御霊物語

黒雲あるる

01.

(……何処?)


 私という自我が芽生えた時、最初に目にした光景は必要最低限な家具しか設置されていない酷く殺風景な部屋と、重々しい防護服に身を包んだ複数の人間達であった。気を抜けば即座に意識を手放してしまいそうな微睡みに抗いながら、無意識の内に最初にとった行動は彼等の話に耳を傾けることであった。


(声……嘔吐、能力……御霊)


 断片的に聞こえてきたキーワードを単純に繋げてみると『声を聞いたら嘔吐させる能力を持つ御霊』である。御霊が何なのかは分からないけれど、とっても傍迷惑な能力ってことだけは良く分かる。


 その後も情報収集を続けたところ、彼等が調べているのは私に宿った正体不明の御霊であるらしい。過去に前例がない御霊らしく、分かりやすく頭を抱えている。どうやら私が普通の生活を送れるように苦心してくれているようだ。


 対策を見出してくれれば普通の生活に戻れるかもしれないので、彼等には是非とも頑張って頂きたい。それはそれとして、私の前で防護服内に吐いた吐物を嬉々として回収していくのは辞めて欲しい。おえっ。


咲良さくら~おはよう~」

「今日はパパもいるよ~」


 それはそうと、毎日母と父(は仕事があるので時々)が面会に来てくれており、硝子とスピーカー越しに私に声を掛けてくれている。出産した時に大変な目にあっただろうに、それでも私を娘として愛してくれていることには大層驚いたものだ。


(……むずがゆい)


 彼女達の我が子を愛する想いに深く共感しているこの不思議な感覚は、朧気で曖昧な現代社会の記憶によるものなんだろうか。だとすると性別はともかく、私は前世で子供を設けていた可能性がある。


 それにしても両親は今の状況をどう考えているのか。毎日会いに来てくれていることから察して今の状況には納得していそうだが、私の前ではそういった内面を見せないようにしているだけかもしれない。接触禁止令が出ている両親は我が子を抱き締めることすら出来ないのだ、その心境は推して知るべしであろう。


 今の私に出来ることは両親が安心出来るように日々健やかに成長していく娘の姿を見せること。その為には、今暫く研究者や病院の方々に全力で世話になる必要がある。


「あ──う!!」

「お゛え゛え゛え゛え゛ぇ゛ぇ゛っ゛!!」

「サ゛ン゛プ゛ル゛を゛っ゛──……お゛ろ゛ろ゛ろ゛ろ゛!!」

「か゛い゛しゅ゛う゛う゛ぅ゛──!!」






◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇






 時が経つのは早いもので、早くも四年の月日が流れた。


 言葉をある程度流暢に話せるようになったお陰で、周囲の大人達と意思疎通を図れるようになったことは大変喜ばしい。しかし、どのみち会話出来るようになったとしても、私の声を聞いたら会話どころではなくなるのでどうしようもない気はする。


 ならばどうやって会話しているのかだが、私の発した言葉を文字としてモニターに出力しているようだ。母の視線が時折下へ向いているのはそう言う理由である。ちなみに研究者の尊い犠牲によって、機械越しに私の声を聞いてもぶちまけてしまうと判明したのでこのような手法でしか会話は不可能と判断された。


 さて、この四年の間に私の生活環境は大きく変化した。


 先ず一つ。


 一年程世話になっていた病院からとある施設へ両親と共に引っ越しすることになった。その際の移送は非常に厳重な警備体制だったらしい。


 一枠の窓と一つの重厚な扉、用途不明の複数の機械にテレビや家具、浴室など一通りの生活が出来る設備が揃った広い部屋である。以前の殺風景な部屋より遙かに上質な部屋だ。


 この部屋に引っ越してから世話役の研究員の方々が部屋に立ち入ることはなくなったが、代わりに母が世話をしてくれるようになり、たまに絵本や暇潰し用の玩具などを持ってきてくれるから退屈することはなかった。


 そして、もう一つ。


「ねえちゃ!あそぼ!」

「あい」


 なんと私と同じ正体不明の御霊を宿した子供と生活を共にすることになったのだ。私と一緒に積み木で遊んでいる子がそうで、名は嵐藤澄海玲らんどうすみれと言う。美しい濃藍こいあい色の髪と、愛嬌のある笑顔が大変可愛らしい女の子である。


 どうやら、私達が普通に話しても影響を受けないと判明したからこそ、この決断に至ったらしい。母から同じ境遇の女の子がいるって話は聞いていたが、まさか一緒に暮らす事になるとは思いもしなかった。


 その経緯については、澄海玲ちゃんの境遇を憂いた両親の判断によるものだ。


 澄海玲ちゃんの御両親は、既に他界しているようだった。澄海玲ちゃんの力は尊厳を破壊するだけの私と違い、他者への攻撃性が高いものらしい。具体的に言うと、彼女は無から海水等の液体を生み出せる力の持ち主だったのだ。


 彼女が産声を上げた時、その声を聞いた全ての人間が全身を海水に包まれ、藻掻き苦しみながら溺死した。最も近くに居た母親は当然として、出産に立ち会った医師の方々や分娩室の外に居た父親を含む関係者約数十名が亡くなる悲惨な大事故として報道されたという。


「ねえちゃ!えほんよんでー!!」

「あい」


 この子は、産まれながらに天涯孤独の身となっていたのだ。この話を盗み聞きした時、私は絶句した。同じ境遇の仲間が出来たと、この子がどうして此処に来たのかを考えず、話し相手が出来たと馬鹿正直に喜んでいたのだ。


 私は大馬鹿者だ。


 少し考えれば分かる筈だ。それが出来るだけの思考は可能だった筈だ。目先の情報に気を取られ、思考を放棄した私は愚か者だ。悲惨な事故を起こした彼女を引き取ろうとする親戚は現れず、沢山の悪意に晒された末に此処に送られてきたのだと、少し考えれば辿り着けた筈なのに。


「咲良~!澄海玲~!新しい絵本買ってきたわよ~!」

「あ、ママ!!」


 彼女の境遇を聞いた両親が澄海玲ちゃんを娘として迎え入れることも、澄海玲ちゃんが私の両親を親と認識するのも当然の帰結と言えた。そして、それは私も例外ではない。


「ねえちゃも!」

「ん、あわてないで」


 前世の分を含めても含めなくても私が義姉になるのは確定事項だったが、心情的に彼女の義姉になる事に何ら抵抗は無く、両親の子に対する愛の深さに共感した時の不思議な感覚が我が身を駆け巡る。こうして私に、嵐藤澄海玲らんどうすみれから逢坂澄海玲おうさかすみれへと名を変えた可愛らしい義妹が誕生した。






◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇






 絵本。この世界を学ぶ上で、今の私にこれ以上の教材は存在しない。


「こうして巨神きょしん大蛇おろちの御霊を宿した初代神纏士しんてんし達は皇国の守護者として認められ、大和皇国に安寧を齎したのでした……めでたしめでたし」

「わぁぁぁ……!!」


 大和皇国。私が暮らしている国の名前である。


 国の名前には既視感があった。生まれた時から頭の片隅にあった朧げな記憶──仮に前世の記憶だとして──似た名前の国で生活していたのではないかと考えている。今のところ思い出す気配は微塵も感じられないが……今は特に思い出さなくても支障はないし、ゆっくり思い出してくれればそれで良い。


「ママ、みたまってなに?」

「なにー?」

「御霊っていうのはね──……」


 彼是考えても思い出す兆候が見られない以上、記憶については一先ず置いておく。それよりも私達の特異な力の元凶だと思われる存在の方が気に掛かる。


 御霊みたま


 大和皇国ではそう呼んでいるが、他国では精霊、神霊、神獣など呼び名は若干の差異があるようだ。凡そ共通している点は『神』として崇め奉られており、遥か古の時代から人類と共に歩んできた歴史があること。そんな御霊を宿し、制御に成功した者達を大和皇国では神纏士と呼ぶ。


 大和皇国で最も有名な御霊は?と問われれば、ほぼ全ての国民が先の絵本にも登場した"巨神"と"大蛇"を挙げるようだ。両者は各地の寺や神社で祭られており、前者は大和皇国の島々を創造した最高位の創造神として崇められ、後者は天災の象徴とされている。


「咲良と澄海玲にも御霊が宿ってるのは間違いない筈なんだけど……」

「だけど?」

「だけどー??」

「大和の資料や前例を探してもそれらしい御霊が見付からないって山本さんが頭抱えていたわねぇ」

「そうなんだ」

「そうなんだー!!」


 山本さんは研究者の方々の主任を務める御方で、私も硝子越しに話したことがある。最近十円ハゲが出来たらしくて、父が優しく慰めていたのを耳にした。私は見なかったことにした。


「わたしたちってみんなとちがうの?」

「そんなことないわ、皆一緒よ。御霊の影響が出始めるのが早すぎるってだけ、気にする事ないわ」

「……ふつうはなんさいぐらいなの?」

「え~っと大体十歳前後ぐらいかしら?あっ大蛇の御霊が宿った子は五歳ぐらいから影響が出始めて大変らしいわよ?」

「……」


 お母様、産まれた直後から影響を齎す御霊は絶対に普通ではありません。確実に異常な存在だと思います。


 赤子一人に対する対応が大袈裟過ぎやしないかと常々思っていたけれど、成程こういった理由があったのかと漸く合点がいった。確かに、大和皇国の文献や記録を探しても前例が無い御霊(推定)ともなれば政府が出張ってくるのも納得せざるを得ない。


 となれば、俄然気になってくるのは私達に宿った御霊の正体だ。一体どのような御霊なんだろうか、碌な奴じゃない事は確定事項だろう。現役の神纏士を呼んで訓練するべきでは?と研究者の方々が話しているのを小耳に挟んだし、そう遠くない内に対面する機会が訪れそうだ。その姿を拝めた日には是非とも一発ぶん殴ってやる。


「ねえちゃ~~……」

「ん、おひるねする?」

「うん……」

「あら、じゃあ起きたらおやつ用意しておくわね」

「ありがとうママ」


 もう少し詳しい話を聞きたかったところだが、澄海玲のおねむの時間である。もう少し続けたかったけれど、勉強の続きはまた明日にしよう。


(……そういえば小学校ってどうするんだろう?)


 いそいそとお布団の用意をしつつ、未来について思考を結ぶ。


 保育園や幼稚園には当然通っていない私達だが、義務教育である小中高は果たしてどうなるのやら。再来年には小学校に入学する年齢となるが、まだ両親からそういった話はされていないから少し気に掛かる。その前に御霊の制御訓練をするんだろうけど、果たして小学校に入学する前に制御出来るようになるんだろうか。


「ねえちゃおやすみぃ~……」

「ん、おやすみ」


 布団を敷いたと同時に潜り込み、すやすやと寝息を立て始めた澄海玲の隣に横になる。まぁ未来のことは両親や周囲の大人達に丸投げにしても問題は無いだろう。私や澄海玲の意思も尊重してくれそうだし、間違った方向に進むことは無い筈だ。


 本当に恵まれた環境で良かったと心底思う。普通の生き方は到底出来そうにない人生になるだろうけれど、どうか私の大切な人達が平穏な生活を送れますように。

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