第13話 復活した大聖女の力
目を開けると見慣れた天井が見えた。こんな気分で天井を見るのは、これで二度目だ。
毎朝の目覚めとは違う、この感じ――と思った途端に、白防壁での出来事を全て思い出した。
そして――。
自分の体の中にあるものを感じて、胸が震えた。
それは、とてもとても馴染み深いもの。私を私たらしめるもの。前世の私が、生を受けた理由そのもの。
光の神より与えられし聖女の力を、再び身に宿している!
「あれなのかな……? 白防壁に触れたから? 壁を覆っている前世の私の力に触れたせい?」
考えを整理するために、そうつぶやいてみたけれど。答えなんてわからない。
でも、私に聖女の力が戻された理由はなんとなくわかった。白防壁に触れた時の、あの感じ――。
トントントン。
ドアをノックする音に思考を中断させられたけれど、まったく嫌じゃない。
小気味いノックは、彼に初めて会った時の記憶を呼び起こした。
「ああ。よかった。気がついたのですね」
……サヴァス様。
「色々と聞きたいところですが。それよりも、どこか痛いところはありませんか? 体に違和感を感じるところは?」
「いえ。大丈夫です。どこも痛くありません」
「本当ですか? 我慢しているのではないですか? どうか正直に打ち明けてください」
なぜか執拗に尋ねるサヴァス様。
あの白防壁に触れたからには、何かとんでもないことが起こっているに違いない――という先入観で聞いているのかしら?
なんて答えようかと迷っているのを見て、サヴァス様はハッと何かに気がついたらしい。
「イリアス。もしかして目を覚ましたばかりで、鏡を見ていないのですか?」
「鏡――ですか?」
私はそんなにもひどい顔をしているの?
サヴァス様を見ると小さくうなずいてくれたので、ベッドから下りて、毎朝支度をする時に使っている二十センチほどの長方形の鏡を覗き込んだ。
「嘘――でしょう」
鏡に映る顔はイリアスで間違いない。
ただ、髪の色と瞳の色が変わっていた。
鏡の中で私を見返しているその人は、赤紫の髪と緑の瞳をしていた。
それはマグデレネの色。前世の私を形作っていた色だ。兄様がいつも褒めてくれていた色……。
『芳醇な赤ワインのような、いや、大地が手放せずに抱いていたルビーのような髪』
『濃いエメラルド色かと思えば、明るい陽の下ではペリドットに変わる瞳』
蘇った聖女の力が
「サヴァス様。もうカツラはいらないみたいですね。白防壁を覆っている大聖女様のお力に触れて、お情けを賜ったのでしょうか?」
「……確かに。そういう見方もできますね。大聖女様ならば、そのように計らってくださるかもしれません。何にしても、とにかくあなたが無事でよかった」
サヴァス様は心底ほっとしたらしく、「はぁ」と細く長い息を吐いた。
でもまさか。髪と瞳の色が変わってしまうなんて。それだけでも奇跡が起こったといえるわ。
いくらサヴァス様が当時の大聖女様贔屓でも、今はこの
私が感じた白防壁の違和感についてまで、ここで打ち明ける訳にはいかない。
サヴァス様を困らせてしまうだけ。
……ううん。そうじゃない。
サヴァス様は、きっと私の話を信じてくれる。そして、自分に出来ることをしようとしてくれるはず。
おそらくどんな苦労も厭わず、助力を惜しまないだろう。
この方を、そんな風に関わらせちゃいけない。負担をかけるべきじゃない。
「……その。約束を破ってすみません。規制区域には絶対に入らないって約束したのに。サヴァス様にあんなに注意されていたのに」
サヴァス様の青い瞳が静かに揺れた。
「ベネディクトから聞きました。彼が規制区域に入ったので、あなたが連れ戻そうとしたのだと」
……ああそうか。
あの不思議な生き物のことを話す訳にはいかないから、ベネディクトはそんな作り話をしたんだわ。
「――ですが。ベネディクトは理由を教えてはくれませんでした。なぜ、そんなことをしたのかは」
サヴァス様は静かに私を見た。その瞳は遠慮がちにこう言っている。「知っているのなら教えてくれませんか?」と。
私は俯くだけで何も答えられなかった。
ベネディクトと顔を合わせたのは、夕食の席だった。
大好きなサヴァス様に叱られて落ち込んでいるかもしれない。目を赤く腫らしていても、そこは気づかないふりをしてあげようと思って厨房へ行った。
テーブルには三人が既に着席していて、私の分の料理も並べられていた。
ふぅ。まずは謝罪からよね。
「あの――」
「な、な、な――」
デメトーリが立ち上がって私を指差した。
いつもなら澱みなく言葉が出てくるのに、口をパクパクさせるだけの彼を初めて見た。
ベネディクトは一瞬目を見開いたけれど、すぐに真顔に戻った。
二人の反応が、いつもと逆転しているみたいで、なんだか変な感じがした。
「あ。コホン」
サヴァス様がわざとらしく咳払いをして、私の代わりに話してくれた。
「イリアスは事情があって、私の髪で作ったカツラを使用していたのですが、もう髪色を隠す必要がなくなったので、この通りカツラを外すことになりました」
サヴァス様は、白金色のカツラを二人に見せて微笑んだ。
「人には皆、それぞれ事情があるものです。こうして縁あって一緒に暮らしているのですから、互いに受け入れましょう」
「ね?」というように目尻を下げたサヴァス様に、デメトーリが首を縦に振った。
対してベネディクトは、視線を落としただけだった。
あれ……? 変なの――。
いつもより会話は少なめで夕食を終えた。
私とベネディクトが食器を下げると、デメトーリがお茶の準備を始めた。
テーブルの上には紅茶のポットと四つのティーカップだけ。
楽しい食後の団欒のためではない。
ベネディクトは固い表情で、自分のカップを睨みつけている。
私も手元に視線を落として、サヴァス様の言葉を待った。
「……それで? ベネディクトはなぜ規制区域に侵入したのですか? これまで白防壁に興味を示したこともなかったのに。急にどうしたというのです?」
てっきりサヴァス様は、私とベネディクトが規制区域に侵入したことは、伏せてくれるものだとばかり思っていた。
単刀直入な問いかけに、私は驚いて顔をあげた。
「……イリアス。あなたは馬鹿なのですか? ああ、馬鹿なのでしたね。何をそんなに驚くことがあるのです?」
私の反応から考えていたことを読み取ったらしいデメトーリが、イライラしながらネチネチと責め立てる。
「あそこからあなたを抱えてここまで帰ったのは誰だと思っているのです? まさか意識を失った状態でも帰巣本能が体を操って、ここまで戻って来られたのだとでも?」
「い、いいえ」
なるほど! デメトーリが私を運んでくれたのね!
「あなたたち二人のしたことが、どういう結果を招くかわかっているのですか! 見つかったら最後、あなたたちは重罪に問われ、下手をすればサヴァス様まで処罰されていたかもしれないのですよ! よくもまあ、普通に夕食を食べられましたね! どういう神経をしているのですか。信じられません!」
サヴァス様は苦笑しているけれど、デメトーリを止めるつもりはないらしい。
興奮状態のデメトーリが私たちに怒りをぶつけている間もずっと、ベネディクトは相変わらず無表情で、心ここに在らずといった状態でティーカップを見ていた。
そして、「何故だ?」「どうして?」と繰り返される質問に、彼は最後まで沈黙を貫いたのだった。
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