第14話 ダビドの手記
その後も数日間は、顔を合わせる度にデメトーリから嫌味を言われた。
ベネディクトもさぞや参っているだろうと思い、二人っきりの時に励まそうと思っていたのに、なかなかそのチャンスがやってこない。
――というよりも、ベネディクトはあえて私に話をする余地を与えないようにしているみたいで。
「あ! ねえベネディクト。私、展示室の掃除が早く終わったんだ。薪を運ぶの手伝うよ」
「もうこれで終わりだから」
「あ――そう」
ベネディクトは私の目も見ずにそう言うと、背を向けて去っていく。可愛くない。
「夕食の料理当番でしょ? 私も手伝うよ。これ剥いたらいい?」
「……」
話しかけたのに目も合わせてくれない。やっぱり可愛くない。
以前なら、「お前に頼むと余計に手間がかかる!」とか、「今日はチャチャっと仕上げたいから邪魔すんなっ」とか、頬を染めながら言葉をかけてくれたのに。
ベネディクトは、私などいないかのように一人で黙々と調理をしている。
私には料理の才能がないから、材料や途中の調理工程を見ただけでは、何の料理を作っているのかわからない。
悔しいけれど、細かな指示をもらわないと手伝いようがない。
「じゃあ、お皿用意しておくね!」
仕方がないので、そう言って平皿を取り出しただけで厨房を出た。
ベネディクトは、「ありがとう」とも、「それは使わない」とも言わず、相変わらず私を無視していた。
「……はぁ」
ベネディクト、どうしちゃったんだろう?
髪も瞳も赤いままだし、背も声も変わっていない。でも、以前の彼とは明らかに違う。
彼の中の何かが変わってしまったのかしら? 私の髪や瞳の色のように。
それとも何か――トラウマのようなものを思い出したとか?
誰にも話したくないことなのかしら? サヴァス様にも?
あの白防壁に触れた者同士。変わってしまった者同士でも、駄目なのかな……。
ベネディクトの変わりようも気になるけれど、もっと気がかりなのは、やっぱり白防壁だ。
「ついつい来てしまったけれど。さすがに規制区域には入れないから……」
視線の先にある白防壁は、堂々と空に向かってそびえ立っている。
私が死んだ後も五百年以上もの間、あの白防壁はそこにあり続け、その役割を果たしている。
私が魔物の王に殺された後、兄様が魔物の群れを追い払ってくださったのかしら?
ああバシリオン!
私が素直に言うことを聞かなかったせいで――ごめんなさい。
目の前の白防壁は、完璧な姿に見える。
でも。その力強い姿とは裏腹な、壁にぶつかった時の感触を今でもありありと覚えている。
あの時に感じたもの……。
あれは、まるで溶け始めた雪のようだった。
聖なる光を注いでいた時とはまるで違う感触。
あのままにしておけば、雪が溶けて茶色い地面が顔を出すように、やがて白防壁も消えてしまうのではないだろか――。
そんな不安を覚えずにはいられないほどの儚さだった。
今でも厚みや高さはあるけれど。
いつの日かきっと。そう遠くない未来に、高さも厚みも縮小してしまうような気がした。
『消滅』という言葉が頭をよぎる。このままではいけない。
でも今の時代には、聖なる力を使える神官も聖女もいない。
そもそも、誰も白防壁には近づけないのだ。
「……ふ」
私がやるしかないっていうことね。
結局、生まれ変わっても普通の生活とは無縁なようだわ。
まあ前世の失敗を取り戻すチャンスをもらった訳だから、感謝しないといけないわよね。
これといった目標もなく、ただ安穏とした日々を過ごそうと思っていた不埒な私に、光の神はよく聖なる力を授けてくれたものだわ。
とは言っても――。兄様もダビドもバシリオスもいない。
神官や聖女がいなくたって、三人がいてくれたなら、きっと何とか出来たはず。どうして私だけ一人で生まれてきたのかしら。
これは何かの罰なの……?
嫌だな。嫌だけれど。
『どうしてお前が一人で悩まねばならぬのだ。実に許し難い! 光の神がお前にそのような力を授けたばかりに。くぅ……。いつか神に会うことがあれば、必ずや文句を言ってやる! それにしても、俺はずっとお前の側にいると約束したのに。どうしてお前を一人にしているのだろう……』
ふふふ。兄様が今の私を見ていたならば、悲痛な顔で、光の神に向かって文句を言っていそうだわ。
『マグデレネ様はご自分の力を過小評価されていますね。確かに私や陛下は道筋をつける程度のお手伝いはいたしましたが、それだけです。あの膨大な聖なる光はマグデレネ様がお一人で放たれたのですよ? なぜそれ程までにお心を乱されているのか理解に苦しみます。私は全く心配しておりませんが?』
ダビドにそんな風におだてられたら、私はきっと調子に乗って一人で大暴れしてしまうわね。
『この身も心も既にマグデレネ様に捧げております。何なりとお命じください。魔力が尽きても命が尽きるまで、この身が砕け灰になるまで、マグデレネ様の盾となり剣となり、その尊き手足の代わりとなりますので』
バシリオスは、あの青い瞳で、聞かされている私が真っ赤になるようなことを平然と口にすると思う。
――うん。私、頑張るしかない。
図らずしも「目標」だか「目的」だかが決まったんだもの。
白防壁を甦らせること。
私にしか出来ないこと。
でも、そのためには規制区域に入って、あの防壁の上部にも上がらないといけない。
私一人では無理だわ。
また――魔物に襲われるかもしれないし。
やっぱり国王に命じてもらって、騎士たちに同行してもらわないと無理よね……。
とはいえ平民の
下手をすれば投獄されるかもしれない。
そもそも――。
あの壁は、どういう経緯を辿って、今、どういう状態なのかしら。
私が覆った聖なる光の効果は、この五百年でどのように変化したのか詳しく知りたい。
また注ぎ直せば、この先五百年もつのかしら?
ああやっぱり、ダビドがいてくれたらなあ。きっと適切な助言をしてくれたはずなのに。
彼なら――きっと死ぬまであの壁を見ていてくれたはず。
そして、あの筆まめなダビドのことだもの。わずかな変化だって見逃さずに記録して、兄様に進言していたんじゃないかしら?
いつでもどこでも片っ端から記録するような手記魔だったもの。
ああ、その記録があれば! ダビドの手記を読みたい。
「サヴァス様。白防壁の建設に関してもっと知りたいのです。ここにある資料では、当時のことを詳細に書き残した記録などは保管されていないようなのですが。古い資料を保管している小神殿をご存知ないですか?」
「詳細な記録ですか……」
サヴァス様は珍しく、うーんと考えを巡らせるように頭を傾げた。
「そうですね。あることはありますが――」
「え? あるのですか? 見たいです! 読みたいです! どこにあるのですか?」
「あ、ええ。それがですね。数百年前の資料は、貴重な古文書として一所に大切に保管されているのです。国王といえども自由に閲覧することはできないのです」
「……え?」
「王都にあるダビド大神殿には、
ダビドの手記は、おそらく彼の名前を冠した大神殿に保管されている……。
何としてでもダビド大神殿に行って、秘蔵の古文書とやらを読まなくては――!
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