第五章~⑥

 確かに彼女も事故で亡くなっていれば、家宅捜索はできず血痕も発見されなかった確率は高い。また彼女の自白が無ければ、物証は少ないので状況証拠しかなかった。それだけでは立件できない恐れもあった。もし今後彼女が供述を翻せば、裁判は相当揉める可能性だってある。

 けれど彼女の態度を見る限り、そうした心配はなさそうだ。下手に裁判が長引き、しかも尊を刺した犯人で無いと主張すれば、疑われるのは母親だ。彼女はそれを望んでいない。何故なら全ての動機は、母親を助ける為だったからである。

 考えられるのは、今後彼女が自らの命を絶つケースだ。しかし十三歳で尊の殺害計画を立てて実行し、ここまで逮捕されずにいた彼女はかなり聡明といえる。それなら自殺した場合のメリットとデメリット位は思い付くだろう。

 メリットは彼女も口にしたように、母親が苦しむ姿を見なくて済む点だ。デメリットとしてはこれから自殺すれば、母親がもっと責められる確率が高くなってしまう点である。それらを天秤にかければ、思慮深く母親思いの彼女なら後者は避けたいと考える可能性が高い。

 ただ勾留中の行動は、相当注意しなければならない人物だと言えるだろう。母親の負担を軽くする目的で祖母と無理心中を図った娘なのだ。今回の件は事故で無く意図的な殺人事件だとすれば、様相は大きく変わってくる。

 車を運転していた側の過失はゼロにまでならないまでも相当修正が欠けられる為、撥ねられた人物は死亡しているけれど、刑罰を科される可能性は低くなるはずだ。もちろん賠償金なども減額されるだろう。

 そこで尊は気付いた。同じ無理心中でも車を相手にしたのは、賠償金が目当てだったのかもしれない。彼女の家は経済的にも長年苦しんできた。もし二人いなくなれば、家計は相当助かる。その上でお金が支払われるとなったら、母親の生活はかなり楽になるはずだ。

 久慈川もその点を指摘した。

「事件をうやむやにするだけでなく、事故で二人死ねばお金が入る。それも期待していたんじゃないのか」

 図星だったらしい。彼女は顔色を変えたが、そこは頷かなかった。

「まあ賠償金を騙し取ろうとしていたのなら詐欺罪だが、今回は自分から飛び込んだと自供しているから未遂だ。二件の殺人罪に比べれば軽い。しかしそこまでして何故母親を助けようとする」

 この問いにも彼女は反応しなかった。やはりこの刑事は優秀らしい。事件の全てはそこに繋がっている。動機にかかわる重要な点だ。どうしても解明しておきたいのだろう。

 尊だって気になった。こう言っては何だが、母親のせいで彼女は苦労させられたともいえるからだ。それを憎むどころか、まだ労わろうとする気持ちは一体どこから生まれてくるのだろう。

「そもそも最初の事件がそうだったよな。君は小学生の時からお祖母さんの介護だけじゃなく、食事や洗濯や家の掃除などをしてきたんだろう。勉強をしなければならない学生だし、遊びたい盛りだったはずだ。それらをほとんど放棄し、一生懸命母親の手助けをしてきた。偉いと思うよ。おじさんにも今年中学生になった娘がいる。しかし家事の手伝いなんて、言われないとほとんどしない。おじさんがその年頃だった時もそれが普通だった。母親を大事に想う気持ちはとても尊い。やはり父親がいなくてシングルマザーだったから、助けなければいけないと思ったのかな」

 彼女は俯いたまま、何も話さなかった。そういえばどんな理由で彼女は母親と祖母の三人で暮らすようになったのか、尊は知らなかった。担当者といえどもそこまで踏み込んだ家庭事情を聞くのは憚られたし、三鴨から何も聞いていなかった。

 そこに何か深い事情があるのかもしれない、と久慈川も考えたようだ。

「あなたの両親が離婚したのはいつだったか、覚えているかな」

 ここでようやく彼女は、か細い声で答えた。

「私が小学生になった頃」

「だったらどんなお父さんだったかも覚えているだろう。どんな人だった」

「怒ってばかりいて怖い人」

「もしかしてあなたやお母さんは、殴られたりしたのかな」

 彼女はゆっくりと頷いた。なるほど。DVに遭っていたのか。そうなると彼女が母親を守ろうとする気持ちが芽生えたのも多少理解できる。久慈川は既に捜査でその点を把握していたに違いない。しかしデリケートな問題だからこれまで口にしなかったのだろう。

 けれど彼女の動機を深く知る為には、避けて通れないと考えたようだ。DVを受けたりそれを目撃した虐待児は、精神的な影響から様々な行動をしたり思考を持つと言われる。彼女が事件を起こしたのは、その点が大きく影響した結果なのかもしれない。

「なるほど。それで耐えきれなくなったお母さんは、まだ当時生きていたあなたの祖父の力を借り、離婚して実家に戻り祖父母と母親とあなたの四人の生活が始まった。そうだね」

 そこから黙って頷く彼女に対し、彼は淡々と過去の家庭事情を時系列で話し、事実確認をしていた。それによれば、父から守ってくれた祖父は彼女が小学三年生の時、急性心筋梗塞で突然亡くなったという。その影響もあったのか、祖母の美佐江が若年性アルツハイマーと診断された。それで介護するようになったのが小学六年生の頃だという。

 それまでは祖父の年金や預貯金と母親が生保販売員として働き稼いだお金で家計を支えていたし、美佐江さんが食事の用意等の家事全般と、まだ小さい彼女の世話をしていたようだ。よって彼女は祖父に守られた後、主に祖母の手で育てられたと言える。

それだけ面倒をかけた祖母が病に倒れ、家事などもできなくなった。だから今度は彼女が祖母の介護をしながら家事等をやるようになったという。

 食事も作っていたようだが、幸いまだ症状が出ていない頃から、手伝いとして色々教わっていたらしい。また症状が軽い初期に、祖母から仕込まれたようだ。

 そこまで話した後、彼は質問をした。

「そうした行動は自らの意思だったのかな。それともそうせざるを得なかっただけなのか、どっちだったのだろう」

 彼女は言葉に詰まっていた。それでも話を続けた。

「あなたのような人を、今の社会ではヤングケアラーと呼ぶようだな。私も少し勉強して調べたよ。日本は数年前までこんな言葉はなかった、比較的新しい言葉らしい。ただ海外では、特にイギリスなどだと早くから問題視され使われていたようだ。十代の頃から家事をしたり、誰かの介護をしていたりする家庭なんて、この国では昔からあったからだろう。よって以前は家のお手伝いの範疇のように扱われ、社会問題として注目されなかった。だけど超高齢化社会で少子化が進み、また日本は世界の先進国の中でも異常な程、給与が上がらない経済状態が続いたせいで貧困家庭が増えた。そうした環境の中で何が問題となっているのかと調べ始めたら、あなたのような人が世の中には沢山いると分かった。若者が苦労して、まともに勉強できない状況だとだんだん明らかになって来た。それが教育水準の低下を招き、貧困の連鎖が続いている大きな要因の一つと言われ始めたんだ」

「それがどうかしたの。意味が分からない」

 何とか言い返した彼女だったが、その声は小さく弱弱しかった。

「そうした実態を、社会としてはしっかり把握しなければいけない。そう考え大人達が調査を始めた所、ヤングケアラーという言葉自体が無かったように、あなたのような人はそれが異様な環境だという認識をしていないと分かった。親は自分達を食べさせる為に働いている。だから忙しくて出来ないまたは手が回らない家事などがあれば、子供は手伝いを強いられた。だが手伝って役に立てば親は喜ぶ、または機嫌が悪くならないので怒られずに済む。そう子供は考えるらしいな。だけどそれって自分の意思でしていると言えるのかな。そうするよう仕向けられている、そうせざるを得ない環境だからしょうがないと思わされているとは言えないか」

「じゃあ刑事さんは、私が家事をしてお祖母ちゃんの面倒を看ていたように、芝元さんを刺し殺すようお母さんが仕向けたというの」

 話が突然飛躍した為、尊は驚いた。これまでの説明は単に家庭環境から、止むを得ず祖母を殺し自分も死のうと思うまでに至った動機を明らかにしようとする為だと思っていた。しかし彼女は違った捉え方をしたたようだ。

 けれどもそこまで想像していたのか、久慈川は表情を変えず淡々と答えた。

「それは私が聞きたい。その可能性はなかったのか、よく思い出し考えてみようか。あなたの母親の里浜奈々は毎日のように愚痴を漏らし、機嫌が悪くなったり良くなったりと情緒不安定な様子を見せ、あなたが気付くような音を立てて夜中に抜け出してはいなかったのか。芝元尊がいなくなれば、母親は落ち着くだろうと思わせられてはいなかったのか」

 彼女は激しく首を横に振った。

「お母さんはあの人が好きだった。死んで欲しいなんて考えるはずがない」

「そうだろうか。決して実らぬ想いと知り、愛情が憎悪に変わったのかもしれないよね。可愛さ余って憎さ百倍という言葉もある位だ。しかし自分の手を汚す訳にはいかない。逮捕されれば、残されたあなたや美佐江さんが困る。だけど未成年のあなたならどうか。もし捕まっても刑務所に入れられはしない。それに上手くいけば捕まらない可能性だってあった。まさか被害者に思いを寄せる女性の、しかも未成年である中学生の娘が夜中に抜け出し、ナイフで刺し殺そうなんて警察は思わないだろう。他の人から恨みや妬みを買っている被害者なら、別の大人がまず先に疑われるはず。里浜奈々はそう考え、あなたが何らかのアクションを起こすよう促した。それを洗脳と呼ぶ人もいるだろう。ヤングケアラーの経験をしていた人が、大人になって気付く場合もあるようだ。それは自分が世話をしなければ、親の手伝いをしなければ、そう思い込まされていたんだと。だけどその時はそうすることが当然だと思っていた。だけど今なら分かる。誰かに助けて貰うなり、これはおかしいと声を上げるべきだった。その知恵が無かった事を悔やむと。あなたは美佐江さんの世話や家事だけでなく、芝元尊を排除すれば母親が助かる。そう思い込まされていたのではないのかな」

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