第22話 受け継がれた「想い」と「願い」

「うーん。それにしてもすごい数だわ。私のほしい資料を探し出すだけで、相当な時間がかかりそう……」


 とにかく、ダビドの記したものを探さなくては。

 一人になった私は、早速手当たり次第に資料を読みあさった。

 欲しいのは五百年以上前の資料。私的な手記のはずだから、書籍の形にはなっていないはず。

 平積みされた紙や、丸められて紐で縛られた紙に、片っ端から目を通したけれど、目当てのものは見つからない。


 ……いけない。 このままだと仕事をしないまま日が暮れてしまうわ。

 とりあえず一日分の仕事量として、先にいくつか分類しておこうかしら。

 棚に並べられることなく木箱に入っている資料を取り出して、目を通すことにした。


 いったいどこから集めてきたのか、幼な子の練習帳のようなものから、薬草に関する考察、パン生地の膨らませ方など、とにかく古語読めない文字と思われるものは全て保管しているようだ。


 ドアの左側の書棚に並べるように言っていただけあって、一つ分の書棚が丸々空けられている。

 十種類ほどを分類したところで、恐ろしく長い梯子を立てかけて、最上段にメモを挟んだそれらを置いた。


「初日だもの。慣れない作業でペースが上がらないって言えば許してくれるんじゃないかしら」


 これで、抜き打ちで作業を確認されても大丈夫だと思う。

 改めてダビドの手記探しに没頭する。

 彼の筆跡だけを探そうと思うのに、いざ古文書を目にすると、なまじ読める分、どうしても不備を直したくなってしまう。

 書類の並び順を直したり、一括りにされている書類を内容ごとに選り分けたりと、いつの間にか「分類」という仕事をしてしまっていた。


「はあ。駄目だわ……」


 まあいきなり初日に発見しようなんて欲張る方が間違いよね。

 仕事をやりつつ探すことにしよう――そう考え直した私に光の神がご満足されたのか、木箱の底に、明らかに年月を経ている変色した厚手の紙があるのが見えた。

 手に取って、部屋に降り注ぐ光の下でよく見ると、それは読みやすく美しい筆跡で書かれた文書だった。

 彼の性格を表しているような癖のない几帳面な文字。


「……! これだわ。見つけたわ!」


 久しぶりにダビドの美しい文字を目にして、私はいつの間にか文字を指でなぞっていた。

 『私は――』から始まる文章は、日記みたい。

 驚いたのは、日付の記載の仕方。



『大聖女様就任の日』

『大聖女様就任の日から二日』



 ダビドは、マグデレネの大聖女就任の日から手記をつけていたらしい。

 なんだか日記というよりも、マグデレネの成長記録のよう。

 あっという間に、ダビドと初めて会った日の記憶が溢れ出した。






 ダビドに初めて会ったのは、私が七歳、ダビドが十四歳の時だった。

 私は六歳まで、離宮の外へ出ることを禁じられていた。

 七歳になると、「お披露目」をされるらしいけれど、病弱と私は、国王の判断で見送られていた。


 それでも兄様が、お友達を伴って離宮に遊びに来てくれるから寂しくはなかった。

 さらさらとした金髪とキラキラ輝くエメラルドの瞳のダビドを見た時、神様が人の顔を美しく作ったらこうなるのだという正解を見た気がした。

 だからとびっきり美しい人を「神々しい」と言うのだと思った。


 ダビドは、目も鼻も口も耳も顔の形も、髪も肌も瞳の色も唇の色も、もう何もかもが素晴らしかった。

 神様から私たちへの贈り物みたいだった。

 ダビドは自分以外の人間を見てどう思っているのかしら。自分以外の人間を見て、綺麗って思うことがあるのかしら?


 何度か会ううちに、ダビドは口を開けて笑わないのだと気がついた。彼がまとう空気が、彼の代わりに笑っていた。

 空気がほぐれたら笑っているということ。凍りつけば不機嫌になっているということ。

 ダビドが神官になってからは、よく一緒に光の神に祈りを捧げた。ひとしきり祈った後にダビドが感心したように漏らしたことがあった。


「マグデレネ様の祈る姿はとても美しいですね」

「何を言っているの? 祈る姿なら――っていうか、何をするにしても、ダビドの方が私の何倍も綺麗だと思うけど?」

「そういうことではないのですが。まあ、いいです」





 ……いけない。

 このまま読み進めると、前世の記憶の中を彷徨い歩くことになりそう。

 とりあえずは、知りたかった日の記述を探さなくては。私の最後のあの日のページを。


「え? どうして? 嘘でしょうダビド……」


 あの日の記述はなかった。手記は、私が死ぬ前日までしか記されていなかった。

 ダビド……。あなたらしくないじゃない。

 ……いいえ。私がそうさせたのね。

 あなたが記録を残す気力がないほど、私があなたを傷つけてしまったのね。


「ああ大変。濡らしてしまうわ」


 涙がどんどん溢れてきて、もう少しでダビドの手記を濡らしてしまうところだった。

 涙を拭って、木箱に同じ時代のものがないか見てみると、あの時同行してくれていたらしい神官の報告書を見つけた。

 大聖女亡き後の防壁についての報告だ。不完全な防壁を守ってくれたのは、やはり神官と聖女だった。


 どうしよう。もう涙が止まらない。

 私が死んだ後、神官や聖女たちは聖なる力で壁の補強を続けてくれたらしい。

 いったいどれくらいの間、彼らが防壁を守ってくれたのかしら。

 魔物の脅威が減り、おそらくは聖なる力の使い手も減っていく中、建設当時の「想い」や「願い」を、そういう形の無いものを引き継ぐのは困難だったはず。


 時が経つにつれて、徐々にそれらを受け継ぐ担い手が減り、遂には潰えたのだろう。

 それでも――五百年を経てもなお、あのように防壁が残っているのは、大聖女亡き後も聖なる力を注ぎ続けてくれた神官と聖女らのお陰に違いない。

 彼らのためにも、白防壁を消滅させる訳にはいかない。

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