第16話 採用試験

 紹介状があればすぐに働かせてもらえると思っていた私は、クリストファー様に、「下働きといえど選考を受ける必要がある」と言われ、ガクッと項垂れてしまった。

 大神殿での下働きは人気の仕事なのかしら?


「ついて来い」


 クリストファー様はそれだけ言うと背を向けて建物の奥へと歩き出した。

 大神殿から少し離れた別棟の建物だけど、やはり高位の神官が暮らしているだけあって、瀟洒なデザインの、それでいて堅牢な作りだった。


 クリストファー様に続いて奥まった小部屋に入ると、「ドアを閉めろ」と、命令された。

 私の知っている神官はサヴァス様だけだったので、神官は皆優しくて、丁寧に接してくれるのだと思い込んでいた。

 もしかしたらサヴァス様が特別だったのかもしれない。ちょっと残念。


 それにしても、試験をすると言っていたのに、この部屋にはテーブルも椅子もない。書棚が四つほどあり、様々な大きさの本が収められている。

 クリストファー様はその中から迷わず一冊を取り出すと、表紙をめくって私の目の前に掲げた。


「この古文書の一行目に何と書いてあるか読めるか?」


 思わず息を呑んだ。

 小神殿の展示物を読んだ時にわかっていたことだけど、五百年という月日は文字までも変えていた。

 目の前に差し出された文字は、マグデレネ時代のものだ。

 ……なるほど。「古文書」の意味がわかった。五百年前の「古語」で記された文書という意味なのだ。


 クリストファー様は、その古語が読めるのかと尋ねているのだ。

 ふう。さすがのサヴァス様も大神殿での採用試験をご存知なかったのかな?

 これは平民では学ぶ機会すらないと思うのだけれど。


 でもサヴァス様の紹介状を持ってきた私が読めないとなると、サヴァス様の評判を落とすことになるかしら?

 まあ、読めるんですけどね!

 ほんの一瞬でそれだけのことを考えていたら、見たことのない文字に面食らっていたように見えたらしい。


「ふん。無駄な時間だったな」


 クリストファー様が、嬉しさを隠しきれない顔で本を閉じた。

 え? 早すぎない? もう少し見せてくれてもよさそうなものなのに。

 一行目と言わず、そのページに書かれた文章は、半分以上が解読不能な内容だった。


 単語の綴りがおかしいのだ。

 おそらく何度も書き写しているうちに、間違って写してしまったのだろう。おかしな綴りの元の単語を想像しながら文章を組み立てて答えるしかない。


「ええと。『我が光の元に集えし子らよ』でしょうか?」


 私がそう答えると、クリストファー様が、「なっ!」と驚いた声を出して固まった。

 けれど次の瞬間、「ふふふ」と笑うと、馬鹿にしたような口調で言った。


「違うな。『私の光があった場所は、壮大な広さがあった』だ。まあ、お前のような平民に読める訳もないか」


 は? それだと二行目につながらないでしょう?


「おや? こんなところで何をされているのですか?」

「ファニス様!」


 ドアを開けて入ってきた男性は、金色の長い髪を緩い三つ編みにして左胸の前に垂らしていた。

 クリストファー様と同じような白いローブを纏っているけれど、襟元から裾までの縁に金色の刺繍が施されている。

 ……あ。ファニス様といえば、サヴァス様が紹介状を宛てた人だわ。


「それで? このお嬢さんはどういう方なのでしょう? 二人で何をされていたのです?」

「ああいえ。その――。下働きとして雇ってほしいと紹介状を持ってきていて――」

「それは珍しいですね。いったい誰からの紹介なのですか?」


 クリストファー様は、ファニス様のお姿を見て明らかに狼狽している。

 そして、バツが悪そうに目を泳がせながら答えた。


「……サヴァス様です。あの方が紹介するほどの人物なので、どれくらい優秀なのか見極めたいと思いまして」


 え? ちょっと待って! もしかしてサヴァス様からの紹介だったから、採用試験の難易度が上がったの?

 いや、まさかそんなことはないか。読めない前提で、他の素養を見ていたのかしら?


「ほう。それで結果は?」

「は、はい。まあ――」

「おや? それは『光の神より給いし言葉』の写しですね。それを読んでいたのですか? なるほど。古語が読めるのですね……」

「あ! いいえ! 違います。その娘は単語をいくつか知っているだけのようです」

「そうでしたか。単語をね。サヴァス様に教わったのですか?」


 ファニス様は明らかに私に尋ねている。

 サヴァス様と顔立ちは似ていないのに、なぜか優しい目元は彼を思いださせる。


「……はい」


 違うとは言えない。他に知っている理由がない。

 それでも嘘をつくことに対して、私はほんの一瞬、表情を曇らせたと思う。

 おそらく相当高位の神官であるファニス様が、それに気づかない訳がないと思うのに、彼はにっこりと微笑みかけてくれた。


「ようこそ。ダビド大神殿へ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る