第二章~⑥

 吸収合併とはいえ、以前いた所属社員との役職のバランスに関しては職員の士気にかかわるので、人事も相当気を遣っているようだ。余り極端になれば、旧新日出身社員のモチベーションを下げてしまう恐れがある。といって実力に伴わない人事をすれば現場に負担がかるので、その辺りは試行錯誤を繰り返し、徐々に手を打つしかなかったのだろう。

 また彼が宇山を引き上げた途端に問題を起こしている。それ見たことかと本部長や人事辺りは言っていたらしい。その為今年から尊が次席になったと説明を受けたのだ。支社長代理になったのは同時だが、たった一年で宇山とも確実に評価の差は出た。

 よって和喜田に加え彼も尊を逆恨みしていると皆が噂をしていたから、警察が様々な聞き取りにより重要参考人の一人に挙げたのだろう。それで疑われたのは可哀そうだと多少思わなくはないけれど、これも和喜田と同じく身から出た錆ではないか。

 そう考え直してグッと耐え、深呼吸をしたつもりで続きを聞いた。

「関係無いとまでは言えないと思いませんか。曲がりなりにもあなたは彼の上司です。それに労災認定されていますよね。つまり帰宅途中の業務内での事件といえます。しかも会社内で起こった怨恨の線が非常に高い。よってあなたの管理不行き届きだと上が判断しても不思議ではありません。今回あなたが襲われた理由を考えれば分かるでしょう」

「何を言っているんだ。何度も言うが、私は被害者じゃないか。芝元を刺した犯人じゃないし、そんな証拠もないのに勝手な思い込みをした奴に殺されかけたんだ。どうしてそこまで言われなくちゃならない」

「それは芝元さんも同じですよね。あなたを含め多くの方から事情を伺いましたが、彼がプライベートで何か揉めていた、あるいは過去にトラブルを起こしたという形跡は見つかっていません。出てきたのは全て仕事上の、しかも彼本人に責任がない問題ばかりです。あなたが言ったように、高学歴や出身母体、優秀な成績と多くの方から慕われていた人格、順調な昇進と仲睦まじい夫婦関係等を妬み、嫉妬していたと口にする人がほんの一部でいらっしゃいました。これも逆恨みとはいえませんか。あなただっておっしゃいましたよね。彼がどこかで誰かの恨みを買ったからあんな目に遭った。刺された責任は彼自身にあると」

 和喜田は言葉を詰まらせた。久慈川は彼が里浜に刺されたのは自業自得だと言ったようなものだ。しかし反論できなかったのだろう。まさしく逆恨みで襲われたのだから。

 沈黙を続けた彼に、久慈川は質問の内容を変えた。

「加害者である里浜はあなたを襲った際、芝元さんを刺したと認めなかったから殺そうとした。そう供述しています。その時の状況を教えて頂けますか」

 答えざるを得なかった為だけでなく、恐ろしい状況を思い出したからか重苦しい表情で彼は口を開き説明を始めた。

「会社から出て地下鉄駅の入り口の階段を下りていたら、いきなり後ろから声をかけられました。丁度踊り場のところだったので立ち止まっていると、あいつが駆け下りてきて包丁を取り出したと思ったら切りつけてきた。咄嗟に庇った左腕を切られうずくまった所を押し倒され、体の上に乗っかって来たんだ」

 そこで尊を刺した犯人はお前だろう、正直に言わなければ殺すと包丁を突き付けられたという。彼は恐ろしかったが、嘘をつく訳にもいかないので違うと否定した。それから二度ほど本当のことを言えと脅されたけれど、自分では無いと首を振ったらしい。

 すると彼女が包丁を振り上げ殺されると目を瞑ったが、知らぬ間に集まっていた人達の手でなんとか助けられたと説明した。その様子は彼女が取調室で話していた内容とほぼ一致する。

 よって久慈川は頷いた後、さらに尋ねた。

「あなたは殺されると思ったのですね。それでも芝元さんを刺した犯人では無いと言い張った。どうしてですか」

「当たり前だろう。いくら何でもしていないのに、したと言えるはずがない」

「例え殺されても、ですか。刺したと言えば警察に捕まるかもしれないけれど、命は助かると思いませんでしたか。後で脅されたから嘘を言ったといえば、言い逃れが出来たかもしれません」

 彼は首を激しく横に振った。

「あいつの目はもう完全に正気を失っていた。恐ろしくて体が思うように動かなかったよ。だから咄嗟に嘘をつき助かろうなんて、そんな冷静な判断など出来る状態じゃなかった。だから正直に俺じゃないと言ったんだ」

 必死な形相でそう主張する言葉に嘘は感じられなかった。彼が尊を妬んでいたのは確かだ。しかし先程言ったように、上司なら別の復讐方法がある。実際この一年余りの間、様々な形で嫌がらせを受けていた。しかも陰で評価を下げていたという卑劣な真似もしている。 

 そんな人がいくら憎いからといってあんな夜遅くに待ち伏せをし、刺し殺すような面倒な真似をするとは思えない。また里浜に襲われた際のへっぴり腰を聞き、やはりそんな度胸は持ち合わせていないと感じた。

 久慈川もそう考えたのかもしれない。またこれまでの取り調べで重要参考人としながらも、犯人像にそぐわないと思っていた節が見られた。そのせいか、後は簡単な事実確認をして彼は解放されたのである。もちろん今回、彼は被害者の立場だったからかもしれない。

 けれど災難の連鎖はこれだけでは止まらなかった。里浜の逮捕から約三カ月後、久慈川が言っていた通り十月一日で和喜田が東北の小さな支社に異動となった。噂通り飛ばされたといって良いだろう。しかもその代わりに来た支社長が葉山出身の支社長だった。

 その時もまだ尊の意識は戻っていない。体に取り付けられた装置等の数値を見る限り何とか容態は安定していたが、いつ急変してもおかしくない状態が続いていた。尊はその様子をこれまでと変わらず、志穂や医師達の頭上を漂いながら眺めているしかなかったのだ。

 和喜田の異動で大きく影響を受けたのは、やはり宇山だろう。後ろ盾を失い、肩身がより狭くなっただけではない。補充要員がいるとはいえ尊の不在が長引いている為、野城以外の大型代理店などを任され、相当業務量が増え苦労を強いられていたようだ。

 その上半年前に駄目出しをされた次席業務も、和喜田によるフォローなしでこなさなければならない。よって数字の取りまとめ等では、毎月のように支店長席の江口から叱られてばかりだったという。

 こうした噂は、時々病室へお見舞いに訪れてくれた寺地や古瀬、吉岡達から聞かされた。特に古瀬は支社長が変わったからか、それまで足が遠のいていた分を取り戻すかのように何度も来てくれていた。

 その際志穂を通し眠っている尊に向かい、支社で起こっている様々な出来事を色々報告してくれたのだ。恐らくこれまで抑圧されてきた自らの不満を晴らす意味合いもあったと思われる。

 さらに尊を刺した犯人は未だ逮捕されていない為、宇山は引き続き警察も含め周囲から重要参考人の一人だという目で見られ続けていた。そうなれば古瀬とは対照的に、新支社長からの厳しく当たられるようになった彼の鬱憤が蓄積していたとしてもおかしくない。

 そうした環境が再び最悪の事態を招く要因となったのだろう。十一月初旬、年末に向けた保険獲得キャンペーンの決起会として代理店を招いた立食パーティで、彼は再び酒癖の悪さを発揮してしまい大問題を起こしてしまったのである。

 名古屋支店の各支社から選抜されたお得意様ばかりが集まっていた。といっても社員を含めれば、総勢百名を超える大規模な催しだ。

 新支社長にとっては、ただでさえ支店で行われるほとんど全ての仕事が目新しい事ばかりである。その為に和喜田がいた時は彼が色々とやってくれていた役割を、宇山がこなさなければならなくなった。この日も新支社長はまだ挨拶しきれていない、他支社担当の主な大型代理店への顔出しで忙しく、その分中央支社の主な代理店対応全般を宇山が任されていた。

 会が始めるまでのアテンド等を含め、それぞれの担当者に振り分け一段落着けたのは終盤になってからだったという。しかも支社長が顔を出さないと不満げな代理店達の機嫌を損ねないようにと、勧められるままに酒を飲まされていたらしい。

 それがいけなかったようだ。日頃から溜め込んでいた鬱屈な想いがふつふつと吹きだしてきたのだろう。徐々に目が据わり始めていた様子を、古瀬や寺地達は目撃していたそうだ。けれど彼らも担当代理店のもてなしに手一杯だった。

 それに例え手が空いていたとしても、年上で気難しい先輩である宇山を宥めるのはまず難しい。彼に注意が出来たとすれば、和喜田がいなくなっていたから支店長席の江口や支店長、または他の支社長ぐらいだった。

 ただそういった上位職は漏れなく大型代理店の接待で忙しかったのだろう。人数も多く会場は騒がしがった。そうした悪条件が幾つか重なっていたと後に判明したが、もはや手遅れだ。

「何で俺ばっかりが。あいつのせいだよ」

 そうぶつぶつ言っていたという。以前宇山は酔っぱらった席で野城に暴言を吐き、それが元となり担当を外され次席業務を降ろされた。さらに尊が刺された事件のせいで半年間針の筵だった。よって里浜と違い、その犯人が恐らく野城だと彼は思い込んだらしい。

 そうした逆恨みが酒によって増幅され、とうとう爆発した。こともあろうに洋食ナイフを手に取り、呂律の回らない口調で突然言い始めたそうだ。

「いつも偉そうにしやがって。全部お前が悪いんだ。お前がおかしな真似をしやがったから、俺はこんな辛い目に遭わなきゃいけなくなってしまったじゃないか」

 江口と野城が会の最中言葉を交わしている所に、そう叫びながら襲い掛かったという。だが咄嗟に江口が野城を庇ったらしい。その際彼は腕に負傷した。その為直ぐ周囲にいた社員が宇山を取り押さえ、幸いにも野城は無傷で済んだ。

 ただその場所が公の場でなく、ケータリング料理を用意し自社ビルである中部本部の大会議室で行った内輪の会だった点や、江口の怪我がごく軽症で加害者も社員だったことを考慮したのだろう。警察には届け出を出さず、内々で処理をしようとしたらしい。

 その四カ月ほど前に和喜田が襲われ、その前に起きた尊の刺傷事件の騒ぎが再燃したのは確かだ。結果再び世間から会社が注目されてしまった影響もあったと思われる。事件となりマスコミの耳に入れば、再び厄介な事態となるのを恐れたのだろう。

 それはある程度理解できるけれど、結果的にはそうした判断は失敗だった。というのもその会が強制終了となった翌日、宇山は本部長や支店長、支社長や怪我をした江口がいる席で、十二月末をもっての自主退職を迫られたらしい。

「お前、自分が何をやったのか分かっているな。警察に連絡すれば、お前は逮捕され間違いなく前科が付く。そうなれば懲戒免職も免れない」

「申し訳ございませんでした」

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