第3話 マグデレネの最後

「敵襲! 敵襲! 繰り返す! 敵襲! 敵襲!」


 私を取り囲んでいた騎士たちが色めきたつ。


「そんな馬鹿な。斥候からは何も――」


 そう言いながらも騎士たちは剣を抜いて構えた。

 騎士たちと同じ方を向くと、山の麓を流れ落ちるように、様々な魔物たちが入り乱れてこちらへ向かってくるのが見えた。

 数などわからない。一つの黒い塊にしか見えない。

 ……いったいいつの間に?


「マグデレネ様! こちらへ! 今から下にお送りします」


 バシリオスに腕を掴まれたけれど、本当にここでやめていいの……?


「待って! 壁に来るまで、せめて騎士の皆が攻撃を始めるまで、少しでもあちら側へ聖なる光を――」

「なりません! マグデレネ様のお命より大切なものなどありはしません!」


 ……あるわよ?

 この国で輝いているたくさんの命。これから生まれてくるであろうたくさんの命。

 この先何十年、何百年の間に、どれだけの命がこの国に誕生すると思う?

 私はそれらの命に責任がある。この力を賜った時に誓ったのだから。

 バシリオスに言い返す前に、私は向こう側の壁に聖なる光を垂れ流すように放った。

 たとえわずかだとしても。数メートルの幅しか覆えないとしても。


「マグデレネ様!」


 バシリオスが私に飛びかかってきた。

 ……え?

 彼が私を抱き抱えたまま膝をついたことが不思議だった。バシリオスが膝を地面に付けた姿など、一度も見たことがない。

 何が――起こったの?


「バシリオス?」

「ぐふっ」


 バシリオスの顔を確かめたくて体を引き離そうとしても、彼の力が強くて身動きがとれない。


「バシリオス! ねえ! 離して。大丈夫なの? 何とか言って――」

「盾では防げん! 魔法防御だっ! 大聖女様の前へっ!」

「はっ!」

「承知っ!」


 いつもはバシリオスが騎士たちに指示をしているのに、なぜ副官が命令を……?

 バシリオスの体が壁となって、周囲の状況が全く見えない。

 それでも徐々に喧騒が耳に届く。轟くような咆哮が近づいてくる。

 ドーンドーンという衝撃音と共に足元が揺れた。

 ……え?

 防壁が攻撃されている?


「うぅ」

「ぐはっ」


 騎士たちのくぐもった声が聞こえたかと思うと、ドスッドスッと倒れる音がした。

 ダダン、ダダンと防壁に伝わる振動で、あちら側から何か巨大な力で防壁を崩そうとしていることを感じる。

 ダダダンと一際大きな振動がしたかと思うと、バシリオスの腕がだらりと垂れて、彼の体が横向きに倒れた。


「バシリオス!」


 鍛え上げられた彼の肉体を、私の細腕で支えられる訳もない。

 こんなの嘘よ――。

 嘘――。

 嘘――。

 ……は!


「しっかりしなさい! この国の王女として生まれ、聖なる力を賜ったのは何のため? 弱音を吐くことなんて許されないのよ!」


 壁のあちら側を聖なる光で覆うのはもう無理だ。

 ……それならば。

 きっとダビドが兄様に知らせてくれているはず。私に出来ることは、兄様たちが駆けつけてくれるまでの時間稼ぎ。


 こちらに向かってくる魔物の群れを見遣れば、先頭に人間の姿をしたモノがいた。まるで人間のように馬に跨り、優雅に微笑んでいる。

 星が雲で隠れた新月の夜のような黒い髪。全ての色を否定したかのような黒い瞳。


「あれがアンデッド不死の……。魔物の王……」


 ならば彼の足を止めよう。聖なる光を、壁の左右ではなく、壁を超えてあちらの大地へ。魔物の王の足下へ。

 不意に、左肩に灼けつくような激しい痛みを感じた。見れば、肩に漆黒の矢が刺さっている。


 ああ。私ったら。しくじったのね……。

 ……皆に。もう大丈夫だと。安心していいのだと。

 そう伝えたかったのに……。

 ……ああ。この防壁は大丈夫かしら……?

 を聖なる光で覆えなかった。時が経てば、あちら側から崩されるかもしれない。


 ……ああ。兄様は今頃どうされているかしら。

 ダビドの声が聞こえる……。ダビドらしくない叫びだわ……。大神官のあなたがそんなことでいいの……?

 目を開けていられそうにない。


「聖女よ」


 すぐ近くから、男の声が聞こえる。なぜだか辺りは静まり返っている。

 ぼんやりと視界に、黒髪の男が映った。

 ……どうして?

 もう私ったら! 壁から落ちたのね。


「やってくれたな聖女よ。よもや、それほどの力を持っていたとは……。だが人間に生まれたお前はじきに死ぬ。もったいないことをした。……やれやれ。人間というのは本当に脆いものなのだな」


 私にはもう目を開ける力がない。男の姿は見えないのに、明朗な声を耳が拾ってしまう。


「ふふふ。その矢は俺の一部で出来ている。もしもお前が転生した時は、わかるように印を付けておいた」


 私が最後に耳にするのが、この男の笑い声だなんて……。

 それでも……兄様が来るまでは……何としてもこの男を。

 何かが首筋に触れた。


「生まれ変わったお前を妃に迎えるのも悪くないかもしれんな」

「……い……や…………」


 私は伸ばした腕に当たったものをつかみ、最後の力を振り絞った。

 その後どうなったのかは知らない。

 私が息絶えた後のことは――。

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