第33話 狂喜する魔物
「……ひ――ひぃ! て――敵襲!」
いつの間にか近くまで騎士が来ていたらしい。
彼は、裏返った声でかろうじて危機を知らせはしたものの、見たこともない敵に震え、剣を抜くことすら忘れている。
ベネディクトが大声で騎士に言った。
「ここにいちゃ駄目だ! 逃げろ!」
人型の魔物は、ニヤリと口角を上げて指先を尖らせると、大声を出したっきり腰が抜けたように突っ立っている騎士の腹に、ズブリと穴を開けた。
そしてベネディクトを見て、全身をくねらせながら甘ったるい口調で彼に話しかけた。
「……はぁ。……あぁ。なんと……。あぁなんとおいたわしい! なぜそのような小さな器に……? そんな器など捨ててしまわれたらよろしいのに……。あぁそうでしたか。なるほど! その姿で人間に近寄って遊ばれるおつもりなのですね? うっふっふっ。それはよろしいですね!」
「……」
「……? …………? お言葉を――何かお言葉をいただけませんか? こうしてあなた様をお迎えにあがったのです。どうか私に――」
「黙れ」
「……!! 何か――何かご機嫌を損ねるようなことをいたしましたでしょうか? 私の――あなた様へのこの想いは、何百年経とうとも――」
「黙れ」
ベネディクトは人型の魔物に掴み掛かり、相手の右腕を力任せにもいだ。
「はぁぁぁ。お懐かしゅうございます。前にもこのような慰みをいただいたことがありました……」
「知るかっ。お前なんか消すだけだ!」
「はあああぁぁぁぁ。この私に――。あぁ私のことだけを見て、そこまで真剣に私を――」
ベネディクトは怒りを抑えつけるように、「消してやる」と絞り出しているけれど、彼の体から発せられた気配は人のものではなかった。
まるで魔物のような忌まわしい気配。そんな気配を纏うなんて、どういうことなの?
しかも、突如現れた魔物は、ベネディクトを知っているような口ぶりで……。
でもベネディクトは明らかに敵視している……。
「イリアス! 何をしてるんだ! 早くここから離れろ!」
そんな。私だって戦えるわ。おそらく駆けつけて来る騎士たちよりもね。
そう思って人型の魔物を睨みつけると、向こうは私を見て驚愕していた。
「お、お前……! 何でお前がここに? どういうことだ。いったい……。どうしてお前がっ!」
言い終わる前に魔物は私めがけて左腕を振り下ろした。
ベネディクトが私を庇って魔物の腕を受け止めた。
「……どうして。何故なのです? 何をなさっているのです? その女はあなた様を――」
ベネディクトは返事をせず魔物に飛び掛かったけれど、シュルッとかわされてしまった。
それでもすぐに体制を整え直すと、間髪をいれず目にも止まらぬ速さで魔物に挑んでいった。
魔物の方は戯れるかのように、「はぁぁ」とか「ふふふふ」と漏らしながら、嬉々として応戦している。
魔物がベネディクトに攻撃すると見せかけて、私の首元へ手を伸ばした。
……しまった。避けられそうにない――そう思った時、ベネディクトが私の前に飛び込んできた。
「うぅ」
呻き声を上げたベネディクトを見ると、左腕を押さえている。
私を庇って切られたのね!
私がベネディクトの足を引っ張っている――。
「何してる! さっさと逃げろ!」
ベネディクトが私を突き飛ばして叫んだ。
私がいてもあなたの邪魔にしかならないけれど。
……ああ、駄目よ。何事かと、騎士が数人駆け寄ってきた。
彼らでは太刀打ちできない。
おまけに、人形の魔物がやって来た穴からは、後に続こうとする魔物たちが押し合いへし合い、我先に出ようと争っている。
そしてとうとう、仲間内の戦いを制した魔物が一体、これまたぬるりと穴から這い出てきた。
「キキキキキキキ」
笑い声のような奇妙な音を発した魔物は、立ち上がる間もなく塵となって消えた。
最初に現れた人型の魔物が目にも止まらぬ速さで腕を振り、穴から出てきた魔物を尖った指先で真っ二つにしたのだ。
「私と王との再会を邪魔するとは。万死に値する」
……王――ですって?!
魔物を見るのも初めての騎士は、魔物同士がやり合い、負けた方が塵になって消えていくのも初めて見たのだろう。
「うわー!!」
「ひ、ひぃーー」
騎士たちは悲鳴を上げながら散り散りに逃げ出した。
人型の魔物は騎士たちには目もくれず、「ふん」と鼻先で笑うと、汚れを払うように指を振った。
そして改めてベネディクトを見て、彼の左腕の裂傷から流れ出た血に歓喜した。
「ああ、なんと! ……その器の赤い血の色に髪色を合わされたのですね! 私としたことが……。あなた様をお慕いするあまり、あなた様の面影を追って、この通り黒髪黒瞳に変えさせていただいたのですが。ああ誤解しないでください。あなた様に成り代わろうなどと不埒なことは考えておりません。ただ、お会いしたいあまり、お慕いするあまり、あなた様のお顔を拝借したに過ぎません! ――ですが! 鮮血の色もよろしいですね! よくお似合いです!」
……どういうことなの? 魔物の国から現れた黒髪の男は、終始、ベネディクトに向けて話しかけていて、彼を――王と呼んでいる。
この黒髪黒瞳の男の姿を――私はこの魔物の姿を、昔――見たことがある。
「我が主人。魔物の王――よ」
「……呼ぶな。そんな風にオレを呼ぶんじゃない!」
「おや? お気に召しませんでしたか? それでは何とお呼びすればよいのでしょう? あなた様のお心のままに」
人型の魔物は人間の真似をして、胸に手を当てて礼をとった。
ベネディクトが魔物に近づき、魔物の――人の心臓があるあたりに手を突き刺した。
「……? これは? お戯れですか?」
「死ね。死んでしまえ! 消えてなくなれ! お前らが来ていいところじゃないっ!」
「…………? まさか本気ではないですよね? ほんのいっとき人間と暮らしただけで、情が移ったなどとおっしゃいませんよね? ……? ……え? ……え? お待ちください。これはこれは――。冗談ではありません! ふっ……ふふふふ……あっはっはっ! 私が目を覚まさせて差し上げます。実は、ちょっとだけ妄想したことがあるのです。あなた様とこうして一対一で戦い、あなた様の体に私の爪が食い込んでいるところを!」
黒髪の男の腕自体が、剣のように鋭い鋼になった。
魔物の両目は真っ黒になり、鼻は埋没し、鼻の穴が二つ空いているだけで、口は耳の辺りまで大きく裂けている。
目や鼻や口が、かろうじて人間の顔と同じ配置にあるせいで、おぞましさが増していた。
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