第五章~⑤
「事件を起こす半年以上前だったかな。秋の遠足で県外にある工場見学をした時、近くにあった百円ショップで買った」
「そんなに前から用意していたのか」
「お母さんが夜中に家を抜け出していた頃だったから」
「もう一度聞くが芝元尊を刺した後、彼が生きていると知ってどう思った」
「残念だと思ったのが半分、ホッとしたのが半分かな。でもそのせいでお母さんが疑われて、周りから変な目で見られた時はやらなかった方が良かったと反省した。それにもし意識が戻り、顔を見られていたらどうしようと想像して怖かった。それでも結局目を覚まさないまま死んだから、もう大丈夫だと思ったんだけどやっぱり悪い事は出来ないんだね」
反省する姿勢をみせながらもこれまで一貫して、ですます調で話さない彼女は本当に罪を理解できているのか、尊は疑問を持った。今時の高校生といえばそうなのかもしれないが、それだけではない気がした。
彼女の口調や説明を聞く限り、根本には母を思う歪んだ想いの存在を感じた。犯行を悔やむ理由も、罪の意識より母への風当たりを一番気にしていた点からもそれが窺える。よって彼女に対しての感情は怒りを上回り、呆れと虚しさが先に立った。
彼女を取り巻く環境は恵まれず、厳しいものだったはずだ。祖母の介護や家事を任され毎日必死に過ごしながら、母の顔色ばかり見てきたのだろう。生活費を稼いでくれている母の為に、なんとかしようと心を砕いてきたに違いない。
対して経済的面も含め、尊は恵まれた状況にいた。それが刺傷事件に繋がったのかと想像した時、彼女を責めたい気持ちが萎んだ。といって許されることではもちろんない。
彼女のせいで尊だけでなく志穂の人生を台無しにし、長期間に渡り悲痛な思いをさせたのだから。その上多くの人を巻き込んだだけでなく、死亡者まで出している。
それでも母子家庭に加えヤングケアラーとならざるを得ず、社会の不十分な支援体制などを鑑みれば、同情とは異なる複雑な思いを抱かざるを得ない。人知らぬ恨みに当たるか分からないが、罪を犯す人間の心の闇の深さは計り知れないものだと痛感させられた。
ここまで何度も同じ話をしてきたからか、これで尊の刺傷事件の全容はほぼ解明されたと判断したらしい。久慈川は別の話題をし始めた。
「昔の話はここまでにして、今度は君の祖母の
それまで淡々と語っていた彼女だが、急に押し黙った。
「どうした。何も言いたくないのか。芝元尊を刺した件は正直に話してくれていたように思ったんだがな」
もしこれが意図的な殺人だとすれば十三歳の時に起こした事件とは違い、少年院送りだけでは済まない。誕生日を過ぎて現在十八歳になった彼女は立派な成人であり、通常通り刑事罰を受ける。
殺人罪となれば一人だと死刑にならなくても、無期または長期刑に処される可能性は高いだろう。しかもその前の未成年時に殺人を犯していた点が考慮されれば、その分を含めた相当重い刑を課されてもおかしくなかった。
恐らく彼女は理解している為、言い淀んでいるのかもしれない。まだ沈黙を続ける彼女に、彼は再度尋ねた。
「もう一度聞くぞ。あれは事故だったのか。それとも意図的だったのか。どっちなんだ」
引き続き黙秘を貫くのか、それとも事故だと言い張るかと尊は思っていたが、どちらでもなかった。
「もういいやって思ったの。またマスコミが追いかけて来るし、警察も動き出した。お祖母ちゃんの介護がどんどん大変になっていくし、受験もしなきゃいけない。うんざりしたの。だったらもうここで車に轢かれて死ねば楽になる。だけどお祖母ちゃんを残して私だけ死ねば、お母さんが大変になると思った。だから二人で死のうと決めた」
「つまり道路に飛び込んだのは意図的だったんだな。しかも美佐江さんと無理心中しようとした。間違いないか」
彼女は頷いた。罪を認めたのである。これで殺人罪も成立するだろう。必ずしもそうなるものではないが、実現された場合はそれでも構わないとする心情や態度を指す未必の故意が認められれば、殺人罪に問えるからだ。
けれど尊が最も驚いたのは自白した事でなく、また祖母と心中を図った点でもない。犯行の動機の中に、またもや母を気遣う思いがあったと分かり恐怖を覚えた。そこまで慕う異常な心理がどうして育まれたのか、不思議でならなかったからだ。
しかし祖母だけでなく自分も死ぬつもりだったのなら、軽症で済んだ彼女は今どう考えているのか。久慈川もその点が気になったのだろう。相手に自殺願望があると分かれば、ここからの対応は気を付けなければならない。よって口調を和らげて質問をした。
「介護と家事と勉強で辛かったんだな。そんな時にマスコミや俺達警察がしつこくつきまとった。そこまで思い詰めてしまったのなら本当に申し訳ない。ところでああいう事故を起こして死のうと、前から考えていたのかな。それとも追いかけてくるマスコミの姿を見つけ、発作的に行動した結果だったのか教えてくれるかい」
刑事が非を認めたことで彼女は驚いていたようだが、その効果もあってか素直に話し始めた。
「前からぼんやりとは計画していた。介護や家事が辛くてお祖母ちゃんだけ殺そうかと思ったこともある。でもそれは出来なかった。だってお母さんが悲しむから。そんな姿はみたくなかった。だったら自分も死んでしまおうと考えたの。それにあの人を刺し殺した罪も、どこかで償わなきゃいけないと思った。あの日外に出なきゃいけなくなった時、もしまたマスコミに捕まったりして嫌な思いをするくらいなら、事故を起こして死のうと覚悟していたの。そしたら本当に隠れている記者を見つけたから、もういいやって」
「それで車が走って来たから飛び込んだ、ということか」
彼女は黙って頷いた。計画的と言えば計画的だが、発作的と言えばそうとも取れる。もし記者がいなければ、計画はまだ実行していなかった可能性があるからだ。しかしいずれは決行していたとも考えられる。
殺人罪の場合、計画性があったかどうかなどは、量刑を決める際の大きな要因となる。しかしこの事件では、どちらとも取れる為に判断は難しい。
その上彼女自身も死のうとしていた点や、これまで長い間ヤングケアラーとして精神的に追い込まれていた事情も考慮すれば、情状酌量の余地もあるだろう。
さらに長年マスコミから追われるという、滅多に経験しないストレスがかかっていたのだ。きっかけを作った張本人だとはいえ、まだ十三歳と幼い頃の犯罪である。事件を起こしたのは複雑な家庭事情からであり、その点も情状酌量の余地はあった。
刺された尊自身でさえそう思ったのだ。もちろん彼女が起こした事件のせいで、尊の人生を大きく狂わせ志穂や彼女の家族をも巻き込んでしまったのだから、恨む気持ちは当然ある。
それにあの事件をきっかけに、和喜田や宇山は命を落とし野城も刑務所に入った。加えて彼女の母親も逮捕されたのだ。他にも被害を受けた人は大勢いる。
宇山が事件を起こし自殺した為、ある意味自業自得とはいえ中部本部長は解雇されて甲島支店長も次長に格下げとなり四国に異動させられた。さらには和喜田の後に着任したばかりの新支社長までもが、異例の速さで異動となっているのだ。
当たり前だがその人達にだって家族はいる。全てを含めればたった一つの事件が、多くの人達の人生に影を落としたのだから、決して許されるものでは無い。
とはいえ彼女も幼くして苦悩を味わい、苦労してきたのは事実だ。それは恵まれた環境で育ち生きてきた尊には想像しろと言われても、さすがに限界がある。とはいえ罪は罪だ。
久慈川も同じく複雑な心境だったのだろう。明らかに戸惑いを見せていた。それでも彼らは職務として、検察に送り起訴できるよう証拠を固めなければならない。結果的にどう処罰されるかは裁判所が決める話だ。
そこまで思ったかどうか不明だが、彼は表情を引き締め直し問い続けた。
「美佐江さんだけ重体になり病院へ運ばれ亡くなった時、君はどう思った。軽症で済んだのはたまたまだったのか。それとも覚悟して車道へ飛び込んだけれど、肝心の場面で腰が引けたのか。その結果、美佐江さんだけが車と激しく衝突したのか」
「びびっちゃったのは確かかも。思い切って突っ込んだんだけど、車が近づいて来た時に足が止まったかもしれない。そこはもう無意識だったから。でも自分だけ助かりたかったんじゃない。それは絶対に違う。だって最悪な状況は避けられたけど、今はそれに近い状態だから。私が殺人犯として逮捕されたらお母さんの無実は晴れるけど、絶対にマスコミとか周囲の人達は責めるよね。母親のせいでこうなったとか、絶対に言う奴が出て来るでしょ。私があの時死んでいたら、あの芝元さんの事件だってうやむやになっていたはず。だって血痕が出てきても、お母さんにはアリバイがあるんだから刺し殺せる訳ないし。もしかして私かお祖母ちゃんのどちらかが犯人だったかも、と思われた可能性はあるけど二人共死んでいたら証拠なんてないからね」
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