しては妹の方が優秀のようだな」
瞑想を始めてからまだ数分しか経っていないのに、早くも何かを感じ取った澄海玲が興奮気味に口を開いた。黒神さんが言う通り、神纏士としての才能は澄海玲の方が上らしい。それはそれで喜ばしいので不満はない。流石は私の妹である。
「どのような姿をしている?覗き込むイメージだ、やってみろ」
「えっと……おっきくてまるいおみず!」
「水の球体か……だとすると水神の類の線が濃厚だな」
硝子越しに二人の会話を聞いていた山本さんがメモを書き殴っているのが見える。漸く得られた情報をしっかりと書き記しているようだ。これで澄海玲に宿る御霊の正体が判明すれば良いのだが。外見が『水の球体』で『声を聴いた者を溺死させる』御霊が存在するのかはさておき。
「くろかみさん、なぜわたしたちのこえはほかのひとにあくえいきょうをあたえるのですか?」
「……お前、本当に四歳児か?お前の年頃はもっとはしゃいでる印象があるが」
普通に質問しただけなのに怪訝な顔で質問を返された。確かに、大人から見ると不自然に見えてるんだろうなとは私も思っている。もう少し子供っぽい言動をすべきなんだけど、どうしても気恥ずかしさが出てしまって躊躇ってしまうのだ。少し大人しい子なんだなで納得して頂きたい。
「まあいい……質問についてだが、確証がある訳ではない。それでも良いな?」
「はい」
「言霊、という言葉を知っているか?」
「しってます、ことばにやどるちから」
「そうだ、お前達は無意識の内に御霊の力を声に乗せていると私は見ている」
言霊。
言葉に込められる力。喋った内容が現実に影響を齎すという思想。近代化するにつれて廃れつつある思想だが、古代の大和皇国は言霊思想と密接な関係にあったという。神に唱える祝詞や、結婚式等での祝辞は絶対に間違えてはならないと言われているのはその名残だ。一般人であっても、その言葉には力が籠められていると考えられているからだ。全て母から教わった知識である。
「本来、私達神纏士が他者に直接影響を与える事は無い」
「……ちょくせつ?」
「分かり辛いか?……我々神纏士が敵と遭遇した時、先ず何をする?」
「みたまをよぶ」
「そうだ。そして、その御霊を以って敵を攻撃する。まぁある意味これも直接と言えるが……お前達の場合、この過程をすっ飛ばして他者の人体に直接影響を与えている。この違いが判るか?」
……つまり、御霊を喚ばずとも御霊の力を振るうことが事が出来る。それも防御不可能で不可視の攻撃を。
「ここに来るまでにお前達の調査資料はざっと目を通させて貰った。逢坂咲良、お前に宿る御霊の力は『腐死』と推測されている。吐瀉現象は最も影響を受けやすい胃や腸内の滞留物が腐敗した結果だ。それだけじゃない、お前の声を聞いた者達全員に体中の細胞組織が壊死しつつある事象を確認している……お前と話している私ですら、気を抜けば即座に影響を受けかねん程の力だ」
「黒神さん!?」
「いつかは知らねばならん事実だ」
「だからって……!!」
……彼女の話が本当なら、私に宿る御霊は他人を惨たらしく殺せるだけの力を有している。私は知らず知らずの内に、真綿で首を締めるかのように……人を殺そうとしていたのか。私がある程度自活出来るようになってから研究者が部屋に立ち入らなくなったのは、これが理由だったのだろう。
……では、万全の対策と準備をした上でとは言え、研究者の方に代わって今も尚私達の世話をしてくれている母の体はどうなっている?
「……ママ?」
「だ、大丈夫よ咲良!ほらママ元気一杯でしょ!?」
私を安心付けるかのように、母が両手を広げて元気であることをアピールしてくる。そんな母を見て、はたと気付かされる。硝子越しに見る母が、何時からか長袖しか着ていない事実に。今の季節は夏。冷房が効きすぎているのでない限り、毎日毎日長袖を着る必要はない筈だ。
「ママ……うでみせて」
「……──っ!!」
私と母を隔てる硝子に手の平を付け、母に腕を見せるように要求する。部屋が静寂に包まれる中、最早逃げられない状況であると悟った母がゆっくりと袖を捲りあげた。知られたくなかったと察するには十分すぎるほどの悲壮な表情で、心を締め付けられる。
「いたく……ない?」
「……大丈夫よ、鎮痛剤のおかげで痛みは殆どないから」
露になった右腕の肘下辺りに、少し血の滲んだ包帯が巻かれていた。紛れもなく、私がつけた傷なのだろう。他にも追求すると、澄海玲の寝言を聞いてしまって何度か溺れかけた事もあるのだとか。
「……なおる?」
「ええ、痕は少し残るかもしれないって言われたけど……ほらね、大丈夫でしょ?」
「……ママ、わたしたちのくんれんがおわるまでこのへやにはいるのきんし」
「そんなっ!?」
「からだ、しっかりなおして」
「咲良……」
確かに、現段階では命に別状は無いのかもしれない。だが、それは今この段階で接触を止めた場合での話だ。今後も続けていけば、間違いなく母の命は潰えることになる。人を惨たらしく殺せる力を持つ私に無償の愛を与えてくれた愛しい母。どうか、死んでほしくないという私の気持ちを理解して欲しい。
「ねえちゃ、ママ……?」
「ん、だいじょうぶ」
「……う、うん」
澄海玲が駆け寄ってきて交互に私と母を見る。話の内容を理解出来ていないながらも、重苦しい雰囲気を感じて何処か不安そうにしている。澄海玲を抱き締め背中を優しく擦ってあげると、少し落ち着きを取り戻してくれた。
「くろかみさん」
「……なんだ」
澄海玲を抱き締めたまま、壁に背を預けている黒神さんに呼び掛ける。やり方は少々強引だったと思わなくもないけれど、この人のお陰で自分がすべきことをはっきりと自覚出来たのも事実。彼女がこうしてくれていなかったら、母は命を落とし、その原因となった私は自責の念に駆られ自害していた可能性だってある。そう考えると、とても責める気にはなれない。
「わたしに、みたまのせいぎょほうをおしえてください」
「無論だ。その為に私は来たのだからな。それと、私は手加減出来ん女だ。子供といえど容赦はせん、覚悟しておけ」
「あっはい」
早まった決断をしてしまったかもしれない。未来の私、どうか強く生きてくれ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
軍の任務があったりで、度々中断しがちだった黒神さんの地獄の訓練は十年もの間続いた。当然、訓練を終えなければ学校に行ける訳もないので、小学校は在籍だけして不登校皆勤である。卒業証書には姉妹揃って右上に小さく載る羽目になった。中学校も同じ道を辿る予定だ。
「こうして、明智光秀の軍を数百の手勢および自身の御霊と共に退けた織田信長は……」
「織田信長強すぎ」
その為、勉強は両親や教員免許を持つ研究者の方々に御指導頂いている。私達二人の為に時間を割いてくれただけでなく、分からない所の質問にも親身になって答えてくれて、本当に恵まれた環境に居るんだんだなと改めて実感した。
そして、訓練が十年もの月日を要した原因についてだが、勿論その原因は私にある。
というのも、如何なる方法を用いても私の中に棲む御霊はこれっぽっちも応じる事はなかったのだ。瞑想を続けつつ、その他様々な方法を試しては失敗に終わる日々が続いた。何時まで経っても成果を出さない私に、黒神さんが業を煮やして暴走してしまったのも無理はない。
『命の危機を感じたら御霊も出てくるだろう』
そう言って周囲の制止を振り切り、私を軍の演習場に連れ出した黒神さん。はて何をするのやらと暢気に構えていた私の目の前で、彼女は富士山並の巨体を誇る八岐大蛇を喚び出しやがったのである。私の体躯よりも遙かに大きい十六の真っ赤な眼に気圧された私はその場で失禁し、呆気なく意識を手放した。黒神さんは時々脳筋になる事を私はこの時に学んだのである。
この黒神さんのやらかしによって、この日、関東周辺だけでなく、関東に向かう全国の陸空の便が全便欠航となり、かなりの経済損失になったと報道されていた。話はそれだけに留まらない。数年の間、表舞台から姿を消していた八岐大蛇が出現したと周辺国に緊張が走り、ネットでもお祭り騒ぎとなったのだ。戦略的にも戦術的にも重要な人物だ、そうなるのも必然である。当然ながら黒神さんは各方面のお偉いさんにこっ酷く叱られたらしい。
その後も進展がないまま時間だけが過ぎていき、焦慮に駆られた私は藁にも縋る思いで澄海玲の訓練を見学する事にした。両親に勧められたからというのもあるが、優秀な澄海玲の訓練風景を見たら解決の糸口を見つけられると思ったからだ。
「あ、お姉ちゃん!!見てーー!!」
既に御霊の召喚に成功していた澄海玲の訓練内容は、召喚した御霊の力を上手くコントロールするという内容であった。澄海玲が手を翳すと、澄海玲の背後に浮遊している水の球体から大量の水が溢れ出し、激流となって標的として設置されていたサンドバックを呑み込んでいく。
「凄い」
「でしょー!!!」
はしゃいでいてもコントロールは完璧な様子で、大量の水が私達のところに押し寄せる気配は無い。それどころか、部屋の壁に激突したと同時に掻き消えているかのように見える。既にコントロールについても免許皆伝であろうことは疑いようもない。
言霊についても同様だ。黒神さんが少し指示しただけで感覚で理解したらしい。勿論、理解したその足で母のもとへ向かったのは言うまでもない。二人が家族になって十年余り、今まで直接届けられなかった言葉を涙ながらに伝える澄海玲を見て貰い泣きしたのは良い思い出である。
「澄海玲~アドバイス欲しい」
「ギュッてやったらバババーン!!って出来るよお姉ちゃん!!」
ちなみにアドバイスは全く参考にならなかった。どうやら澄海玲は感覚派の天才のようである。
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