第34話 【ベネディクト視点】オレがオレなんだ。お前じゃない!
――あの日。
あの変てこりんな動物を追いかけて白防壁に触れた時、オレは体の内側を焼かれるような激しい痛みに耐えきれず意識を失った。
でもその瞬間――ああ、これだと、オレはこれを知っている――と、激しく感情が昂った。
それはとても甘美な、記憶の最後にあった『死』の味だった。
その味が、オレにオレのことを思い出させた。
オレといっても、たかだか十年ちょっと人間として過ごしたオレのことではなく、本物の私について。
数千年以上生きていた――魔物の王と怖れられた私についてだ。
私は自分より強い存在を探しては戦い続けた。千年? 二千年? まあ、とにかく長い間だ。
だが気がつけば、私と戦うモノがいなくなってしまった。
強いモノを見つけては、その種族ごと殲滅していたのだから、当然の帰結と言えるが。
私は魔物たちにとって、人間たちで言うところの「王」となった。
生きることに飽きてきた私は、徐々に『死』というものに惹かれ始めた。手に入れるすべがわからず、手が届かないそれに焦がれるようになった。
たまらなく『死』を経験したかった。『死』を味わいたかった。
そんな中、人間の中でも神官や聖女というものたちの血に、ごくたまにピリリと一瞬だけ痺れを感じることがあった。
この私を内側から攻撃するとは! なかなかに面白かった。そんな血に当たると快感を覚えた。
神官や聖女よりも高位の存在だという「大聖女」の血は、いったいどんな味がするのか。
浴びるほど飲んだらどうなるのだろう。私の体に何か変化が起きるのだろうか。
そう考えれば考えるほど、大聖女がたまらなく欲しくなった。
そんな時だった。私の副官を自称する奴が、興奮して報告してきたのは。
「あの忌々しい壁は神官や聖女たちが築いたようですが、最後に大聖女が仕上げでもするのでしょうか? どうやら今、壁のあちら側にいるようです。あの女の血が、すぐ近くまでプンプン臭ってきています」
ほう?
とうとう大聖女の血が手に入るのか……。
ふふふふふ。あはははは。
一気に飲み尽くすのは勿体ないな。
少しずつ、時間をかけて味わうとしよう。
……ふむ。これはあれだな。
人間というのは
ふふふふふ。
では大聖女とやらを私の番に――王の番は妃と言うらしいな――よし、妃にしてやろう。
そして番となってからは、その肉体が朽ちるまで、私に血を献上させてやるとしよう。
……何ということだ!!
大聖女の力が、私のそれを凌駕した。驚きと共に私は知った。
体内を、大聖女が放った力で焼かれる痛みと喜びを!
私は愉悦に咽びながら、『死』の味を知った!
最後に大聖女の首筋に噛みつき、その血を啜ってやった!
ああ!! この快感!!
まさか本当に『死』の味を味わうことができるとは!
そして『死』は、私に『死』をもたらせたらしい。不死をも打ち砕く大聖女の力……。
私は終わりを迎えたと思った。
だから、こうして人間になってこの世に舞い戻ってきたことがわかると、人間らしく少々戸惑った。
しばらくは内側から、このベネディクトという人間の小僧を観察した。
たまに呼びかけると、泣きそうになって逃げ出そうとする矮小な生き物を。
そもそも、死んだ後に生まれ変わるという事実に驚愕した。
これは人間たちの摂理なのか?
それにしてもおかしい。なぜこの私が人間の摂理に囚われているのだ?
あれほどひ弱な生き物に生まれ変わるとは。
これは面白半分に、私が
それとも光の神とやらの嫌がらせか?
違う! 違う! 違う! 黙れ! 黙れ! 黙れ!
オレだ! オレの名前はベネディクトだ! 魔物の王なんかじゃない!
お前は死んだんだ。なんでオレの中で喋り続けるんだ!
お前の記憶なんかいらない!! お前なんかいらない!! オレの中から出ていけ!!
意識を取り戻した後、イリアスの喉にかじりつきたい衝動に、オレは激しく動揺した。
彼女に近づくと彼女を傷つけてしまいそうで、怖くて近寄れなくなった。
『あははは。お前ときたら、あの女の皮膚の下を流れる赤い血管にかぶりつきそうになっていたな! だが血管が見えるのは私の力だぞ。早くすすって、またあの味を味わいたいものだ』
『うるさい! うるさい! うるさい! 黙れ! 黙れ! 黙れー!!』
オレの中で、得体の知れない奴がニヤリと笑っている。
アイツがオレの体を奪って、イリアスにひどいことをしてしまうかもしれない……。
オレはいつか人間でいられなくなるかもしれない……。
オレの中には、オレを支配しようとするバケモノがいる。
そいつに負けそうで怖かった。
……でも。
久しぶりにイリアスに会って、彼女が魔物に襲われそうになって、オレは心を決めた。
諦めることはできない。いつまでも怯えてちゃ駄目なんだ!
アイツの自由になんかさせるもんか! 絶対に!
イリアスが何者だろうと、彼女を傷つけさせやしない。
怯えさせるのも駄目だ。心配させるのも駄目だ。イリアスは、いつも笑っていなきゃ駄目なんだ。
こんなオレじゃあ、イリアスの騎士にはなれない。もう誓いを立てることもできない。
でもオレは、いざとなったらオレを殺すことで、オレの中に巣食うアイツを殺してやる。
イリアスに害をなすおそれがあるのなら、躊躇なくオレごと殺してやる。
イリアスの笑顔を守るためならば、何だって出来る――。
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