第3章 再興 3

 一方、信次郎は中学を卒業すると、松本の高校に進学した。

 この辺りの旅館主達の多くが他の地に家を構えていた。病院や買い物に便利な地域にと、老後のことを考えていたのである。

 保来家もそれに違わず松本に別住家があり、その家には、今は女将の座を引退した祖母が住んでいた。

 信次郎は親元を離れ、祖母の住んでいる家から学校に通うようになる。


 丁度その頃だった。父、孝太朗が東京に行くと言い出す。擦った揉んだした挙げ句、孝太朗は上京してしまった。

 一年後、諦め腹を括った妻、ユキは、孝太朗のために東京の下町に中古家屋を購入してあげた。

 やがて道路沿いに、保来探偵社の前身、保来興信所なる事務所が建てられた。


 今と違って、昔は携帯電話など無かったから、電話番など事務所には留守を預かる人が必要だった。その役目として白羽の矢を当てられたのが木村和枝。和枝は、事務所を守るに相応しい人物だった。


 和枝は孝太朗の手足となり、電話、依頼者応対、事務経理関係などの仕事に就いた。

 実は、和枝を送り込んだのはユキであり、孝太朗の様子を監視すると言うか、見守る役目も課していた。


 高校を卒業した信次郎は、在京の大学に進学する。住むのは下町に購入した父親の住んでいる家。そこには既に木村和枝も同居していた。

 幸い、購入した中古家屋は古かったが、床延べ面積は広く部屋数も充分に有り、三人が住んでもスペース的には全く問題は無い。

 傍から見れば、親子が同居しているのと何の変わりなく見えていただろう。


 信次郎は時々、アルバイトとして父の仕事を手伝っていた。殆どが遊びの延長感覚で働いていたので、どのくらい役立っていたのかは分らない。

 抑も、信次郎の大学時代は勉強よりも遊びが中心だった。徹夜で飲み歩いたり麻雀をしたりと、生活は乱れ、友人の部屋に泊まり歩くのもしばしばだった。


 そんな信次郎の姿を、両親は大目に見ていた。その理由は、母ユキと

「大学を卒業したら家業の旅館を継ぐ為に戻る」

 と、堅く約束させられていたからだった。母・ユキにしてみれば、家業を捨てた孝太朗の代わりの、息子・信次郎が是が非でも必要だった。


 所で、一つ屋根の下に住んだ信次郎と和枝の仲はというと、控えめな姉と遣りたい放だいな弟という感じで、男女の仲という関係には一度もならなかった。


 二人は形こそ姉弟であるが、血は繋がっていない赤の他人。血気盛んな信次郎と和枝

を同じ屋根の下に住まわせば、例え父親の孝太郎が一緒だとしても、目を盗んで何をしでかすか分かった物では無い。

 しかし、敢えてその様な状況に二人を置かせたのは、ユキだった。


 ユキには密かな心算があった。二人の間に肉体関係が持たれ、妊娠し子供が生まれる。そのような事態を、ユキは心の中で密かに求めていたのだ。

 そうなれば、優柔不断、身勝手極まり無い息子を脅し、手足を綱で縛ってでも、逃げ出せないようにする。

 そうなれば、旅館の将来は安泰だと計算していた。と同時に、周りになに遠慮すること無く、和枝を若女将として育てられ、自分の後継者として女将に据えられる。

 正に、一石二鳥の結果となる。


 所が、親の心子知らずなのか、一向にユキの思い描く方向に進まない。それとなく、夫・孝太朗に二人の様子を窺うが、

「何もないよ」

 と、素っ気なく答えるだけ。

「まさか、女性に興味が無い、なんて事無いかしら?」

「同じ学生仲間の女性達とは、取っ替え引っ替え付き合っているようだ。最も、その娘達全員と深い仲になっている訳ではなさそうだがな」

「和ちゃんはどう思っているのかしら? 信次郎の事」

「フリ、かも知れないが、殆ど気にしていないようだ」

「あなたの息子でしょ。何とかしなさいよ!」

「おいおい、男女の仲までは思い通りに出来ないだろう。結婚もしていないのに、親の方から子作りしろなんて、お前、言えるか?」

 言われてみれば、孝太郎の言う通りである。 


 結局、孝太朗はそれとなく話を持ちかけ二人を煽ってみたのだが、両者とも全く反応を見せず、時は過ぎて行った。


 幼い頃から、保来一家に気を遣いながら懸命に働いてくれた和枝を、孝太朗は少し

でも幸せにして上げたかった。

 果たして、和枝にとって女将の座が幸せかどうかは分らない。しかし、何のツテも縁故も無く、この社会で単身生き抜くには大変な苦労を要す。

 女性として、素晴らしい伴侶を得て幸福なる道も十分あるが、そうはトントン拍子に良い方向に進むとは思えない。

 ならば、仕事に於ける肉体的大変さが有っても、気心の知れた人達と働く方が楽しいだろうと思う。

 いざとなれば、回りにサポートしてくれる人が居てくれる。そんな方がどんなに心強いだろうか。

 もはやそれは、孝太朗の親心だった。ユキと孝太朗は、息子の信次郎よりも和枝の将来を案じていた。


次回の「復興3」につづく

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