第2話 大聖女だった前世の私
……あと少し。
壁のこちら側の側面は、あと少しで魔物たちが触れられない聖なる光で覆い尽くせる。それが終われば、上部と向こう側だ。
雪を踏み固めてカチコチにしたような防壁は、遠目からは氷の壁のように見える。
その気になれば魔力のない平民でも作れるけれど、厚さ十メートル、高さ三十メートル超という規模のそれは、もはや巨大な建造物に等しい。
魔物の国との境に一分の隙も無く張り巡らせるには、やはり魔力が不可欠だ。十五歳の私はまだ成長途中で、今ある魔力では、聖なる光で全体を覆うのが精一杯。
そのため、防壁自体の構築は神官や聖女らが行ってくれた。
防壁が完成した今も、聖属性の魔力を練り込み続けてくれている。
彼らに指示をしている大神官ダビドの声を聞くだけで、私まで力が湧いてくる。
まだまだ大丈夫。ちゃんと予定通りやれるわ――。
幼い頃から一緒だったダビドは、私よりも七歳年上の二十二歳。その才能と人望で、二年前に大神官に抜擢された。
国王である兄アドニスの友人でもある彼は、日の光を浴びて、神と見紛うほどの神々しさを放っている。
陽光にきらめく金髪にエメラルド色の瞳。
女の子なら誰もが見惚れる容貌の持ち主。
ふふ。私が大聖女様なんて呼ばれるよりも、ダビドが大神官様って呼ばれる方が合っている気がするな。
よそ見をしていた私のところに、全体の指揮を執っている兄様からの伝令がやって来た。
「姫様。もう少しで日が中央に差し掛かりますので、そろそろ壁の上部を聖なる光で覆っていただく頃合いなのですが。こちら側は後どれくらいかかりますでしょうか?」
「姫様」か。
兄様の近しい人だけが、今でも私のことを「姫様」と呼ぶ。
「もうあと少しだけ。すぐに上に登るわ」
「承知しました。それでは陛下には『つつがなく』とお伝えして参ります」
「よろしくね」
この防壁が完成すれば、魔物との戦い自体が激減するはず。もう誰の血も流させやしない。
そのために、絶対に成功させなくてはならない。
自国側の壁一面には、均一に漏れなく聖なる光が行き渡った。
「――ふう。これでこちら側は完了。いよいよ上ね」
防壁自体にも、聖女や神官らが聖属性の魔力をたっぷりと注いでくれているけれど、より一層完全なものとなるよう万全を期しておきたい。
だから――。
私の持てる力全てで、壁自体に聖なる光を浸透させるように覆っていくのだ。
私の魔力は全て防壁に注ぐため、壁上部へはバシリオスに風魔法で送ってもらった。
「先にマグデレネ様をお送りします。その後、私もすぐに参りますから」
私の護衛騎士のバシリオスは、兄様の剣の師でもある。
明るい陽の下では淡い赤色にも見える薄紫色の髪に、サファイアのように澄んだ青色の瞳。
赤ワインのようなコクリとした赤紫と言われる自分の髪も嫌いじゃないけれど、バシリオスみたいな明るめだったらよかったのにな。
彼と出会った頃は、彼を見る度に羨ましがって兄様を悲しませたっけ。
『私の愛する妹の髪色以上に美しい色があろうはずがない。お前の髪はどの宝石よりも輝いていて、私の目ばかりか心まで奪うというのに。バシリオスの髪など、ただの明るい紫だ。それ以上でも以下でもない。なのに。お前ときたら――』
そう言う兄様の深みのある青い髪も大好き。
私が「好き」と言うたびに目を細くする兄様の、キラキラと輝く青い瞳を覗き込むのが好きだった……。
さて――と。
私が合図すると、バシリオスは私の周りの空気ごと、ぐるりと幾重にも風を巡らせて、ふわりと防壁の上部へ運んでくれた。
防壁の上部は、まるで大きな街道のようだった。
私に続いてバシリオスが、その後に騎士たちが続々と続く。
騎士の人数を見て、今更ながら国境という危険地帯にいるのだと思い知った。
「うわあ。すごい見晴らし」
そこからは国境沿いの町が一望できた。
広大な森の中にポツンと開けた箇所があり、そこに家々が肩を寄せ合うように建っている。
北の森の木々の幹は細く、頼りない枝に申し訳程度に尖った葉をつけている。
全体的に生命力が乏しく、寂しい印象だ。
もうすぐ白の季節は終わり、黒の季節へと移る。
作物の収穫が終わった今、民たちは黒の季節に備えて薪を積み上げている頃だろう。
白から黒への季節の移り変わりは、どこかもの悲しく、なんとも言えない寂しさを覚える。
「それでも。あちらよりはマシね」
反対側の魔物の国の方は、遠くに見える山の麓まで乾いた不毛の大地が広がっているだけ。
その山の向こうの様子まではわからない。誰一人見たものはいない。
だけど、数日前から風魔法を使える騎士が数人、その山に近づき偵察を行っている。可能ならば山の向こうまで行くと聞いた。
彼らが戻って来たならば、是非とも聞きたいものだ。
彼の地は――魔物の国とはどのようなところなのかを。
ほんの少し目線をやっただけのつもりだったのに、バシリオスに叱られてしまった。
「マグデレネ様。そちらをご覧になるのはおやめください。塵一つでも、姫様のお目汚しにしかなりませんので。それよりも、早めに終わらせることだけお考えください」
「そ、そうね」
バシリオスは丁寧な言葉遣いとは裏腹に、口角を少し上げて目を細めている。
あー。出たわ。怖い
集中よ。集中――。
意識を集中して願いを込める。
――汚れたモノたちには触れられない光のベールを広げるのだ。
兄様。ダビド。バシリオス。聖女たち。神官たち。神殿で仕えてくれている者たち。道の脇から手を振ってくれた者たち。笑顔の子供たち。
――ああ、みんな。あなたたちには指一本触れさせないわ。
そんな願いを込めて、聖なる光を放つ。
私にしか見えない微小な粒子が、足元を起点に左右にキラキラと駆けていく。
国境沿いに築かれた防壁の端に行き渡るまで、私は祈り続ける。
――うん。これで大丈夫かな。
「……はあ」
つい、ため息が漏れてしまった。
……う。体が重い。まだ向こう側が残っているというのに。情けない。
「マグデレネ様! 大丈夫ですか?」
少しふらついただけなのに、過保護なバシリオスが駆け寄ってきた。
私の顔色はそんなにひどいの?
バシリオスの表情から、自分の今の表情が窺い知れるというもの。
ここで無理をして中断などという事態は避けたい。痩せ我慢は駄目よね。正直に言わなくては。
「少し休憩する時間はあるかしら?」
「もちろんです。マグデレネ様。順調ですから。まずは御身を優先してください」
そう言うと薄手の毛布をふわりとかけてくれた。
順調?
ふふ。バシリオスったら。それは嘘ね。私にだって日の傾き具合から残り時間はわかるのよ?
少し――いえ。かなり遅れているようだわ。何としても日没までにはやり終えないと。
終わった後でなら何日寝込もうとも、ううん。しばらく意識が戻らなくてもいい。
この防壁を鉄壁のものにできるのならば。
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