第12話 大聖女としてこの身を捧げます

「……いたたた」

「マグデレネ様! 淑女教育が中断されたからといって、淑女でなくなった訳ではないのですよ? どうしてあなた様は――。いつもいつもそうやってお召し物を汚されて――」


 あーそっか。

 この聖女のための、やたら袖口が広がった衣装を洗濯するのは、神殿の人たちだものね。

 体に巻き付けるように幾重にも重ねられた布地は、私にしてみれば、ただただ重いだけなんだけど。


 目の前で項垂れている老神官は、私のお目付け役だ。

 大神殿というところは男性ばかりで、女性の姿をほとんど見かけない。聖女たちはどこにいるのかしら?


 私が連れてくることを許された、たった一人の侍女コリーナは、兄様が生まれる前から城にいたというから、私の倍以上の年齢のはず。

 彼女は今日、お城に呼ばれているため大神殿ここにはいない。

 だからといって、それが木登りや庭を駆けずり回ることの言い訳になるはずもなく。


「あはは。ごめんなさい。つい――」

「つい? ついとは何ですか。笑い事ではありませんよ。王女殿下として教育されていたはずのあなた様がなぜこのように――」


 うんまあ。確かにそう思うよね。「おいたわしい」と。

 お城にいた時もずっとそう言われていたわ。


『あの落ち着きのなさは亡き王妃様の面影がある分、輪をかけて残念だな』

『どうして走ったり飛び跳ねたりなどなさるのか。何かが取り憑いているとしか思えない』





 十歳の誕生日に兄様から頂いたプレゼントを、私は毎日身につけていた。珍しい果物と可愛らしい花で作られたリースの冠。


「やはりよく似合うな。俺の髪の色の濃紺のベリーとお前の髪の色の赤紫のベリー。それに白と黄の花。きっと光の神がおられる楽園には、お前の大好きな果物や花がたくさんあるに違いない」

「もう兄様ったら! 楽園は私のためにあるのではありませんよ?」

「そうか? お前のためにあってほしいものだ。ははは。まあ今日一日楽しんだら、明日はつまんで食べるといい」

「そんなもったいないことはしません! いつまでもこのまま、毎日冠を乗せます!」


 そう。いつまでもこのまま……。私は本気でそう思っていた。

 そして宣言通り、兄様から頂いたリースの冠を、来る日も来る日も頭に乗せていた。


 一年が過ぎ、十一歳の誕生日が近づいた頃。陛下父様に呼ばれた。

 陛下の横には悲しそうに目を伏せた兄様もいた。

 そして、もう一人。

 ランプシェードを逆さにしたようなものを頭に乗せて、床まで届きそうな白いガウンを羽織っている人がいた。神官だ。

 式典でもないのに、お城に――それも陛下のそばにいるなんて珍しい。


「マグデレネ。今日はそなたの資質を確かめるために大神殿から特別に大神官を呼んだ」

「はい。陛下」


 ……資質?

 何のことだか理解できないでいる私に向かって、大神官が歩み寄ってきた。

 唇の両端をわざとらしく上げて笑っている。すごく嫌な笑い方。


「姫様。その果物をこちらへ」

「え?」


 私がキョトンとしていると、大神官は、「失礼」と言って、勝手に私の冠を取り上げた。


「あ! ちょっと!」


 大神官はしばらく眺めた後、ベリーを一つ掴んで口に入れた。そして驚いた顔で咀嚼し、飲み込んだ。

 ひどい。私のベリーなのに。兄様がくださった大切なベリーなのに!


「陛下。これをなんと表現したらよいのか。姫様の誕生日からもうすぐ一年になるというのに、この瑞々しさ。このような力の発露は初めてです。さすが王家のお血筋であられます」

「そうか。だが聖女は物心ついた頃には力を発揮するものだと聞いているが?」

「おそらく侍女たちが姫様のお世話をしているため、姫様自信が何かを為すということがなかったためではないかと。そのため発見できずにいたと思われます」

「ふむ」

「……ですが。よろしいのでしょうか? 聖女と認定されれば、その――。他の聖女たちと同様にお過ごしいただくことになりますが」

「構わぬ。いや、むしろ喜ばしいことだ」


 二人は勝手に私を聖女だと言っているけれど。

 ……兄様。どうして目を合わせてくださらないの?


「でかしたぞマグデレネ。まさかお前が聖女だったとはな。これでお前も王族として勤めを果たすことができる。民の希望となり、その願いを叶えてやるのだ」


 数えるほどしか会話したことのない国王陛下父様は、目の前で私が聖女として働けることをことのほか喜んでいる。

 見たことがないほど上機嫌だ。


「父様――」

「『陛下』と呼ぶように。何度言えばわかるのだ。ふっ。だが、もうお前は私の娘ではない。光の神に選ばれた存在なのだ。その命尽きるまで、この国に奉仕するのがお前の務めだ。わかったな?」

「……はい。陛下」


 父様の横にいる兄様は渋面で一言も発しなかった。

 ……兄様?

 私はこの日この時をもって、王女から聖女に変わった。

 十一歳になると、住まいも王城から大神殿へと移された。

 コリーナだけはそのまま連れていくことを許されたけれど、護衛は神殿の騎士に変わった。


「ねえコリーナ。兄様は会いに来てくださるかしら?」

「姫様。それは難しゅうございます。聖女は光の神のしもべなのです。その力をこの国のために使うのがお仕事なのです。王族方への報告は、大神官様が行われるでしょうが、聖女は――。聖女がお目通りを許されることはないと聞いております」


 ……ああ、そんな。大好きな兄様に会えないなんて!

 でも、大神殿は王城のすぐ隣にある。

 もしかしたら、木の上からなら兄様の姿を見られるかもしれない。一目だけでも兄様のお姿を見たい。


 そう思って、今日こそはと。昨日よりも高いところへと。

 毎日、そうやって木に登っては目を凝らした。

 老神官がいくらたしなめても言うことを聞かなかった私は、大神官の命によって罰が与えられるようになった。


 聖衣を汚す度に、何日も部屋に閉じ込められた。

 もう王族ではないのだと、その度に言われた。我が儘は許されないのだと。

 聖女になるのに身分は問われない。高貴も下賤もない。

 聖なる力を持つものは、皆等しく「聖女」なのだ。


 部屋に軟禁される度にコリーナが泣いた。私が泣かせたのかと思うと、胸が苦しかった。

 季節が一つ過ぎる頃には、私はもう木に登ろうとは思わなくなった。


 神殿で聖なる力の使い方を学んだ私は、半年後にはもう魔物討伐に駆り出されていた。

 十三歳になると、「大聖女」という称号を贈られた。

 私があげた成果だと、武功を讃えるためだと言う人もいたけれど。それは表向きで、元王女だからだと言う人が大半だった。


 大聖女誕生を祝う式典を準備していた矢先、国王陛下が崩御された。

 国王に即位した兄様は、驚くべき計画を口にされた。

 北の魔物の国との国境に、その往来を永久に閉ざす防壁を築くというのだ。


「可愛いマグデレネ。私の愛しき妹よ。お前を聖女にしてしまった兄を許しておくれ。お前の人生を奪ってしまった、この罪深い兄を。だが、私が王となったからには、この力を、お前を救うことだけに使うと誓う。防壁を築き、必ずお前を解放してみせる」


「そんな。兄様――」


「防壁が出来れば魔物の数も激減するはずだ。そうなれば、これまでのように魔物の討伐にわざわざ聖女が同行する必要もないだろう。危険な討伐はなくなり、お前の負担を減らせるはずだ。あ、コホン。もちろん民への被害もな。ゆくゆくは聖女など不要となるであろう」


 兄様は夢を語ってくださった。

 防壁が出来たならば、あとは国内の魔物の発生源を浄化するだけだと。

 防壁が完成しても、しばらくの間は国内に魔物が沸くだろうが、それも騎士団が討伐するだろう。


 数年もすれば、もう神官や聖女は不要となるはずだと。おそらく騎士さえも。

 何て素敵な夢かしら。

 魔物の被害がなくなり、討伐の必要もなくなれば、誰もが自分の人生を好きに生きていけるようになる。

 もう聖女が生まれなくてもいいのだ。私が、最後の聖女になる。

 ……兄様。

 兄様が望むこの国の未来のために、私はこの身を捧げます。

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