第三章~①

 野城が和喜田に対する傷害致死で逮捕された後、既に起訴され裁判が始まっていた里浜奈々に対する判決が出た。

 被害者が軽傷で済んでいたのに事件から約十カ月と比較的時間がかかったのは、彼女の罪を通常の殺人未遂で裁くのは余りに量刑が重すぎ、情状酌量の余地があるのではとの点で揉めていたからだという。

 本来殺人未遂罪は死刑または無期もしくは五年以上の懲役で、殺人罪と同じ法定刑が適用される。対して単なる傷害罪では十五年以下の懲役または五十万円の罰金と量刑は大きく違う。もし傷害罪で懲役が選択された場合、判決に執行猶予がつけば直ちには刑務所に収監されず、社会の中に戻り更生を目指す可能性が発生する。

 けれども執行猶予は前提条件として三年以下の懲役の言い渡しを受ける必要があり、殺人未遂罪はその条件を満たさない。つまり原則として必ず実刑判決は下されるのだ。

 ただし例外があり、刑法第四十三条の未遂減免が適用される可能性は残っていた。またDV被害に遭ったり、介護疲れで誰も頼れる人がいなかったり等犯罪の情状を酌むべき事情が認められるケースでは、刑法第六十六条の定める酌量軽減がなされる可能性もあった。 

 これらの規定が適用され、刑が三年以下に減軽された場合は執行猶予が付く確率が高くなる。よって里浜についた弁護士は、彼女の家庭事情を取り上げ裁判官に訴えたのだ。

「被告はシングルマザーで、現在まだ十四歳の娘さんを抱えているだけでなく、六十歳だというのに若年性アルツハイマーにかかり介護が必要な母親がいます。その家計を一人で支えていたのが被告であり、事件の発端となった芝元尊刺傷事件が発生する以前から、情緒  不安定な状態だった点は警察の事情聴取からも明らかです」

 そこから里浜には確かなアリバイがあったにも関わらず、実名は伏せられていたものの刺傷事件の被疑者であるかのようにテレビや週刊誌で取り上げられ、心理的に追い詰められていた点も述べられていた。

 その上裁判で尊は初めて知ったが、彼女は三鴨の会社に転職する以前から体調を崩しがちだったようだ。その際眠れないからと、睡眠導入剤を時々処方されていたという。生保販売員として思うように営業成績が上げらないと収入も減少する。そうなれば家計に響く、といった様々な不安を常に抱えていたからだろうと想像出来た。

 こうした状況を見かねた三鴨は、収入が安定する事務員として彼女を雇ったようだ。ただ見込みが甘かったせいで彼女はその後も苦しんでいた。けれど尊が赴任してから吉岡との二人によるフォローの甲斐あって、多少は落ち着きメンタルクリニックへの通院も途絶えていたらしい。

「さらには任意聴取という名の取り調べが警察によって何度も行われた結果、被告の娘は学校で苛めにあい孤立し、不登校となりました。そうした状況によって被告の情緒不安定な症状が再発して拍車がかかり、精神的重圧に押し潰されていたのです。その結果、元々こんな目に遭ったのは芝元尊を刺した犯人のせいだと思い立ち、苦境から脱しようと当時名を挙げられアリバイが無かった和喜田氏を襲ったのです。警察の聴取で被告は殺意があったと供述していますが、それは和喜田氏が芝元尊を刺したと言わなかったからだとも述べています。もし素直に認めていたら命だけは助けてやるつもりだった。殺してしまったら警察に突き出せない。そう供述しています。つまり明白な殺意があった訳ではありません。それに今は不幸にも亡くなってしまいましたが、和喜田氏が芝元尊を刺した犯人だと疑ったのは被告だけではありません。現在傷害致死で現在起訴されている野城氏も、真実を明らかにしようと迫った結果、意図的でなかったといはいえ殺してしまったのです。もちろん芝元尊を刺した犯人かどうかは不明ですが、それ程疑われていた人物だったことは明らかです。よって今回の事件で被告は殺人未遂罪でなく傷害罪で罰せられるのが妥当であり、情状酌量の余地があると考えます」

 あの女は頭がどうかしている、と事件における聴取で和喜田が供述しており、現場で彼女を取り押さえた人達の証言からも精神的に不安定だった点は検察も認めざるを得なかったようだ。その結果、判決は懲役三年に酌量軽減され、五年の執行猶予までついた。

 刑法第四十三条の未遂減免は事故の意思により犯罪を中止した時に限るので、周囲の人達が止めていなければ刺し殺していた可能性は否定できなかった為、認められなかった。 

 けれど未成年の娘一人と、要介護の母親の存在が大きく影響したのだろう。刑法六十六条により情状酌量され、本人も大いに反省している為、家庭に戻り彼女達と暮し社会的に更生させることが適切だと判断されたようだ。

 よって彼女は無事娘達の元に戻ることができ、しかも引き続き三鴨により代理店の事務員として再雇用されたのである。精神の不安定さに拍車をかけてしまった負い目が、そのような思い切った決断をさせたのかもしれない。

 彼女の留守の間、祖母の介護などは引き続き区の福祉課や民生委員達とデイケアにより何とか対応していたという。娘は周囲の勧めと応援もあり、学校へ通い始めていたようだ。

 また傷害致死罪で起訴されていた野城には、意図的な殺人ではなく計画性も無かった点や、ナイフなどの凶器も所持していなかった状況を考慮されたが、理不尽な暴力によって人一人の命を奪った罪は重いとされ、後に懲役五年の実刑判決が下った。

 それでも傷害致死罪は三年以上の有期懲役に処せられ、三年以下で執行猶予が付くケースは一割にも満たないこれまでの判例を考えれば、比較的軽い刑で済んだと思われる。

 こうして尊の刺傷事件で被疑者として名を挙げられた人達による負の連鎖は、ある程度治まったかに見えた。

 けれど今度は、志穂が別件で新たな災難に巻き込まれてしまったのである。

 一難去ってまた一難と言っていいのか、負の連鎖が続いていると判断していいのかは分からない。どちらにしても、尊は再び彼女の頭上で見守るしかなかった。

 というのもまず尊には実家との関係を拗らせていた事情があった。父親の義文よしふみは東京の下町で三代続く不動産会社の社長だ。しかし三代続けばと言われるように、尊だけでなく周囲の評判はすこぶる悪かったのである。

 傲慢で自分勝手なワンマン経営とゴルフや女遊びにうつつを抜かしているせいで、最近業績が傾きつつあると聞いていた。それでも金儲けが好きで、幸いギャンブルだけは嫌いという点は良かった。

 しかし保険も同じとの考えから、尊の就職にはずっと反対し続けていたのである。彼の口癖はこうだ。

「ギャンブルと保険は、当たれば貰える、当たらなければ貰えないし金は返ってこない。そんなものに金を費やす奴は馬鹿だ」

 そんな父親は、尊が刺されたと聞き病院に駆け付けた際も志穂に向かって、

「だから保険会社なんかに入るんじゃないとあれほど言ったんだ。あんな信用ならない紙切れを売って金儲けしているから、おかしな奴に恨まれ刺されたんじゃないのか」

と怒鳴りつけ、まるで責任の一端が彼女にもあるかのように責め立てたと後で知った。

 その上意識不明だと分かった時はそれなりに心配していたようだが、世間が事件について騒ぎだしてからは三流週刊誌の記事を鵜呑みにし、巻き込まれたくない一心からか病院に近寄りもしなかったのだ。よって志穂もこれまで通り、連絡を絶っていたのである。

 というのも両親達は幼い頃から裕福で都会育ちだった為か田舎者を馬鹿にする傾向があり、社会的弱者への偏見も酷かった。その為に尊の結婚相手である志穂の実家の夏目なつめ家が静岡の農家だと聞き嘲笑い、猛反対していたのだ。よって親同士の顔見世の場でも険悪となり、結婚当初から実家とは全くの疎遠になっていたのである。

 当時は理解ある祖父母が健在だった為、間に入ってくれ結婚式だけは無事挙げられ事なきを得た。けれど尊が事件に遭う三年前に二人が事故で亡くなってからはその葬式で顔を見て以来、事件があるまで実家と連絡を取っていなかったのだ。

 幸いにも三つ年上の兄のまなぶが父の会社に勤め結婚し息子と娘もいた為、後継ぎ問題や介護などに頭を悩ませる必要がなかったからでもある。尊は本気で実家との縁を切りたいと考えており、志穂も本人の意思を尊重すると言ってくれていた。

 だが両親は本気でそう思っていなかったようだ。何故なら右肩下がりとはいえ、曲がりなりにも三代続く不動産業者だから所有する資産はそれなりにあった。よって両親のどちらかが亡くなった場合、その配偶者と子供である兄と尊に少なくない遺産の相続権が発生する。  

もしバラバラで受け取れば、一族経営する会社の業績に影響してしまうと怖れたのだろう。

 けれどそんなものは放棄して良いと本気で考えていた。そうすれば会社の後継者である兄と揉める心配もない。その代わり兄夫婦には、残った親の面倒を最後まで見て貰える。

 これまでは東大を出た優秀な弟がいるとはいえ、転勤のある一流企業に就職していた為、会社を継ぐのは兄だと彼は安心していたはずだ。尊も各地を渡り歩き仕事も忙しかったので、わざわざ口にする必要など無いと放置していた。

 しかし尊が刺され意識不明の状態が一年以上続いたからか、そうした問題が表面化し始めたのだ。一時は容態が安定し、後は意識が戻るだけだと尊の両親や兄夫婦達は安堵していたという。 

 だがなかなか目を覚まさず、このまま長引けばやがて容態が急変し命を落とす可能性が出てきたからだろう。特に兄夫婦が気を揉みだしたのだ。何故なら一族経営なので節税対策の為、祖父母は事故死する前から資産の一部の土地や会社の株を、尊名義にしていたからである。

 もちろん固定資産税などは全て父親達が支払っており、尊は全く関与していない。それでも法律上は尊の持ち分である為、死亡すれば配偶者の志穂が三分の二、両親が三分の一を受け取ることになる。それを彼らは嫌がった。

 生きている間に名義変更出来れば簡単に済む話だ。けれど本人は意識不明の為、代行するとしても志穂の協力が不可欠になる。しかも印鑑をただ押せばいいという問題ではない。決して安くはない価値の土地や株の権利を動かすのだ。そこには資産譲渡にかかる税金など、様々な問題が生じる。

 これが尊の死亡後なら、志穂が三カ月以内に家庭裁判所へ相続放棄の申し立てを行うだけでいい。これに関して尊は、実家と関わりを持ちたくない為に放棄したいと彼女や両親達にも以前から告げていた為、皆で話し合えば問題なく解決しただろう。

 けれど尊が不在の状態で、本当にそうした手続きを志穂が行うかは疑わしい。そう両親や兄夫婦は考えていたようだ。

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