第四章~⑦

「黄疸が相当広がっていますし、体中の臓器に癌が広まり機能不全を起こしているはずです。ここまでもったのは奇跡的だと言えるでしょう。ここからはいつ心臓が止まってもおかしくありません」

「私達はどうすればよろしいですか」

 義母の質問に医師は答えた。

「自発的な呼吸も困難になっていますので、マスクによる酸素供給が必要でしょう。それ以外はこれまで通りです。あとは見守るしかありません。意識が無くても耳は最後まで聞こえていると言いますので、時折声をかけてあげて下さい」

 そう告げられてから三日後の夜七時頃、義父は義母と志穂、剛志が見守る中で静かに息を引き取ったのだった。

 夏目家の葬儀には大変な人数が集まった。この田舎のどこにこれだけの人がいたのかと、尊は首を捻った程だ。義父は自分の葬儀を行うなら、なるだけ簡素に身内だけでしてくれと言い残していた。だが周りはそれを許してくれなかったらしい。

 義父により農家の法人化に向けて取り組んでいた仲間達はもちろん、近所の方々など大勢の人達が生前大変お世話になったからと口々に言い出し、止むを得ずその地域で最も人が収容できるお寺で執り行った。それが想像以上の事態を引き起こしたのである。

 喪主は義母だったが義父を失い呆然としており、剛志も同様だった。その為志穂が手助けに葬儀社の方々などと慌ただしく打ち合わせを行い、ほぼ全ての手配を仕切っていた。そこで彼女はもちろん、家族中が唖然とした。空中で俯瞰できた尊も目を疑った。

 驚いたことにお寺の境内は予想をはるかに超える人々で埋め尽くされ一杯になり、黒い服装をした人がそれこそ文字通り、黒山の人だかりになっていたからである。しかも外はまだコートを羽織り、手袋を嵌めなければいけない程の寒さだったにも関わらずだ。

「何だ、この人数は」

葬儀社の人達も目を丸くしてそう呟いていた。尊は会社の仕事上で、色んな方の葬儀に出る機会が沢山あった。とりわけ名古屋で営業に配属されてからの一年余りは、平均すると月に二回位は喪服を着たり数珠を持ったりした記憶がある。

 何故なら営業では支社が担当する代理店だけでも数百あり、ここでも高齢化の波が押し寄せていた。その上各代理店が持つ顧客を含めれば相当な数となる。

 その全てではないけれど、契約の扱い高の多い個人または法人顧客で不幸があれば、弔電の依頼だけでなくお通夜か告別式のどちらかには出席して欲しいと、営業店に依頼が来るのだ。

 葉山損保という上場企業と関係があると周囲に思われるだけで、故人の格が上がる。そう考えていた節もあった。もちろん顧客を囲い込む手段としても必要だったのだろう。冠婚葬祭の中で特に葬儀への出席を政治家達が大事にするのは、遺族への印象が強くなるからだ。よって営業する側にとっても同じ心理が働くのも無理はない。

 多くは担当者だけ、あるいは支社長だけなのだが、お得意様だと両方に出席したり、支社長だけでなく担当外の次席を含め、都合がつく支社の総合職並びに事務職まで駆り出されたりする場合さえあった。

 特に尊は大型代理店を担当していた為、弔電だけでは済まされず葬儀に出なければならない相手が多かったからだろう。その為数珠や黒いネクタイは会社に常備しており、いつでも行けるよう普段着用するスーツは出来るだけ地味なものを選んで着ていた。

 意図せず様々な葬式に出席してきたけれど、ちょっとした会社の社長レベルでもこれだけの人数はそう集まらない、と知っていた。お寺の周辺をざっと見渡せば五〇〇名以上いただろう。しかし驚いたのは数だけで無かった。

 というのも義父は長年この地域の取りまとめをしており、民生委員をしていた時期もあったらしい。よって厚生労働大臣や県知事、市長、さらには国会議員や警視庁からの花輪まであった。その理由はこれも大量に送られてきた弔電、弔辞の一部を聞いて納得した。

 民生委員というのは民生委員法に基づき、都道府県知事の推薦により厚生労働大臣が委嘱する非常勤の特別職の地方公務員にあたるものだ。ただし活動について交通費などの実費は払われるが、給与の支給はない。

 しかし地域の住民の生活状態を把握しそれを援助することを目的とされている中、複雑な家庭事情まで入り込む必要性が求められる民生委員は、相当な人望や見識、信頼を得た人でなければ務まらない役割だという。

 個人情報保護法から起こる個人世帯情報の管理問題や、幼児虐待または若者や老人の引きこもり、妊産婦問題など多様化する家庭環境で対応も困難らしく、なり手が急激に減少している為、社会問題にもなっている。

 そうした背景の中、民生委員または地域の取りまとめ役として携わった義父の、長年に渡る功績が称えられているのだと理解できた。その上出席している面々も地元選出の国会議員や役所関係のお偉いさんといった人がいた為、慌てて特別席を用意したほどだ。

 形式だけではない。葬儀に集まった人々は皆、義父に世話され感謝している人達が多かったからだろう。顔を見れば分かったが、義理で参加していると思われる表情をした人などほとんどいなかった。それぞれが心の底から義父の死を悲しみ、惜しんでいる人達ばかりだった。それが寒空の中、五百人を超えていたのである。

 これは翌日の告別式も同様だった。お通夜以上の人が集まり、厚生労働大臣や県、市、警察からの表彰状まで届けられ飾られていた。粛々としながらもそれぞれが心から義父の死を偲ぶ、素晴らしい葬儀となったのだ。

 告別式も無事終わり、火葬も済ませて家へと戻った志穂達は慌ただしい二日間の疲れをいやす為、ゆっくりとした時間を過ごしていた。そしてしばらく経った時、志穂はポツリと言った。

「考えさせられるね」

「何を」

 剛志が尋ねると彼女は口にした。

「葬儀社の人達も言っていたけど、この辺りだけじゃなくこれまでやってきて、あれだけの人が集まり、亡くなったことを惜しんでいた葬儀は初めてだったらしいよ」

 確かにそうだ。尊も大きな企業に勤めていた会長や社長、役員などが亡くなった際の葬儀に参加してきたが、多くは無理やり参加させられた従業員や関連会社または取引先の人達ばかりで占められていた。そうした場所ではやはり漂う空気が違う。本気で嘆いていないとすぐ分かるのだ。

「そうらしいな。俺も感動したよ。親父はこれだけ慕われていたんだと、改めて思い知らされた。人は亡くなった時、その人が何をやって来たかが表れるのかもしれないな。俺が死ぬ時、あれだけの人に惜しまれるかどうかって考えたら、とてもじゃないけど自信ない。いや絶対無理だな」

 義母も頷いていた。

「私だってそうよ。あの人は昔から、この地域のことを真剣に考えていたからね。仕事もしっかりしていたけど、自分の田畑ばかりじゃなく周囲の人と一緒に作物を育てて、盛り上げようとしていたから。それを近くで手伝って来たけど、本当に一生懸命だったよ」

「そうだな。それこそ最後の最後まで、法人化の夢は捨てていなかった。だから生きている間に、成果が出た所をみせたかったよ」

 法人化の話は義父や剛志達の働きもあり順調に進んでいたけれど、まだ最終合意までには至っていない。ただ国からの補助金等の申請が通り目途が付き始めたこともあり、会社設立まで後数ヶ月というところまで来ていたのだ。よって義父の取り組みは決して無駄ではなかった。

「でもお兄ちゃんも必死にやっていたじゃない。だからあと少しの所まで来たんでしょ。これからだってお父さんの代わりに頑張らないと」

「もちろんやるよ。俺は親父の背中を見て農家を継ぎたいと思ったし、この地域を盛り上げたいと考えているのも同じだ。親父ほど慕われるのは無理でも、後継者として少し位近づけるよう努力はするさ」

「あんた達、誤解しないで頂戴よ。お父さんは慕われようとしてやっていた訳じゃないの。心の底から自分がやりたいと思うことを、コツコツと続けてきただけ。それが結果的にああいう形で目に見えたけど、普通は表に現れるものではないし、そうなろうとして出来るものじゃないから」

「そうだよね。人に親切したからって下心があったら見抜かれると思う。お父さんはそうじゃなかったから、皆感謝して悲しんでくれたんだろうね」

「それでも味方ばっかりじゃないよ。敵だっていたんだから」

 義母の言葉に志穂は驚いていたが、剛志は頷いていた。

「そうだよ。あれだけ親しまれていた分、妬みなんかもあったんだ。自分より優れているとか、人望があるというだけで気に食わないと思う人は一定数いる。農家の法人化を進め有機農法を広める話だって、良いと思いながらも親父が口を挟んでいる間は首を縦に振りたくないって奴が実際にいるんだ。上手くいったら手柄になってしまう。だからまだ認めないってね」

「そんな人がいるの」

「ああ。だからそういう人達は抜きで、先に賛同する人達だけ集めて会社を設立しようとしたんだけど、それはそれで気に入らないらしくてさ。何かと文句をつけて邪魔するんだよ。でも親父が亡くなっただろう。そうしたら多分そいつらは、設立に賛同し始めると思うんだ。現にそう言っていたらしいと耳にしたから」

「何、それ」

「葬儀の時に、そいつらが集まって話をしていたんだってよ。親父がいなくなったから、そろそろいいんじゃないかと相談していたってね。あいつらは死ぬのを待っていたんだ。余命僅かと聞いていたから、少し位長引いても損はしないと思っていたんだろうな」

「酷い。あんまりよ」

「でも親父はそういう奴らがいると理解していたよ。だから俺が死んだら話が早く進むだろうから、それまでの準備をしっかりしておくよう言われていたのさ。それでも生きている間に設立させたかったな」

 彼はそう言って涙を浮かべた。そういえば二人でそんな話をしていた。だから義父は生きている間に設立は叶わないと覚悟し、その後のことばかり気にしていたのだろう。自分の名誉なんてどうでもいい。一人でも多くの農家が豊かになるよう心を砕いていたのだ。

「そうだったんだ。あれだけの人が死を悼んでくれたのに、そういう人もいたんだね」

「そうさ。だから志穂。尊さんもそうだったんだと思う。警察の捜査でも多くの人から親しまれ、慕われていたと聞いたんだよな。それでも一部の人から恨まれていた。それだって親父と同じように、尊さんが悪いんじゃない。勝手な逆恨みや妬みなんだ。そういう人の心までは誰も止められない。何が言いたいか、分かるよな」

 彼女は黙って頷いた。その様子を見て彼は続けた。

「それならいい。ところでこれからどうするつもりだ。葬儀が終わったばかりでする話じゃないのかもしれないけれど、何か考えているのか」

「どういう意味よ」

「志穂がここへ帰って来たのは、親父の世話とここの家事の手伝いをする為だったよな。お袋が田畑の仕事に専念できるように。俺ともう一人の手伝いだけじゃ、仕事が回らなかったから正直助かった。今更だけど改めてお礼を言うよ。有難う」

「何よ、そんな改まって。家族だから当たり前でしょう」

 戸惑う彼女に、彼は首を振った。

「いや、意識が戻らない尊さんを転院させるリスクを負ってまでこっちへ来てくれたんだ。そう簡単に決められる状況じゃなかったはずだ。でも親父はもういない。だから世話をする必要もないし、家事だってお袋一人いればもう十分だ。畑の仕事だって法人の設立が上手くいけば、今後お袋に万が一の事があっても代わりの従業員に任せられる。だからもう志穂がこの家に居なければならない理由はないんだ」

「だからといって、また名古屋に転院させる理由もない。尊さんの意識が戻れば別だけど」

「じゃあそれまではこれからも一時間近くかけて、ここから病院へ通うつもりか」

「そうするしかないと思う。わざわざ病院の近くに部屋を借りるつもりはないよ。お兄ちゃんはそうすると思ってたの」

「いや、どうするつもりなのか、聞いておきたかったんだ。なんせここは田舎だろう。これまでは尊さんの様子を見に行き、親父の看病や家事までやって忙しかったから、それほど気にならなかっただろうが、これからは違う。普通にここで生活するとなったら不便だと思うんじゃないか」

 剛志はずっとこの実家から高校も通い、その後実家を継いでいる。だが勉強が出来た彼女は地元の中学を卒業し、高校からは偏差値の高い静岡市内の寮がある女子校に入った為、早くから家を出ていた。

 その上大学や就職も東京だ。そこで尊と出会い結婚し、大阪、京都、名古屋と栄えた都市圏ばかりで過ごしてきたのだ。

 恐らく彼はその点を危惧しているのだろう。今年で四十五になる彼女は、実家を出て既に三十年近く経つ。それなのに今更田舎暮らしができるのか。そう言いたかったのかもしれない。

 彼女も意図を理解したようだ。その上で首を振った。

「ここに来てもう一年近く経ったでしょう。だから結構慣れたよ。確かに不便だけど、尊さんの様子を見る為だけに引っ越すのは違うと思う。今はまだ休職期間で給与が支払われているし、医療費もまだ労災から出ているから経済的な問題はないよ。でも休職期限まであと一年もないし、残り半年からは支給額が三割近く少なくなるけどね」

「そうだったな。まあここに居たら家賃はタダだし、光熱費や食費も一人でいるよりは全然かからない。余計な出費が抑えられる分、貯蓄は増えるだろう」

「うん。期限が過ぎても尊さんの意識が戻らなかったら、収入は途絶えるでしょう。だから無駄遣いはしない方が良いと思って」

「確かにそうだな。でも志穂はもう働かないのか。もちろん無理にしろという意味じゃないけど、ずっと尊さんの様子を見ているだけで過ごすのは辛くないか」

「それは今のところ、全く考えてない。事件があって最初の頃はマスコミに騒がれたりしてそれどころじゃなかったし、落ち着いてからもそんな気分には全くなれなかったから」

「そうだよな。その後親父の病気が発覚してこっちへ来てくれたから、それどころじゃなかったのは分かる。しかし問題はこれからだ」

「ごめん。少なくとも休職期限が来て退職するまでは、尊さんの意識が戻るのを待ち続けるしかないと思う。その後のことはそうなった時に考えるつもり。だから今はここから病院へ通わせて。家事もこれまで通りやるから」

 それまで黙っていた義母が口を挟んだ。

「それはいいのよ。これからはもっと好きなようにしなさい。あなたにはその権利があるの。ここを出ていくと決めたならいつでもいいし、いたいと思うのならいればいい。面倒なご近所付き合いは、これまで通り私や剛志が主にやる。あなたはここに来る前と同じく、尊さんの意識が戻るよう願っていればいいから」

「有難う、お母さん」

 そう言った彼女の目は潤んでいた。義母と剛志はそれを黙って優しい目で見つめていた。

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