第二章~⑧

「凶器は現場に残されていたが、返り血を多少浴びていた確率は低くない。そうした血痕が衣服に付いていれば、処分する為に着替えるだろう。だがその際、どこかに付着していたとしてもおかしくない。素人が完全にそうした痕跡を消すのは相当困難な作業だ。その可能性に賭けていたんだけどな。残念ながら証拠となるものは全く見つけられなかった」

「里浜が逮捕された時、そこまで詳しい家宅捜索は出来ませんでしたよね」

「それはそうだ。当時彼女は和喜田に対する殺人未遂の罪で逮捕されたが、芝元の事件時にはアリバイがあったからな。事件を起こした場所も自宅から離れた駅で、凶器はその場で回収され身柄も確保された。そのせいで鑑識を入れて血痕が残っていないか、部屋の隅々まで調べようとしたけれどその必要はないと上から許可されず、普通の家宅捜索だけしかできなかったのだからしょうがない。今回は傷害致死とはいえ、相手が死んでいる。また野城には当時アリバイがなかった。だから無理を言って鑑識まで入れたんだがな」

 初めて耳にした内容だ。尊を刺した犯人を捕まえられずにいる警察は、もう碌な捜査などしていないのだろうと思っていたが、少なくとも彼らは諦めていなかったようだ。それを知って胸を撫で下ろす。

 幽体離脱した状態だと、流れる時間の感覚が良く分からない。だが意識不明の状態が長引き、病院へ通い様子を見続けている志穂が日々疲れていく姿を目にしていたら、少しでも早く彼女の精神状態を落ち着かせたいと思うのは当然だった。

 尊が自分の体に戻り、意識を取り戻すのは一番いいと分かっている。しかしそれが叶わないなら、せめてこんな目に遭わせた犯人を一刻も早く捕まえて欲しい。そうした想いが日々募るばかりだ。

 それでも今回、被疑者から外されていたはずの里浜まで、彼らはまだ疑っていたと知り驚く。それだけ様々な可能性を探っていると分かり安堵する一方で、捜査自体がそれだけ行き詰っているのだと肩を落とさざるを得なかった。

「調べたら何か出てきたかもしれないと思いますか」

 悠木の問いに、久慈川は首を捻った。

「いや、それは分からない。彼女の確固たるアリバイは崩しようがないものだったからな。ただ気持ちが悪いだろう。何も出て来なければ、彼女は全く関係なかったと思うしかない。だが芝元の事件後、犯人ではないかとマスコミに騒がれた里浜と宇山、さらには野城までが事件を起こし、その四人の内二人が死んで二人は逮捕されたんだ。これは明らかに異常な状況だろう」

「逮捕されて生きている里浜にはアリバイがあり、もう一人の野城も和喜田を襲う事件を起こした動機や家宅捜索の結果を考えれば、被疑者から外すしかないでしょう。そうなると死んだ二人の内、どちらかだったのでしょうか」

「そうかもしれないが、違うかもしれない。特に和喜田の場合は、里浜に殺されかけたにもかかわらず、犯行を認めなかった。野城に迫られた時も同じだ」

「そう考えると宇山だって、野城が犯人だと思ったから襲ったと供述したようですからね。ただ私達警察による正式な尋問ではなく、社内での聞き取り調査結果ではありますが」

「あいつの場合は芝元刺傷事件後に起こった環境の変化やバッシングで、精神的に病んでいた可能性が高い。野城に対しても以前酒で暴言を吐き、そのせいで担当外される等評価を落としている」

「でもそれは自業自得ですよね」

「普通なら他人はそう考えるだろう。だが当の本人がどう思っていたかなんて誰も分からない。芝元が和喜田や宇山、野城から妬まれていたのだって、本人が何かおかしな言動をしたという証言は全くなかったし、和喜田は里浜に襲われ被害者となった際、素直に一方的な嫉妬だったと認めていた」

「野城も今回の取り調べで、同じような供述をしていましたよね」

「ああ。他の代理店に契約を取られたと揉めた際、芝元が間に入り上手く丸め込まれたと言っていたが、本当は自分が悪かったのだと気付いていたようだからな。芝元の仕事における優秀さは素直に評価していたようだし、東大卒だとか葉山出身だとかというのもこちらの勝手な嫉妬だと認めていた」

「そうなると消去法で行けば、宇山しか残りませんね」

「しかしあいつの自殺した場所は借り上げ社宅だったから、部屋の家宅捜索を行った際も念入りにしただろう。だが血痕などは発見できなかった。遺書でも否定している」

「単に証拠を残さなかった、または残らなかっただけでしょう」

 だがそこから話題はおかしな方向に流れ始めた。

「その可能性は否めない。どちらにしても宇山は明らかな自殺だから、ボカーソウルとして再びこの世に現れる可能性はない。和喜田なら出てくるかもしれないが、野城による傷害致死だと多くの社員による目撃証言を得ているから、今更知らなかった事実が出るとは思えない。それにわざわざ出て来て芝元尊を刺した犯人が、実は私だったと自白するはずもないだろう。そんな例は日本だけじゃなく、他の国でもあったとは聞いていないからな」

「不謹慎かもしれませんが、ボカーソウルの話をするなら芝元尊が息を引き取り死亡して出てくれば、色々なことが分かるかもしれませんよね」

「ああ。刺された際、犯人の姿を目撃していたかもしれないからな。そうだとすれば誰だかはっきりする。ただそれを裏付ける証拠が見つかるかどうかとなれば話は別だ。もし完全に痕跡を消し去っていた場合、ボカーソウルの証言だけで逮捕するのは難しい」

「明らかに被害者と犯人しか知り得ない事実が出てくれば別ですが、現場の状況から犯人は暗闇に隠れ突然背後から現れナイフで刺し、凶器を残したまま逃亡したと見ていいでしょう。そうなると物証は、犯人が身に着けていた衣服などに返り血を浴びた痕跡しかありません。ゲソ痕もありましたが不鮮明だったので、サイズも限定できず二十二から二十六と範囲が広すぎます。それに履いていた靴を捨てていれば確定は難しいですからね」

 重要参考人に挙げられていた人物の足のサイズは、皆その範囲だったという。ちなみに凶器は大量生産されている果物ナイフで、百円ショップなどでも手に入れられる大量生産されたものだと分かり、結局入手先の特定は出来なかったらしい。

「そうだな。逃げていく犯人の姿、または刺された瞬間に振り返り顔を見た可能性はあっても、何か会話を交わすなどの時間なんて無かったはずだ。そうなると秘密の暴露はそう期待できないか。というよりそもそも被害者が亡くなってから二年以内にボカーソウルは現れるんだ。それに彼はまだ生きている。出てくるとしても、それはもっと先の話だろう。刑事がそんなもしもの可能性に賭けているようではおしまいだよ」

「そうですね、すみませんでした。でもあの期間は死んでから二年なんですかね。それとも事件が起こってから換算されるのでしょうか。今回のように意識不明の期間が長かったりと、亡くなるまでの間が空いたりした場合はどうなるのでしょうか」

「改めて聞かれると良く知らないな。事件が発生して死ぬまで数日経過したケースは少なくないだろうが、二年というのもおおよそだ。今回のように長期間生き延びていたが、後に亡くなってからボカーソウルが現れた事例は耳にした記憶がない」

 唖然とした。不謹慎だといいながらも彼らはなんとか持ちこたえている尊の命が助かるより、犯人さえ検挙できれば亡くなってもいいと思っている節が窺えた。なんて奴らだ。  

 そう腹を立てていると、彼らがさらに続けた話を聞き驚愕した。

「でもアメリカかどこか忘れましたが、ボカーソウルが出現した際に犯人の持ち去った凶器の隠し場所を証言した例がありましたよね。本来事件現場で亡くなった被害者には知りようもない事実です。逮捕された犯人は被害者の殺害に使用した銃を、逃走した先の山の中に埋めていたのですから」

「聞いた覚えがある。警察の取り調べで、犯人が一切黙秘していた事件だったかな。確かボカーソウルが陪審員に乗り移り、隠された凶器の場所を口にしたので半信半疑にその現場を捜索したところ発見されたんじゃなかったか。それを被害者の体に残っていた弾の線条痕と照らし合わせ一致した為、言い逃れが出来なくなり有罪判決が出て終身刑になった事件だろ」

「そうです。その後も似たような事例が発生していたので、ボカーソウルは被害者が死んだ後、殺された恨みを持ち続けていたから魂だけが体から離れ、犯人を付け回していたのではないかという説も出ましたよね」

「ただそれだってあくまで推測に過ぎないだろう。何故ならボカーソウルに乗り移られた人物に様々な質問をしても、事件に関する話以外は何も答えなかったらしいじゃないか。それが何故だかは未だ解明されていないようだし」

「でも犯人を特定する為に魂が移動していなければ、説明のつかない事例は沢山あります。ボカーソウルの現れる確率がおよそ五十%というのだって、警察により発見された証拠が被害者は明かせなかったからだろうとも言われていますよね」

「確かに犯人の特定に至るDNAの分析結果や、防犯カメラに写っていた映像を捜し当てるような捜査が、ボカーソウルに出来るとは思えない。要は浮遊霊みたいなものだろう。自由に移動して何かを見聞きできたとしても、手足はないし人と会話するのも無理だったら、警察のようには動けないからな。それこそ犯行時に起こった状況説明の他では犯人の後をついて行き、こっそり隠した凶器などの場所を見つけることくらいだ」

「それならもし芝元尊が死亡しても、ボカーソウルとして現れる可能性は低いかもしれませんね。犯人の顔を見ていたとしても凶器は残されているので、犯行を裏付ける何らかの決定的な証拠を説明するのは難しいでしょうから。それこそ先程言われたように、返り血を浴びた血痕が残っているかどうかなんて浮遊霊には分からないでしょうし、もし見つけていても処分されていれば意味を持ちません」

 これまで何故幽体離脱した状態が続いているのか、尊は何度も考えてきた。浮遊し移動できる範囲やその法則は少しずつ分かって来たが、理由は全く不明のままだった。

 しかしここに来てボカーソウルと関連付けた時、ぼんやりと見えてきたのだ。もしかすると尊の今の状況は、ボカーソウルと似た状態なのかもしれない。

 まだ本体は生きているが、刺した犯人に恨みというか何故そんな真似をしたのかと深い疑問を持ち続けている。実際それが一種の未練となり、犯人を特定する為に浮遊霊ならぬ幽体離脱した状態で、病室に出入りした人間達の頭に取りつき突き止めようとしてきたではないか。

 もし病室にいる本体が死亡すれば、尊はボカーソウルとなるのだろう。そうすれば第三者の体に入り込み、事件について語れることができるのかもしれない。今はその前段階と考えれば筋が通り腑に落ちた。

 刑事達が言っていたように、ボカーソウルは犯人が逮捕された際、言い逃れが出来ない証拠を集める為に浮遊霊となっていたのだ。そう思うとこれまで失いかけていた自分の存在意義はあったのだと気付かされた。

 けれど尊の場合問題なのは、犯人の顔を見ていない為に現時点で誰が犯人か全く把握していない点である。しかもまだ死んでいない為、ボカーソウルでもない。

 そう考えた時、尊に残された時間はいつまでなのだろうかと疑問を持った。刑事達が口にした通り、死んでから二年なのか事件から換算してなのかで大きく変わってくるからだ。 

 事件発生から二年だとすれば、残された時間は後一年しかない。その上被疑者と思われていた三人の内、既に二人が死んでしまった。残る一人も別件で逮捕され徹底的に調べられたが、全く証拠は発見されていない。また供述から考慮しても犯人である可能性は低い。

 それなら尊がこうして浮遊している意味は、一体どこにあるのか。ボカーソウルとは別に、単なる意識不明で幽体離脱してしまっただけの存在で終わりなのだろうか。犯人が誰かを特定できず悔いを残したまま、本体が目を覚ますまで漂うしかできないのか。

 もしくは本体が命を落とすまでさ迷い続け、死ねば消えてしまうのだろうか。それとも今度は浮遊霊として、引き続き誰かの頭の上に取りつき続けなければいけないのか。

 様々な疑問が頭に浮かんでは消えていく。何故ならいくら考えても答えは出ないからだ。無駄な神経を使うことはやめた方がいい。それこそ本体の寿命を縮めるだけだ。ならばできることは何か。もう何もないのか。

 尊は己の存在意義を、再び見失いかけていた。

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