第五章~②

 尊は名古屋で刺傷され、現在の状況に至ったのだ。なんとか命を取り止めていた為、警察は殺人未遂として捜査を続けていたが、未だ犯人は捕まっていない。その被害者が刺傷された結果、後に死亡したとなれば殺人事件となる。よって警察への連絡は必須だった。

 まずは病院からの連絡を受け、地元の静岡県警が病院を訪れた。それから医師達や志穂達親族に対する聞き取り調査が行われた。それから尊の刺傷事件を担当し、捜査本部を立ち上げていた愛知県警の面々が遅れて到着した。その中には久慈川もいた。

 ちなみに本体が死んでも、尊の状態に特別な変化はなかった。元々肉体と離れて魂だけが浮遊していた為、死んでも死ななくても同じだったのかもしれない。

 ただ決定的にこれまでと違うのは、今後ボカーソウルとして誰かの体の中に乗り移り話せる可能性が発生した点だろう。

 とはいえ刺した犯人を見ていないし、誰なのか見当もつかない状態の今はとても無理だ。それでも今後犯人を特定できれば、そいつを逮捕させることだってできるかもしれない。

 尊は義父の死後、そうした想いをこれまで以上に強く持っていた。彼は死ぬ間際まで自分が出来ることを全うしようと懸命に努力していた。その姿が目に焼きつき離れなかった。

 この世に生まれた証を残そうと試みていた訳ではない。ただ命ある限り悔いが残らないよう、懸命に生きた。ただそれだけだった。

 よってあの頃は尊もそうあるべきだと心に誓っていたのだ。けれど魂として動ける範囲が限られていた事情もあり、この一年余りは特に悶々とした日々を過ごしていたのである。

 そこに来て事態が動いた。諦めつつあったとはいえ、とうとう本当に死んでしまったのだ。意識を取り戻し、再度働くことはもうできない。志穂を未亡人にしてしまった。その上刺した犯人が誰かも分からないままに。

 これでは彼女も無念だろう。もちろん尊自身だってそうだ。よって犯人は必ず捕まえたい。残された道はそれしかない為、嘆き悲しむ彼女の背中を見つめながら、改めてそう決心を固めた。

 静岡県警は早々に引き上げ、すぐ愛知県警へと引き継ぎを行った。他の管轄の未解決事件に余り深く関わりたくないと思ったのかもしれない。よって病院による医療過誤があったかどうかはそれ程詳しく捜査されないまま、久慈川達の聴取が始まったのである。

「ご無沙汰しています。この度はご愁傷様でした」

 彼は志穂に頭を下げた。尊はその様子を上からじっと観察していた。彼らはその前に剛志や義母の聴取を行っており、そのやり取りも確認していた。彼女は最後に回されていた。何故なら一番時間がかかると思われていたからだろう。

 その予想通り、志穂はいきなり彼らにかみついた。

「夫が亡くなり、殺人未遂事件から殺人事件に変わったからあなた達が再び捜査するというのは理解できます。でもその前に何故このタイミングで容態が急変したのかは調べて頂けないのですか」

「もちろん調べています。先に事情聴取を行った静岡県警から話を聞いていますし、私達も医師らに対する聴取を改めて行いました。しかしお話を伺う限り、ここ最近第三者が病室へ入った形跡はありませんでした。もちろん今日も医師や看護師の他、あなたを含めご家族しか病室には入っていません。これは複数の人物の証言で明らかになっています。特に異変が起こった際、あなたとお兄さんの剛志さんは担当医師と別室にいた。お母様だけは病室や休憩室にいたと伺いました。どうやら余り体調が良くないようですね。ああ、これは話しがずれました。要するにご主人を刺した犯人が、口封じの為に来た可能性はないと言っていいでしょう」

「医療過誤の可能性はどうですか」

 久慈川は顔を顰めた。

「それも先に駆け付けた静岡県警の捜査員や医師達にも確認しましたが、不自然なものは特に見つかっていません。おっしゃる通り四年以上も容態に大きな変化がなかったのに、このタイミングで何故と思われるのは理解できます。ただ四年以上も意識不明の状態が続いたからとも言えるでしょう。医師の話ではそう解釈できます。ですから直接の死亡原因は誤嚥性肺炎ですが、刺傷されて意識が戻らず長期入院を強いられた結果亡くなったと考えて良いでしょう。よって今回の事件は未遂でなく殺人罪として扱われます。そうなると時効は二十五年から無期限となる為、犯人が逮捕されるまで捜査は続きます」

 彼の頭は犯人を捕まえることしかないようだ。それは刑事だから止むを得ないのかもしれない。また彼は事件発生当初から関わり、追い続けているのだから。

 志穂は彼の態度を見て諦めたようだ。突然の死で困惑し取り乱したが、これ以上病院側を疑っても無駄だと思ったのだろう。またやはり憎むべきは、尊を刺した犯人だと考え直したのかもしれない。あんな事件が起きなければ、こんな事態にもならなかったからだ。

 しかし刺した犯人が現れた形跡はない為、捜査の進展に寄与する情報などない。ただ被害者が死亡したという新たな状況の変化により、停滞しつつあった警察の動きを刺激する効果はあったと言える。それはマスコミが尊の死を嗅ぎつけ、新たに騒ぎだしたからだ。

 一時期はテレビのワイドショー等でも大きく扱われた事件だったが、事件の経過と次々に起こる他の大きな事件等に埋もれ風化していた。けれど丁度この頃、特別な話題が少なかった影響もあったのだろう。かつて世間を騒がした事件として、再度大きく取り上げられたのである。

 事件発生後に被疑者として名を挙げられた人物が、次々と事件を引き起こし逮捕者が出ただけでなく死亡者も二人出ていた。それなのにまだ犯人は逮捕されないまま、四年以上意識の戻らなかった被害者がとうとう死亡したのだ。

 一体誰が犯人なのか。被疑者と思われた人達の中にいるのか。それともこれまで捜査線上に挙がってこなかった、全く別の人物なのだろうか。被疑者として名を挙げられた人達は、あの事件でどう人生が狂ったのか。

 そうした多くの話題性が受けたのだろう。四年の時を経て再び連日ワイドショーや週刊誌の紙面を賑わすようになったのである。

 こうなると逮捕できていない警察は批判を浴びた。よってかなり人数が縮小されていた捜査本部も、殺人事件に変わったとの名目で大幅に増員され、再び当時の関係者達を訪れ聴取するようになったという。

 志穂もかつて疑われていた経緯があった為、彼女の周辺にはマスコミがまたしつこく訪れた。以前は義父が盾になってくれたおかげで、近所の人達を含めた興味本位な騒ぎは最小限で済んだと剛志や義母の会話で聞いている。しかし今度はどうなることかと尊は不安だった。

 しかしそんな心配はそれ程必要なかった。というのもかつては自らも噂話に加わっていた多くの農家達が、しつこく追ってくるマスコミを意外にも追い出してくれたのである。

 剛志達の設立した複数の農家を集めた法人が軌道に乗って収益を上げていたこともあり、また義父の功績を称える人々が相当数いたからだろう。または田舎独特の身内に優しい分、排他的な村意識が働いただけなのかもしれない。

 人の心理というのは不思議なもので、顔見知り同士が勝手に噂し騒ぐ場合はいいけれど、他人が執拗に追いかけ回すのは我慢ならないようだ。見かけない顔がいれば、小さなコミュニティではすぐ分かる。よってそうした者がうろついていた場合、地域の人達が必ず声をかけていた。

「あんた達、どこの人だ。マスコミだったら、あっちへ行きな」

「夏目さんとこの娘さんを追いかけているんだったら、容赦しないからな」

 元々事件については志穂をはじめ、これまで夏目家の人間が周囲の人達に話しをしたことなどない。その為何人かは声をかけられ取材を受けた者もいるようだが、詳しい事情を知る人など誰もいないのだ。結果追い出されるか何の収穫も無く引き上げるしかなかった。

 そうなると次の標的として和喜田や宇山の遺族を直撃する記者達もいたようだが、当の本人は共に亡くなっている。野城はまだ服役中だった為、直接話を聞く事がそう簡単にできない。よって取材にも限外があった。

 ちなみに尊の両親達の元へも取材陣は訪れた。けれどその前に志穂の所へ駆け付け、

「ご主人が亡くなられ、多額の遺産を受け取られたとの話を聞きましたが本当ですか」

「ご主人の休職期間が終了して収入が途絶えてから亡くなられたというのは、余りにタイミングが良すぎだと思うのですが」

などと声をかけている姿をワイドショーなどで見かけたからだろう。さらにネット記事で

― 刺した犯人は奥さんか? 意識不明なのをいいことに、傷病による休職で得られる収入を最大限まで受け取り、止めを刺した? 保険金等を受け取る為の犯行か? ―

とまで掲載された。

 よって被害者には子供がいない為、多額の遺産の相続人は妻だけでなく、両親も含まれると広く知れ渡っていた点が影響したようだ。

「ご両親は、息子さんが亡くなられたことで発生する遺産は受け取るのですか」

と記者達から質問を投げかけられていた。そこで両親は以前話していた筋書き通りの話を告げたのである。

「私達は家庭裁判所に遺産放棄の申し立てを行いました。これは以前から志穂さんとの話し合いにより決めていた事です。よって息子の死により受け取る財産は一円もありません」

 これには駆けつけた多くの記者達も意表を突かれたのだろう。目を丸くして尋ねていた。

「それはどうしてですか」

「息子に万が一のことがあれば、彼女達との関係を完全に切ると決めていたからです。相続する手続きを始めれば、嫌でも繋がりは出来てしまいます。私達は息子が刺された事件の真相は何だったのか分かりませんが、亡くなったのなら関わりを絶とうと苦渋の決断をしました」

 両親達と尊達との関係は相当拗れていたと、以前騒がれた時から彼らは知っていた。よってその言い分に説得力があったからか、すぐ理解されたらしい。その為記者達の関心は、別の方向に反れた。

「もし今後、息子さんの奥様が殺人に係わっていたと分かった場合、ご両親はどうされるおつもりですか」

「考えたくもありませんが、その場合は彼女を責め、息子の遺産も全て回収することになるでしょう。彼女が相続欠格となれば、遺産の相続人は息子の兄だけになります。彼が弟の無念を晴らしてくれるはずです」

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