第五章~③
確かに両親は相続放棄しているので、志穂が受け取れなくなれば兄に相続権が回ってくる。彼らはそこまで計算し、マスコミ対策を取っていたのだ。
相続争いなどが起こらないのなら取り上げる話題は無いと見切りを付けられ、その上事件には関係ないと思わせれば追われなくなると考えたのだろう。実際、その後彼らへの取材攻勢は早々に治まっていた。よって思惑通りになったといえる。
けれど尊はその事実を知り安堵した。両親達が以前の約束通り遺産放棄の手続きをしてくれたおかげで、全て志穂が受け取れるようになったからだ。
彼女が欠格事由に当たる訳がないと信じていたし、これで完全に両親達とは縁も切れる。この点だけは、死後にマスコミが再度騒ぎ出して唯一良かったと思えた点だろう。
そうした流れから、次に最も注目され攻撃の的となったのが里浜だ。彼女には事件当時のアリバイがあったとはいえ、その後和喜田を襲って逮捕され有罪となっている。現在執行猶予中という弱い立場もあり、格好の餌食となったと彼女を監視していた刑事達の会話からその時の様子が分かった。
「芝元尊さんがお亡くなりになりました。犯人に対して一言頂けますか」
「今でもあなたが襲った和喜田さんが真犯人だと思われますか」
「違うのなら、誰が犯人だとお考えですか」
通勤の途中で捕まり、そうした質問を記者達から浴びせられても彼女は発言を最小限に止めていたらしい。
「芝元さんが亡くなってとても残念です。ご冥福をお祈りいたします。それ以上のコメントは差し控えます」
そう繰り返し、逃げるように去ろうとした彼女だが、質の悪い記者達はそれだけだと許してくれなかったようだ。
「里浜さんはあの殺人事件が起こった際、アリバイがあったと伺っていますが、どなたかに被害者の件で相談されたことはありませんか」
「被疑者として名が挙がっていた和喜田さんを襲ったのは、自らにかかる疑いの目を遠ざけようとしたのではないかとの見解もありますが、どう思われますか」
あくまで犯人だというのではなく、遠回しに事件との関わり合いがあるのだろうと決めつけた質問だった。警察が再び彼女をマークしていたのも、何らかの証言や新たな動きが見られると考えていた為だという。
それでも彼女は無言を貫いたらしい。どうやら和喜田の事件で担当した弁護士による忠告を受けての振る舞いだったようだ。下手に口を開けば、それを元に何を書かれるか分からない。よって被害者の死亡を悼む発言以外、慎むようにと言い含められていたという。
またここでもし記者と揉め問題を起こせば執行猶予中の身により再び身柄を確保され、実刑を受けてしまう恐れもあったからだろう。
そんな強く抵抗できない彼女の立場を利用し、マスコミは大挙して追い詰めた。そうした魔の手は、高校三年生となり受験の年を迎えていた娘の愛花にまで及んだらしい。
事件当時は中学二年生とまだ幼かった為、彼女が直接マスコミに取り囲まれるケースは無かったようだが、今はもうすぐ成人年齢に達する学年になっていたからだろう。よって容赦しなかったと思われる。
「お母さんが好意を寄せていた方が刺され、今回死亡した事件を耳にして娘さんの立場ではどう思われますか」
「刺した犯人が憎く、それが和喜田さんだと思いこみ殺そうとした母親を、あなたはどう思いますか」
これには彼女も困ったようで、再び学校へは行けなくなったという。再び家に引きこもり、変わらず祖母の介護を母親の代わりにしつつ、受験勉強をしていたようだ。
彼女はそれまでの通常の生活においても、相当ストレスが溜まる環境だっただろうと想像できた。ただでさえ六年以上、家計を支える為に忙しく働いていた母親の代わりに、祖母の世話と家事をしながら暮らしてきたのだ。
その間尊の刺傷事件が起こり、彼女はある時期まで学校へ行けなくなった。そうした影響もあり、母親が別の事件を起こし逮捕され前科がついたのである。
それでもここ最近はようやく落ち着きを取り戻しつつあったのに、再び世間から注目を浴びてしまったのだ。よって不満や鬱憤も蓄積され、注意力も散漫になっていたのだろう。
また追いかけてくるマスコミから逃れようと、そればかり気にしていたのかもしれない。その結果悲劇は起こった。
彼女は買い物がてら祖母を車椅子に乗せ、散歩に出かけていた時だ。家事の担当でもネット通販で済ませれば良かったのだが、祖母をずっと寝たきりにはしておけないので、時々は外へ連れ出さなければならなかったという。日を浴びさせ、また床ずれを防ぐ為らしい。
そこで止むを得ず周囲の目を気にしながら近くの商店街に向かっていたところ、やはり張り込んでいた記者の姿をみかけてしまったようだ。あの人達に捕まってはいけないと慌て急いだのか、信号のない道路を横断しようと試みたところ、丁度走って来た車に衝突してしまったのである。
撥ねられた衝撃で、祖母は車椅子ごと投げ飛ばされ道路で頭を強く打った。押していた愛花も転倒したが、幸い軽症で済んだらしい。
周囲に目撃者が相当数いた為、直ぐ救急車が呼ばれ警察も駆け付けた。運転手はその場で事情聴取を受け、愛花と祖母はそのまま病院へと運ばれたのである。
横断歩道外とはいえ、直線道路での車椅子を押す歩行者と四輪自動車との衝突となれば、過失割合の基本は車八割に対し歩行者二割だ。そこに飛び出し等の修正要素が加わったとしても、ほぼ間違いなく自動車側の責任は重くなる。
しかも今回、愛花は打撲や擦り傷といった怪我だけで済んだものの、祖母は脳挫傷と全身打撲によるショックで心不全を起こしてしまった。そして仕事先から駆け付けた里浜が病院に到着してから五時間経った頃、死亡が確認されたのだ。こうなると自動車側はかなり不利になる。
こうした事故が発生してしまった為、その後事故のきっかけとなったマスコミによる過剰な取材は自粛されると思われた。
だが事態は全く逆に動いた。何故なら自動車の運転手や事故現場を目撃していた記者、または周囲にいた人々は、愛花が走行する車を確認してから意図的に飛び出したのではないか、と口々に証言したからである。もしそれが本当なら、これは事故ではなく傷害致死または殺人事件だ。
彼女には動機があった。長年ヤングケアラーとして祖母の世話をし続け、精神的に辛い思いをしていた。その傷をえぐるように母親が犯人かと疑われる尊の刺傷事件が起こり、マスコミに追いかけられてまた学校に通えなくなったのだ。
さらに母親は別件で逮捕され、その影響から以前の事件で再び騒がれてしまった。そして今度は高校受験という大切な時期であるにも関わらず、尊の死により三度取材攻勢を受ける羽目になったのである。
そこで精神的に追い詰められた彼女は、せめて祖母がいなくなればと考えたか、さらには無理心中を計ったのではないか。そう疑われたらしい。
その為警察は事態を重く受け止め、里浜の家に家宅捜索を入れたという。もちろん祖母に対する殺害の容疑で令状を取ったからで、結果とんでもないものが見つかったのだ。
彼女の家は里浜奈々が住む家でもあり、尊の事件にも深く関わっていると見られていた人物の家である。よって何か探りだせるのではないかと鑑識を入れ念入りに捜索を行ったらしい。和喜田や宇山が亡くなった時と同じだ。
するとまず亡くなった祖母が普段使用していたベッドマットの下と愛花のクローゼットから、僅かながらに血痕が発見されたという。なんとそれが尊のDNAと一致したのだ。その為里浜奈々と愛花は任意同行され、警察の厳しい取り調べを受けたのである。
そうした話を耳にした尊は事情をしっかり確認したいと考え、以前使った手順で何とか刑事達に辿り着き、彼らの頭に取り着くことができた。おかげで様々な状況を知ることが可能となった。
まず母親の奈々は刑事の取り調べに対し、真っ向から反論をしていた。
「私は何も知りません。警察も調べたように私は芝元さんが刺された日の夜、同僚と一緒にお客様のところで保険の提案をしていたのです。だからあの方を刺すなんて出来る訳がないでしょう」
「だったら何故、芝元尊の血痕があなたの家から見つかったんだ。彼があの家に上がったことはあるのか」
「いいえ、ありません。そんな訳ないでしょう。それにもしそうだとしても、芝元さんの血がどうやったら母が使っていたベッドの下から見つかるんですか」
「あのベッドマットを動かしたのはいつだ」
「マットの上の布団は、何度か交換の為に動かしていました。でもマット自体は母が倒れて使うようになってから、一度も動かした覚えはありません」
「一度もか。あれはいつ設置したんだ」
「母が若年性アルツハイマー症と診断され、寝起きが不自由になり介護用ベッドが必要だと医師や介護士の方達から勧められた時です。もう六年以上前になります」
「それから一回も動かしていないのか」
「はい。ベッドのマットなんてそんなものじゃないですか。大きいですし、女手しかない家ではそんな簡単に動かせませんから。その上の布団は湿気を含んだり汚れたりするので、定期的に取り換えていました。それだけでも母を一旦車椅子かどこかに移動させてからでないと動かせません。刑事さん達もやってみれば分かりますが、重労働なんです」
彼女の言い分には一貫性があり矛盾もなく、嘘をついているようには見えなかった。また血痕はベッドマットの下だけでなく、愛花の部屋のクローゼットからも発見されている。そこから導き出されるのは、血を付けたのが娘だという可能性だ。
そこで久慈川達は愛花を尋問した。すると彼女は観念したらしく、やや投げやりな態度ながらも、ぽつりぽつりと自白をし始めたのである。
「どうして芝元尊を刺したんだ」
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