第29話 白防壁の調査

 私は貴重な古文書の発見者であり、また神官らの身の回りの世話をする使用人という立場から、調査団への同行を許可された。

 ――まあ、サヴァス様との面会報告のお陰だと思うけれど。


「あなたがあの文書を発見したなんて……。今でも信じられません。事情はこの前、サヴァス様からお聞きしましたけど……」

「あははは……」


 懐かしの町バシリオスまでの道中、私はデメトーリと同じ馬車に揺られている。

 サヴァス様のことが大好きなデメトーリが、王都に来ている彼に会わない訳がない。

 研究者たちは現地へは行かないらしいけれど、デメトーリはご褒美として調査団の一行に加えられたらしい。


「はあ――。それにしても、まさかあなたたち二人まで王都に出てくるとは思いませんでした。私のせいでしょうか。年下の子は年上の子を真似するものですし、同じものを欲しがりますからね」

「は? それって小さい子のことですよね!」


「まあ、王都に憧れるのはわかりますけど。あなたたちは、あと二年くらいはサヴァス様のお側にいてくれるものだとばかり思っていました。それよりも……。王都に来てよかったのですか? あなたには、何か――色々と事情があるのでしょう?」

「あははは」


 心配そうな水色の瞳を見るのは、随分久しぶりだわ。

 なんだかんだ言っても、やっぱりデメトーリは優しい。


「……」

「……」


 デメトーリ――王城で見た時も思ったけれど、ちょっと大人っぽくなった?


「少し――」

「え?」

「あなたは少し背が伸びたようですね」

「え?」

「いや――」


 そんな風に眼を逸らされると落ち着かなくなるんですけど。


「……それで。王都に来てからのベネディクトは、どんな感じですか? あなたなら知っているのでしょう?」

「え? それが、実は私はまだ会っていなくて。デメトーリも? デメトーリもベネディクトと会っていないのですか?」


「ええ。なぜ私を避けるんだか……。それにしても意外ですね。てっきり、あなたたち二人は会っているものだと……。ベネディクトは白防壁にぶつかって倒れてからというもの、色々と悩んで――考えていたようですけど……。私がいくら聞いても話してはくれませんでしたが」


 そうだったの? 私なんて、ベネディクトが悩んでいたことさえ知らなかったわ。

 ……そっか。悩んでいたんだ。でも何を?


「あなたたち二人は……将来を――」

「……?」

「あなたとベネディクトは将来を誓いあって、それで二人一緒に王都に出て来たのでは?」

「……は? …………。ええー!? 何ですかそれっ!」

「ち、違うのですか。あ……。小神殿を出ていく子どもの中には、たまにそういう子たちがいたので……。ああ、忘れてください!」


 私とベネディクトをそんな風に見ていたなんて――。

 あら?

 ふふふ。デメトーリが耳を真っ赤にしているところを初めて見たわ。


「見えてきましたね」


 小さな森を抜けたところで、馬車の窓から白防壁が見えた。


「帰ってきたんだ……」


 先頭の馬車が止まったので、後続の馬車も必然的に止まった。

 先頭の馬車には大神官様が乗っている。もしかして――と思ったら、案の定、彼は馬車から飛び出した。


「まさかとは思いますが。あの両手を突き上げて何やら叫んでいる灰色の髪の人って、大神官様じゃないですよね?」

「そのまさか――です」


 デメトーリは呆れているけれど、大神官様は、なんだか童心に返って喜んでいるみたいで可愛らしい。

 あ、止めに降りたマリオスさんの顔から表情が無くなっている……。

 大神官様のせいで、後続の馬車からも、わらわらと人が降り始めた。


 ――まあでも。気持ちはわかるわ。圧巻よね。

 初めて見た人が大半のようで、想像を遥かに上回る大きさに、皆、息を呑んでいる。


 結局、マリオスさんが大神官様を馬車に押し込み、再び隊列が動き始めた。

 白防壁に見惚れた後は、どの馬車も御者が熱に浮かされたように馬の足を早めた。


 バシリオスの町に宿屋はない。そのため、大神官様率いる御一行は小神殿に宿泊するという。

 マリオスさんは小神殿に到着するとすぐに、部屋の確認やら物資の搬入やらと、慌ただしく働き始めた。

 デメトーリとの相性は抜群なようで、彼はマリオスさんの手足となってキビキビと動いている。


 私も手伝おうと思っていたのに、大神官様に連れて行かれてしまった。

 そして彼は今、なぜか私の肩に手を乗せて体を支え、虫の息だ。

 これはどういう状況なのかしら? ――と、目の前のサヴァス様に小首を傾げて訴えてみる。

 サヴァス様も、もじもじする大神官様を前に、少しだけ笑顔が強張っているみたい。いつもはあんなに優しくにっこりと微笑んでいるのに。珍しい。


「先生――。あ。さ、サヴァス様――」


 突然、私をぐいっと後ろに押しのけてサヴァス様に近づいた大神官様は、上気した顔で縋るように声をかけた。

 えっ? 大神官様――いつもと態度も口調も違うんですけど。


「これは大神官様。ようこそお越しくださいました」

「先生。そ、そんなぁ――。私に――。うぅ」


 サヴァス様の苦笑いなんて、初めて見たわ。

 いたたまれなくなって、私はそうっと二人の側を離れた。早く白防壁に行きたいもの!






 規制区域の「規制」は、調査が決定した時点で解除となったらしい。

 見慣れた白い大地の上に荷馬車が点在し、大勢の人が木材を担いでいる。

 大工たちは、途中途中の町で木材を調達しながら向かうため、調査団が王都を出発するよりも相当前に出発したと聞いている。


 どうやら彼らはバシリオス到着後、ほんの数日で白防壁の近くに自分たちの仮住まいを建て、既に王命による工事を始めているらしい。

 今世では風魔法で白防壁に登ることができないため、大工たちが、三十メートルを上るための階段を建設するのだ。


 マリオスさんたちの計画では、まずは柱だけで壁のない平屋を白防壁から垂直方向に延々と建てて、二階、三階と階段状に箱のような建物を積み上げて、階段の土台にするらしい。


 ここが国境だからなのか、騎士たちもそれなりの数が同行していた。

 前世の騎士服とは違っていても、馬上の彼らを見ていると、どうしてもバシリオスのことを思い出してしまう。

 小神殿にいた頃、夜明け前にそっと抜け出してここに来ることがあった。朝焼けの薄紫の色が懐かしかったから。


 バシリオスの髪の色を思い出しては、彼の仕草や眼差しを思い返していた。

 ああバシリオス……。今あなたがいてくれたなら、どんなに心強いか。

 目の前で飛び交う職人たちの声が、ここに、イリアスとしているのだと、私を現実の世界に引き戻した。

 それでも、最後にバシリオスと別れたところに――白防壁の上部に、どうしても視線が釘付けになってしまう……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る