第一章~⑤

 野城は株式会社シャトウという大型プロ代理店の、今年五十八歳になる社長だ。元新和火災で新日損保出身の専属代理店だった彼の会社は、廃業に追いやられた小さな他代理店の契約を会社から移管され顧客を引き継ぎ、現在のように大きくなったらしい。

 というのも保険会社の合併に伴い、二〇〇〇年代からは代理店の統廃合や再編が進んだ。店主の高齢化や業務品質向上の為に必要なIT化等の体制が整わない、といった理由による統廃合もある。しかしそれだけではない。

 自由化に伴い、かつては一律だった保険契約締結業務における代理店手数料も、年間の取扱高や顧客対応などの業務品質の評価により大きく変わった。要するに同じ保険を販売しても、いくつかの要件を満たす大規模な代理店はこれまで以上の手数料を貰える。だがそうでない代理店の手数料はかなり下げられたのだ。

 よって小規模代理店の実入りが少なくなったことで生き残りは困難になり、大きな代理店に吸収されるか、廃業して契約を手放すか等の選択を迫られ、効率化という名目の元に強引な統廃合が進行していた。

 新和火災においても日栄火災との合併、さらに葉山損保に吸収された後はそうした動きがさらに加速していたらしい。そうして代理店の営業社員ごと取り込むなどの影響により、シャトウは従業員を十名抱えるまで成長したという。その結果今や中央支社だけでなく、名古屋支店内においても有数の稼ぎ頭となったのだ。

 一昨年度末に異動した新日出身の次席が野城率いるシャトウの担当だった。よって既に中央支社で丸三年在籍していた同じ新日出身の宇山が引き継いだ。支社長代理に、また三席から次席への昇格が内定していたタイミングだった為、当然の流れだったのだろう。

 大型代理店でかつ野城を始め、扱いの難しい営業社員が揃っている事情もあったようだ。三月頭に異動発表された後、直ぐに担当変更の挨拶と引き継ぎを行ったと聞いている。

 その途中で問題が発生した。異動する次席の送別会を兼ねて代理店側の主催で飲み会が開かれ、新担当となる宇山もその場に同席したらしい。だが先方の営業社員や事務員も参加したその席で、飲み過ぎて酔っ払った宇山が野城に対し暴言を吐いたというのだ。

「説教が長い社長で従業員からも嫌われていると聞いていたけど、その通りの人だな」

「なんだと」

 その場の空気が凍り付いたその時点で誰かが止める、または彼が口を閉ざしていればまだ治まっていたかもしれないけれど、そうはならなかった。最悪にも言葉を続けたのだ。

「今の時代はパワハラだとかうるさいから、止めた方がいいよ。女性の事務員は特に気を付けないと。ちょっとした言動でもセクハラで訴えられちゃうし。困ったことが合ったら僕に相談して。しっかり指導してやるから」

 シャトウの社員達や送り出される次席と同席していた女性事務職は顔を引き攣らせ青くなり、野城は真っ赤になって激怒したそうだ。

「てめえ、誰に向かってそんな口を叩いているか分かっとるのか」

 宇山は酒癖が悪いと以前から懸念されていたらしい。その為次席達も注意していたそうだが、シャトウの社員達に囲まれ身動きできない間に、彼は相当飲まされていたようだ。

 慌てて仲裁に入り、ふらふらになっている彼と共に土下座し謝ったというが、覆水盆に返らずだ。その日はそのままお開きとなった。さらに翌日の朝一番、野城は和喜田支社長を飛び越え、幸島支店長に直接抗議の電話を入れたらしい。

 次席達から経緯を報告される前にクレームを受けたようだ。よって支店長は平身低頭で謝罪した後、江口課長と共に直接中央支社を訪れたという。それが朝早く出社していた次席と事務職により、出席していなかった和喜田支社長に説明していた時だった。

 けれど肝心の宇山は二日酔いでまだ出社していなかった。それが火に油を注いだ。電話をかけ急いで宇山を呼び出し、出社してすぐ支店長と支社長、また次席の手で引きずられるように野城の元へと連行され、改めて謝罪を行ったという。

「当社の社員が大変失礼な発言をしてしまい、申し訳ございませんでした」

支店長と支社長が直々に頭を下げ、また素面になった宇山も真っ白になった表情で涙を流し土下座した手前、野城はなんとかその場で怒りを治めた。けれど当然そのままで気が済むはずなどない。よって彼はこういった。

「本来なら担当を替えて貰うところだが、それだとこちらにも都合が悪い。だから別のペナルティを受けて貰う。今日以降、手元にある三月始期の保険契約申込書は来月にしか渡さない。ただ早期更改手続きに関わるから、四月以降の申込書は今まで通りだ。といって一週間程度しかないから、そっちはどうか知らないがこちらに大した影響はない」

 それを聞いて支店長達は慌てふためき、翻意するよう何度も謝罪し説得を試みたが、野城は頑として聞かず、話は終わったとばかりに彼らを事務所から追い出したのである。

 これは会社側にとって大問題だった。というのも保険の成績は始期に加え、計上という業務を行った月の申込書がベースとなる。また三月の年度末は、ただでさえ扱い保険料が他の月に比べて多い。  

 しかも大型代理店であるシャトウが持つ契約件数は、支社だけでなく支店にとっても相当なウェイトを占めている。特に新規契約だけが成績となる生保に関しての獲得件数と成約はかなり期待されていた。既に予算達成の見込みに含まれていたようだ。

 それが翌月とはいえ三月の成績になるはずだったものが年度を挟みずれるとなれば、年間予算達成率に大きく響く。これは支店長や支社長にとって相当大きな損害だ。支店の予算未達は支店長の責任と評価の問題になる。全国の部支店の成績の合算が会社全体の年度における業績だから当然だ。もちろん支社長も同じである。

 しかし代理店にとっては手数料が入るタイミングが一ヶ月遅れるだけなので、大してダメージはない。顧客に届く証券発行も少し遅れるけれど、契約上は特に問題無くまた代理店から説明を受ければ、納得する人達ばかりだったからだろう。

 結果、支社の年間予達率は九十九%に止まり、支店全体でも九十九・九%と僅かに届かなかったという。それは間違いなくシャトウの数字が原因だったそうだ。

 対して支店長や支社長と違い、送り出される次席は異動してしまう為関係なかった。また宇山における支社長代理と次席への昇進は既に決まっており、その上担当する四月からの成績が表面上増える為、一見するとお咎めは無かったかのように思われた。

 しかし実際は違う。後に彼から尊に担当が変わり、今年度から三席となった事情からそれが伺えた。

「私の会社は葉山損保と専属契約を結ぶ代理店だ。本来なら即座に担当を変え、他の大手損保と契約を結んで乗合のりあい代理店になる位の罰を与えてもおかしくない。しかしそれはいつでも可能だ。また一時の感情に流され混乱し、面倒な手続きに追われ迷惑を被るのは私であり、当社の社員達だ。その結果、お客様に迷惑をかけてはプロとして恥ずかしい。だから支店長達には管理不行き届きという点も含め、こちらに損がない代償を払って頂く。またしばらく様子を見た上で、担当替えや他社と取引を開始するかを検討する」

 野城はそう告げたという。つまり支店長達管理職に罰を与え、次年度における宇山の評価を下げるよう仕向けたのだ。担当を変えなかったのは、当時入社十九年目になる宇山以外となれば、七年目の寺地と三年目の古瀬しか担当者がいなかったからだろう。

 余り若すぎると顧客である法人に同行させる際など、肩書も含め対外的に不安な面が生じる。また営業手腕が劣れば、野城を含めた代理店の営業社員が迷惑を被ってしまう。相手のミスで損害を受ける事態を嫌った結果、そう決断したらしい。

 また一方で宇山に猶予を与えつつ、新たに配属される尊がどの程度の社員か、見極める時間を稼いでいたようだ。当時入社十三年目で役職が支社長代理と聞き、対外的には申し分ないと思ったが、東大卒で営業現場は初めてとの情報に懸念を抱いていたのだろう。

 しかしいざ尊が配属され、担当となった他の大型プロ代理店や営業社員から評判を聞き、悪く無いと判断したらしい。その為下半期が始まる十月より、宇山から担当が変わった。

 もちろん支社一番の代理店が動く為、バランスや業務負担を考慮し、当初尊に割り振られていた中堅代理店の中から三つを宇山に渡した。それでも抱える数字は一気に彼と逆転した。さらに期の途中で変更した代理店分を除いても、前年度の担当別数字の伸びは尊の方が宇山より上回っていた。おかげで相対的に尊の評価は高くなり、彼は下がった。

 その上支社の数字を取りまとめる次席業務において、彼は江口課長とのやりとりが円滑で無かったという。これは野城に対する致命的なミスのおかげで、支店全体が迷惑を被った支店長席としての感情的な恨みが根底にあったと思われる。

 しかしそれだけでもなかったらしい。一営業担当者として数字を伸ばすだけでなく、次席業務は他の担当者への指導や業績向上の為、支社全体における長短期計画の立案と実行の舵取りを求められる。その点で宇山は江口や支店長の期待に沿えなかったのだろう。

 また彼の支社長代理への昇進は、元々和喜田の強引とも言える推薦があったからという噂もあった。新日出身の支社長は、四十を超えなお主任止まりだった同じ新日出身の宇山を可愛がっていたらしい。葉山出身の支店長や江口はその点を危惧し、昇進には消極的だったようだ。

 それでもその年、これまで持っていなかったCFPの資格を取る為必死に勉強し、なんとか取得した成果を含め執拗に説得されたという。よって他の事情も加味し今後の更なる精進の期待を込め、止む無く昇進させたそうだ。しかしその結果、野城を怒らせてしまうという大失態を犯したのだから、当りが厳しくなるのは当然だった。

 その為今年度から尊が次席となり、宇山は三席に戻されたのである。もちろん彼は昨年度評価を下げられ、尊はこれまで通り高い評価のままだった。そうした理由から同時に支社長代理となったけれど、一年で大きく差が付いたと思われる。

 そのような諸々の背景から、尊を刺した犯人の動機が怨恨ならば、最も疑わしい人物として彼の名が挙がってもおかしくはない。

 刑事が誰かに恨みを買った、またはトラブルに巻き込まれた覚えはないかと志穂に尋ねていた際、正直言えば尊は宇山の顔が真っ先に浮かんだ。けれどその程度なら他にもいる為、確信は持てなかった。

 久慈川が彼女の問いに答えていた。

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