第19話 癖の強い大神官様と生真面目な従者
あっという間に赤の季節になった。
過ごしやすい季節は終わりを告げ、夏至に向かって植物の成長は勢いを増していく。
その日の仕事を終えて部屋に戻って一息ついた時だった。
私たちのような下働きの使用人――下級使用人と言うらしい――を統括している神官が部屋までやって来た。
……何かしら?
いつもなら、目についた使用人に伝言を頼むのに。
「イリアス。いますか?」
「はい」
私が返事をしてドアを開けると、神官は青白い顔で立っていた。
もしかして、悪い知らせ?
「こちらを」
そう言って私に手渡したのは、真新しい使用人のお仕着せだった。
「明日からはこれを着るように。あなたを上級使用人に格上げします」
「え? あ、はい」
「詳細は明日説明があります。朝一番に上級神官様たちの執務室へ行ってください」
「はい」
「わかっていると思いますが、上級神官様を待たせるようなことがあってはなりません。十分、余裕を持って行ってくださいね」
「は、はい」
神官はなおも、「くれぐれも頼みましたよ」と念を押してから去った。
ドアを閉めた途端にネフェリが、「きゃー!」と奇声を発した。
「すごいよ! すごいよイリアス! ここに来たばっかりなのに、もう上級使用人だなんて! えー! 信じられなーい!」
ネフェリは相変わらず部屋の中で私と二人だけの時は騒がしい。ぴょんぴょんと飛び跳ねている。
でも確かに私も同感だわ。上級使用人のお姉様方は、皆さんベテラン揃いだもの。
お仕着せを広げてみると、スカート丈が足首まであった。ちなみに今来ている下級使用人のスカートは膝下丈だ。
使用人の上下はスカート丈で判別できるらしい。
「でも上級使用人の仕事って、どういうものなのかな?」
「これだけは言える! 外掃除は絶対にない。だってあの人たちが外に出ているのを見たことがないもん!」
確かに。
じゃあ、あの立ち入りを制限された区域内でのお仕事かしら。貴賓室へも出入りできるってことかも!
翌朝、朝食もそこそこに、滅多に立ち入れない上級神官たちの執務室を訪ねた。
中に入ると、まだ神官は二人しかいない。もちろん二人ともローブ付きの神官――ローブ付きか無しかというのは私の心の中での呼び名――だ。
そのうちの一人が私を見て、「ああ」と私の異動を思い出したらしく、「そこにかけて待っていなさい」と、右手を伸ばして壁際の椅子の方を指した。
言われた通り椅子に座ってしばらく待っていると、ちらほらとローブ付きの神官たちが入室してきた。
上級神官たちは見事に私を無視した。うーん。何だか透明になった気分だわ。
そんな中、見事な金髪を編み込んで左胸に垂らした神官が、私を目ざとく見つけて歩み寄ってきた。
私が立ち上がると、優しく声をかけてくれた。
「やあ久しぶりですね。ここには慣れましたか?」
「はい、ファニス様」
ファニス様は、初日に会った時と同じ微笑みを浮かべていた。
「私のことを覚えてくれていたのですね。ふふふ。あなたの働きぶりは聞いていますよ。本当はもう少し今のままいさせてあげたかったのですが、早く早くとせっつかれましてね。はぁ」
「……?」
誰に何をせっつかれたのかは知らないけれど、私に関係あることなのかしら?
「申し訳ありませんね。覚悟を決めたはずなのに。さて、あなたの新しい職場にご案内しましょう」
「はい」
「今日からあなたには大神官様付きになっていただきます」
「だ、大神官様付き? え? あの――」
「大丈夫です。あなたなら立派に務められます」
「いや、ええと――」
驚いてモゴモゴと失礼なことを言ってしまった。ここは礼儀正しく、「謹んでお受けいたします」と返事をすべきだったのに。
大神官様付きってどういう意味なのかしら? 大神官様の私室のお掃除とか、そういう仕事なのかしら?
「さあ。参りましょう」
ファニス様は私の返事など気にも留めずに、「心配いりません」と言って歩き出した。
「お前がイリアスか」
幅二メートルほどもありそうな大きなデスクに頬杖をついて、男性が声をかけてきた。
ファニス様にも一緒にいてほしかったのに、あいにく忙しいらしく、彼は大神官様に、「お連れしましたよ」とだけ声をかけて、部屋には入らずに執務室へと戻ってしまった。
間近で顔を見た大神官様は、思いの外、若かった。そう見えるだけかもしれないけれど、三十そこそこにしか見えない。
広々とした部屋は落ち着いた調度品で設えられている。その中で書類が山積みのデスクだけが浮いている。
あの日、遠目に見た灰色の髪は、真正面からだと顎のラインで切り揃えているように見えるけれど、後ろの襟足部分だけを背中まで伸ばしている。
私を値踏みするように視線を動かす様子は、人買いのならず者みたいで、少しだけ嫌な感じがした。
「……ふーん。野辺で戯れる子らと変わらないねぇ」
は?
「まあいいか。じゃあ早速だけど。喉が渇いた」
……う。誰からも何の説明も受けていないんですけど。大神官様は喉が渇いたら何を飲まれるのかしら。朝と夕とでも違うのかしら――。
そもそも、大神官様のお付きの使用人って他にいないの? 私みたいな新人だけってことないわよね?
わからないけれど、やるだけやってから叱られるとしよう。そうやって覚えるしかなさそうだから。
「はい。ただいま」
「おい。どこへ行く気だ?」
部屋を出ようとした私を、ニヤニヤと薄笑いを浮かべた大神官様が制した。
「紅茶でもおもちしようかと思いまして」
「あはは。喉が渇くと紅茶かぁ。つまんないねぇ。まあ紅茶が飲みたくなったらそう言うよ。喉が渇いたからといって飲んでばかりだと、たっぷんたっぷんになっちゃうんだぁ。気をつけないと、書き仕事をしている間に水分を取りすぎちゃうんだよねぇ」
えええ!? つまり、どうしろと? よ、読めない。この人。
私が固まって大神官様を凝視していたら、スッと男性が部屋に入ってきた。大神官様の部屋に入室の許可も求めずに入ってくるなんて。
「自ら新人いびりですか?」
その男性は、英雄たちの姿絵にも負けないほどの美丈夫だった。姿絵で使う金髪碧眼はこういう色ですよ、というくらいの、お手本のような髪と瞳をしていた。
「おーや、マリオス君。ちょっと揶揄っただけじゃないかぁ。ひどいなぁ。それにしても今日は早いんだねぇ」
「まるでいつもは遅いような、しかも定刻よりも遅れて来るかのような言い草はやめてください。いつだって定刻よりも早く仕事を始めておりますが?」
……すごい。マリオスさんて何者? 口調は丁寧なのに、大神官様を睨みつけて叱責している。
まあ大神官様にはまったく通じていないみたいで、なぜか嬉しそうにクスクス笑っているんだけど。
「ああ、そういやぁ自己紹介をしていなかったね。私は大神官ガラシモス。この大神殿で一番偉いんだよ? でもまあ、これからは毎日一緒にいるんだし、私のことはシモンって呼んで――」
「『大神官様』と呼ぶように」
そんな呼び方は絶対に許しませんと言うように、マリオスさんが強く訂正した。
「ふぅ。つまんないねぇ。ちなみにシモンっていうのは、このクソつまんない男がよちよち歩きの頃に私をそう呼んだんだ。私の乳兄弟のマリオス君が、あんなに可愛かったマリオス君が、これほどおっかない男になるなんてねぇ」
「使用人に余計な情報を与えるものではありません」
「きっついよねぇ? 元騎士だからかな? マリオスは生まれた時から私の従者になることが決まっていたんだよ? 一緒に神殿に入って神官になってくれてもよさそうなものだけどねぇ。それなのに勝手に騎士なんかになっちゃってさぁ。まあ、無事に引き抜けたからよかったものを。あのまま――」
なるほど。だからか。マリオスさんは神官服ではなく、騎士服に近い格好をしている。
「戯言はそれくらいにして、仕事に取り掛かっていただけませんか?」
ギロリと尖った視線だけで大神官様の口を閉じさせたマリオスさんが、この大神殿で一番偉いんじゃないかしら?
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