エピローグ~④

 そこまで話した所で里浜が思わずと言った調子で間に入って来た。

「ちょっと待って下さい。志穂さんのお母さんは、自分が癌に罹り余命少ないと分かったから、芝元さんを殺したというんですか」

「そうなんです。御免なさい。あの日、私と兄は母の病状の詳細について説明を受けていました。それを聞いた上で今後の治療方針を決める予定でした。その場から、母は席を外して尊さんの病室や休憩室で待っていました。延命治療を拒む本人を除いた上で、親族の意向を確認したいと先生がおっしゃったからです」

「それで芝元さんがいなければ、志穂さんは実家から静岡に通う必要もない。そうすれば自宅でお母さんの介護と家事に専念させられる。それどころか病院に寝たきりだと、治療費は労災から払われていたようだけど、静岡までの往復のガソリン代など諸々のお金は出ていく。でも死ねばそんな支出はしなくて済むし、保険金も支払われるから経済的にも助かる。だから殺したのね」

「御免なさい。母もそう言っていました。ほんの一瞬、魔が差しただけなんです。本当に死ぬとも思っていなかったから、驚いたようです。けれど全て残されている私を想っての行動だったんです。母は死ぬまでずっと罪の意識を背負い、苦しんでいました。だから自宅療養をしていても、父のようには長くもたなかったんだと思います」

 呆れ果てたのか、それとも同じ娘を持つ母として少しは理解できたのだろうか。里浜は黙った。その為尊は彼女の口を借りてまた話し始めた。

「全てお義母さんの責任とはいえないよな。あの時、それまで二十四時間監視して正常に働いていた生命維持装置が上手く作動せず、俺の体は急変した。病院だってその点に疑問を持ったはずだ。それでもあくまで死因は誤嚥性肺炎によるものだと診断した。お義母さんが志穂に言っていた通り、病院側も薄々気付いていたんだろう。でも余命僅かと宣告された患者を告発するのは忍びないと思ったのかもしれない。それにお義父さんが自宅療養してからも、長い間意識のないまま寝たきりで病状固定できないでいる俺の面倒を看続けて来た志穂を見て、同情した可能性もある。だから黙っていようと判断したのだろう」

「病院もグルだったというの」

 再び話し出した里浜に対し、志穂は頷いた。

「そうみたいです。恐ろしくて確認はしませんでしたが、母が言い残してくれた話を聞く限り、その可能性は高いと思います。だからといって、今更病院を訴えても意味がありませんし、母は死んでしまいました。だけど申し訳ないのは、愛花さんが尊さんを殺したことになってしまった点です。厳密に言えば彼女は殺人未遂罪で、殺人犯は母ですから」

「そ、そうよ。どうしてくれるの」

 彼女が余計な考えを持たれては困る。そう思い、今度は尊が彼女の口を塞いで前に出た。

「厳密にはそうだけど、愛花ちゃんが殺人罪に問われ出された判決は、あくまでお祖母さんを意図的に殺した殺人罪についてだ。俺に対する殺人罪は十三歳の時に起こしているから、刑罰には問われていない。それに殺人罪から殺人未遂罪に変わったとしても、量刑は基本的に死刑または無期もしくは五年以上の懲役が科されるから同じだ。未遂となれば考慮され、刑は殺人罪より軽くなるといわれているけれど、愛花ちゃんに出た判決は俺を刺し殺したと分かっていたにも関わらず、家庭の事情を鑑みて相当の情状酌量が認められた。だから執行猶予が付いたんだ。二人殺していたら普通はつかない。もう一度言うが、それは俺を殺した事件は刑罰に問われない年齢で起こしたからであり、今更再審請求して殺人罪が殺人未遂に変わったとしても、刑罰が軽くなる可能性はないだろう」

「ほ、本当にそうなのかな」

 不安げな声を出した志穂に、尊ははっきりと答えた。

「まず間違いない。それに今更そんな事を公にしたって、確かな証拠は残っていないし得をする者は誰もいないだろう。それどころか善意で真相を隠蔽してくれた病院側まで、社会的制裁を受けてしまうはずだ。それに志穂が俺の死で受け取った保険金も、殺した相手が愛花ちゃんからお義母さんに変わったからといって何も変わらない。だから俺は真相を知っていたけれど、ボカーソウルとして現れなかったんだ」

 世の中には知らせて良いものと、そうでないものが存在する。世界中で現れるボカーソウルが五割程度なのはそういうことなのではないか。今の尊はそう信じていた。よって里浜の狂気に満ちた行動が無ければ、こうして現れる機会は訪れなかっただろう。

 そうした見解も説明した後、さらに付け加えた。

「里浜さん。もしこの事実を公にしたら、再びマスコミは愛花ちゃんの周辺に集まり騒ぎだすでしょう。もちろんあなたの体に乗り移った俺の証言が必要となりますから、同じくマスコミの餌食になる。折角今はそれぞれ落ち着きを取り戻したのです。もう止めませんか。そして愛花ちゃんの元に戻り、二人で新たな人生を送って下さい。全ての事件の発端となり、殺されてしまった俺が言うんです。もうこの辺りで不幸の連鎖を断ち切りましょう。そうでなければ、いつまで経ってもあなたや愛花ちゃん、志穂やその他これまでの事件に関わった人達の心は、ずっと穏やかにならない。そう思いませんか」

 彼女は項垂れ、深く頷いたようだった。恐らくそうしなければならないと考えてはいたのだろう。それでも娘が許してくれるかどうか、怖かったのかもしれない。裁判で証言し公になっていた為、全ては母である彼女を思っての行動だったと分かっているはずだ。

 その為に自分の責任だと責め続けながらその辛さに耐えられず、他人にぶつけて気を晴らそうと矛盾した行動を取るのかもしれない。人は時に理屈では説明のつかないことをしでかす。彼女はまさしくそういう精神状態なのだと考えるしかなかった。

 もうこれで志穂を殺すような真似はしないでくれ。尊はそれだけを願った。これ以上はもう何もできない。あとは彼女の決断を待つだけだ。そう思い、じっと黙ったまま言葉を待った。

 そこで尊は彼女の体から、すっと抜け出してしまった。驚きの余り宙に浮かんだ状態で、二人の様子を交互に見つめる。すると里浜が口を開いた。

「分かりました。お元気で、もう二度とここには来ません」

 そう言い残し、取り落した鎌を拾うことなく志穂から遠ざかって行った。その後ろ姿を尊達はじっと眺めているしかなかった。

 彼女が見えない場所まで去ったところで、志穂は腰が抜けたように座り込んだ。恐怖から抜け出せた安心感からなのだろう。けれど目には涙が溜まっていた。そして呟いた。

「尊さん、ごめんなさい」

 ボカーソウルは一人にしか乗り移れないと聞いている。それでも試してみた。だがやはり駄目だった。志穂の体には入れない。つまりまた浮遊するだけの身となり、誰とも話ができなくなったのだ。

 約五年振りに言葉を発し、会話を味わった。やはり人は誰かと関わってこそ生きていると実感できるのかもしれない。一人で生きているのではないのだ。一人だけでは生きるのはやはり寂しい。

 そこでまた考える。どうしてこんな目に遭ってしまったのだろうか。俺が悪いのではないと里浜は首を振ってくれた。その行動に救われた。でも本当にそう思っていたのかは分からない。どうして俺はこの世に生まれ、何故こんな形で世を去らなければならないのか。

 一体何の為に生き、そして死んだのか。その意味が分からないまま、それでも最後の最後で志穂の命を救えたことだけは満足していた。また不幸の連鎖も今度こそ終わらすことができたはずだ。

 周囲で巻きこまれた人達それぞれが闇を抱え、人に対し何らかの感情を持っていたのは確かである。もしかするとこういう事態が起こった時の為だけに、俺は魂となっていたのかもしれない。

 また、今回の事件で表へ炙り出された中、本当の意味で人知らぬ恨みを抱いていたのは里浜奈々だったのではないか。そしてその対象となった相手はやはり尊の存在だったのだろう。

 そんな人知らぬ想いに耽っている内、尊の意識はぼんやりとし始める。程なくうろこ雲が広がった空から吹く、乾いた北風に乗ってそっと消えた。(了)

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ボカーソウルの苦悩 しまおか @SHIMAOKA_S

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