第五章~④

 既に何度も同じ質問に答えてきた彼女は、俯いたまま淡々と説明していた。

「あの人さえいなくなれば、お母さんの無駄な妄想や願望が消えると思ったから」

「殺すつもりだったのか」

 躊躇しながらも彼女は頷いた。

「はい。でも一命をとりとめたと知った時は恐ろしかった。もし刺した時、顔を見られていたら絶対に捕まると思ったし。だけど意識が戻らないと聞いてホッとした。でもなかなか死ななかったので、早くいなくなってくれたらとは思った」

「亡くなるまで四年以上かかったが、その間はどう思った。止めを刺しに行こうとは考えなかったのか。一度だけ、母親と一緒に病院へ見舞いにも行ったと聞いているが」

「それはなかった。あの時は母がどうしても一緒について来て欲しいと言ったので、仕方なく行っただけ。本当は会いたくなかったし、怖かったから。だけどもし目を覚まして私が犯人だと分かってしまったら、それでもしょうがないと半分は諦めていた。それにまだ事件を起こした時は十三歳だったし、それほど大きな罪にはならないだろうとも思っていたから」

 確かに十三歳と十四歳では大きく違う。十四歳未満は刑事責任年齢に達していない為、刑罰を受けずに済む。但し殺人罪ともなれば少年院への送致は免れないだろう。それでも数年もすればでてくることは可能だし、未成年の為に実名報道はされない。

 そこまで計算しての行動だったようだ。久慈川は苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべつつ、質問を続けた。長年追い続けてきた事件の犯人が、全く疑っていなかった人物だと判明したのだから当然だろう。

「それでも殺そうと思っていた相手が、意識不明とはいえ生きていたんだ。さっき自分で言ったように恐ろしかっただろう。早く死んでくれと考えていたんだよな。実際、ベッドに横たわり眠っている様子を見てどう思った」

「怖かった。だけどあの頃は事件から結構経っていたし、母が別件で逮捕されてから周囲の関心は別な所に移っていたので、捕まる心配は余りないと思っていた」

「これまで自首しようとは一度も考えなかったのか」

「私のせいで母が疑われてしまった時は、何度か思った。でも母が逮捕されてからは、もし私までいなくなったらお祖母ちゃんの面倒を看る人がいなくなる。そう想像したらできなかった」

「なるほど。それにしては今回素直に犯行を自白したのは何故だ」

「もう隠しきれないと思ったから。下手に誤魔化せば、警察やマスコミはずっと私だけでなく、お母さんも疑うに決まっている。ただでさえ事件があった後、アリバイがあったのに目を付けられていたし。あんな嫌な目はもうさせられないと思った」

「そうさせたのは、君のせいだろう」

「しょうがなかった。ああでもしなければ、お母さんはいつまでも実らない想いを抱き続けていたはず。最悪の場合、ストーカーになるかあの人の奥さんを殺しかねないと怖かったし」

 彼女の説明によれば、母親の尊に対する一方的な好意は相当根深かったという。シングルマザーで子育てに忙殺された上、母親の介護まで抱え始めてからは精神的に不安定な状況が続いていたらしい。そんな時に優しくされ、心奪われた相手が尊だったそうだ。

「最初の頃は、今度新しく来た担当者がすごくいい人だと褒めていただけだった。でもそれが段々エスカレートして、仕事から帰ってくる度にあんな人と結婚していたらどれだけ幸せだっただろうか、と私に話すようになった」

 高学歴で高収入、性格も良く愛妻家だという点に魅かれていたとも言った。日々辛い毎日が続く中、尊と会話し優しくして貰うことが唯一の楽しみだった、と彼女は口にしていたようだ。既婚者と分かりつつ、想いは募るばかりでどんどん妄想が広がっていたと思われる。そうした様子に彼女は恐れを抱き始めたらしい。

「あの人が現れる前は、仕事の愚痴ばかりでヒステリックに怒鳴ってばかりいた。だから怒られないよう、私が出来る事は何でもやった。家事だとかお祖母ちゃんの世話もそう。それが治まったことは有難かった。でも一度だけ夫婦でいるところにばったり会って、絶対こんな人がお母さんを相手にするはずなんてないと、私は確信したの。奥さんはすごくきれいな人で、二人は本当に仲がいいんだと直ぐに分かったから」

 その後が大変だったらしい。芝元夫妻と別れて家に帰る途中、ずっと母親は怖い顔でぶつぶつと独り言を呟いていたという。

「どうしてあんな女と。何故私じゃないの。世の中、不公平だわ。お金も名誉もあって子育てや親の介護の必要もなく、夫婦二人で悠々自適の幸せな生活をしているなんて」

 しかもそれから週に一、二回位のペースで、夜遅く母親がこっそり家を抜け出し始めたそうだ。その為一度何をしているのか気になり、彼女は祖母がぐっすり眠っている時を狙って後をつけたという。

 すると母親は住宅地の間を縫うように、何度も角を曲がり始めた。一体どこにいくのかと思っていたらあるマンションの近くで突然立ち止まり、じっと一角を見つめていたそうだ。それからしばらく経つと、何も無かったように全く同じ道を通り、家に戻ったらしい。

 そうした母親の行動をその後も何度か確認したという。結果、その場所に誰が住んでいるのか、目的が何なのか、愛花は漠然と理解出来たのだろう。芝元夫妻と近所で偶然出会い、母親が語る話を聞いていた為、彼らは二駅先に住んでいると知っていたからだ。

 また何度も繰り返す内に、母親がわざわざ遠回りして彼の家に向かっているのは、防犯カメラが無い場所を通っているのだと分かったという。その為何故そのような真似までして行くのかと考えた時、愛花は恐ろしくなったようだ。何か企んでいるのではないかと想像したからである。

 そこである日、夜中に抜け出し戻ってきた母親を掴まえ、抗議したらしい。ただその際、芝元夫妻については触れず、ほぼ寝たきりの祖母をほったらかしていなくなるのは困るとだけ告げたそうだ。

「万が一のことがあったら、私に責任は取れないよ。ただでさえ学校からすぐ帰って、お義母さんが夜遅く帰ってこない時もお祖母ちゃんの世話をしているけれど、そんな事を続けるのなら今後手伝わないから」

 そう警告したところ、反省した母親は夜の外出を取りやめたという。けれど彼女の妄想は止まらなかったらしい。その為このままでは、いつか大変なことをしでかすと怯えた。 

 それで止む無く芝元尊を殺そうと考え、母親が仕事で遅くなるという日を狙ったという。あの人さえいなくなれば、母親が叶わない夢を見続けることはない。この世からいなくなれば、現実を見つめるしかなくなる。そう彼女は考えたのだ。 

 祖母には母親が以前眠れないと言って飲んでいた睡眠導入剤をこっそり盗み、砕いて飲み物に混ぜていたとも供述。事件当夜以外の日にも、祖母の監視をしなければならなかった際、何度か試し成功していたようだ。

 少しコンビニに出かけたかった時などで、目を離さざるを得ない場合はどうしようと考え、思いついた方法らしい。その為、事件当夜も同様の手を使い、祖母が寝静まった時を狙って外出し、公園に隠れ尊の帰りを待っていたようだ。

 帰宅時間は何時頃なのかといった情報は、母親との会話で仕入れていたらしい。よって事件当夜は一時間以上、現場で隠れていたと証言していた。

「それで良く誰にも見つからなかったな」

「あの辺りは住宅街なので、お母さんを尾行して何度か通っている間に人通りが少ないとなんとなく分かっていたから」

 事件が起きた時間前後を含め、現場近くの防犯カメラに写っていなかったのは、母親が見つけたルートを通っていた為だと分かった。

 ちなみに外出を辞めさせてから事件まで約一ヶ月以上空いていた為、警察が防犯カメラの映像を確認した際には、そうした不審な行動履歴は消えていたようだ。母親の帰りが遅くなる機会はなかなか訪れなかったからだろう。

 その供述通りかを里浜奈々に確認した所、彼女は渋々認めた。娘が危惧していた通り、いつかは何らかの罪を犯してしまうかもしれないと自身でも考えていたらしい。そうした万が一の時に備え用心していたと、涙ながらに語ったという。

 つまり娘の予感は全くの的外れで無かったと言える。

「それでどうした」

「公園の木の陰に隠れていたら、あの人が来たので後ろからぶつかるように刺した。指紋が付かないように手袋を嵌めていたし、血とかで服が汚れないように黒いゴミ袋を被った。本当はナイフを抜こうと思ったけど、怖くてできなかった。それでゴミ袋を脱いで裏返しにして、そのまま逃げたの」

 予定通り、帰りも防犯カメラが設置されていないであろう場所を抜けて自宅に帰ったようだ。目で見た限りだと衣服や靴には血が付いていなかったけれど、念の為にゴミ袋と手袋も一緒に燃えるゴミを出す日に全て捨てたという。

 それまではもし警察が来ても見つからないよう、祖母のベッドの下に隠した。そうすれば寝たきりの人をどかせてまでは探さないと考えたらしい。

 警察は当初の聞き込みの中で、容疑者の一人として里浜奈々の名が挙がったのは、事件が起きてから土日を挟んだ火曜日だった。よってその日の朝に出された可燃ゴミまで、捜索の手は及ばなかったのが幸いしたようだ。

 しかも奈々にはアリバイがあった為、和喜田に対する殺人未遂で逮捕された際、今回ほどの詳細な家宅捜索まで行えなかった。もしあの時、無理にでも鑑識を入れていれば、もっと早く事件は解決していたかもしれない。

 但し愛花の部屋や当時まだ寝たきりだった祖母のベッドマットの裏まで捜索できたか、と考えれば難しかったとも考えられる。ただあの当時だと尊はまだ生きていた為、罪状は殺人未遂で済んでいたはずだ。

 それにしても鑑識は良く発見したといえる。恐らく目に見えない程度の返り血を浴びていたのだろう。それが着替えるなどの際、ほんの僅かだけ付着したに違いない。そこでベッドマットの下やクローゼットから、ごく微量の血痕が検出されたのだろう。

 ちなみに今回、愛花の自白により彼女の家の周辺から集めた防犯カメラを再度確認した所、犯行後に現場から戻ったと思われる時間帯に、彼女らしい姿が一瞬だけ映っていたと分かった。

 しかし里浜奈々が見落としたらしい箇所にあったカメラだったからかほんの僅かで、誰なのかを特定するにはかなり困難なほどの映像だったらしい。よって警察がこれまで探し出せなかったのも、止むを得なかったと思われる。

 ただその映像により、愛花が事件の起きた時間帯に外出していたことは証明できた。自白の裏付けとしては充分とも言える証拠だ。

「ナイフはどこで手に入れた」

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