第2話 再興 2

 保来信次郎と木村和枝との出会いは、信次郎の実家家業である旅館。信次郎が未

だ幼い頃だった。母娘で仲居の仕事を求め、旅館に遣って来た事から始まる。


 いかにも病弱そうな母。その後ろに、隠れるようにして母の脚にしがみつく少女。入り口に立ったままの母親は、応対に出た旅館の従業員に仕事を求めて遣って来たと告げた。

 当時、大女将だった信次郎の祖母が、入り口に佇む母親の姿を見て、雇えないと断った。

 その様子を見ていた信次郎の母・ユキが、雇ってあげて欲しいと大女将に願い出る。

 母娘の疲れ切った姿から、恐らく数多の旅館を訪ね歩き、そして断られ続けたのであろうと、ユキの目にはそう見えた。

 若女将だったユキには、幼い信次郎が居た。、それ故か、我が子と歳がそう離れていない少女が、とても不憫に思える。

 何とか手を差し伸べてあげたいとの気持ちが、ユキの心を突き上げた。

 ユキは大女将に懇願した。

「今、近所に信次郎と同年代の子供が殆ど居ない。幼い信次郎には遊び相手が必要。

この少女ならば、信次郎の相手をしてくれると思う。その様になれば、私も手が離せるし、もっと動けるようになります」

 切々と訴えるユキの言葉に、大女将も考え改めてくれた。悲壮な表情で成り行きを見守っていた母娘は、涙を浮かべて感謝した。

 こうして、母娘はこの旅館で働く事になった。


 母の名は木村敏子、娘は和枝と名乗った。恩を感じた敏子は病弱な身体を押して、一生懸命働いた。

 ユキの目に、そんなに無理しては身体に障ると映る。

「無理しなくて良いのよ。和ちゃんが居るんだから、和ちゃんの為にも身体を労って長生きしなきゃ」

 ユキは、敏子を優しく諭した。

 それでも敏子は、甘えてはいけないとの覚悟だったのか、他の仲居達と同じように働き続けた。

 それから数年後、とうとう敏子の身体が悲鳴をあげ、倒れた。和枝が9歳の時

だった。

 敏子が亡くなる数日前。枕元で看病をしていたユキに、敏子は和枝の父親に関する事柄を話した。

 今まで、自分たちの過去を一言も語ろうとしなかった敏子。若女将のユキを心から信頼しての事だった。


 木村敏子がある旅館で仲居をしていた頃、同じ旅館の鈴木健一という板前と恋仲になった。

 健一は流れの板前で、短気で喧嘩っ早く気性が荒かった。なので、一つの場所に落ち着くことが出来ず、職場を転々と変えていた。

 敏子は、そんなダーティーな感じの健一を好きになる。


 やがて敏子は妊娠する。その妊娠を健一に告げる直前。健一の悪い癖が現われ、彼は板場で刃物沙汰を起こしてしまった。

 健一はその日のうちに失踪してしまい、残された敏子は途方に暮れる。


 敏子のお腹の膨らみが目立ち始めると、同僚の仲居たちに隠していた妊娠が知られてしまった。

 体裁を考えてか、旅館の女将は出産するまでは面倒をみたが、出産数ヶ月後には敏子を旅館から追い出してしまった。

 その後、何処をどう歩いて生きて来たのだろうか。辿り着いた先となったのが、最期の地となるこの旅館だったのである。


 葬式はユキの手で執り行われた。人となりを知っている近所の従業員もチラホラ焼香に来てくれた。

 そこで彼女らが見たのは、小さい身体を丸めるようにして、動かなくなってしまった母の横顔を一心に見つめる和枝の姿だった。

「母親が亡くなったのに、泣きもしなければ涙も見せない。何て子だろうね」

 そんな陰口を叩く人も居た。


 哀しみの中、懸命に耐える幼い和枝も睡魔には勝てず、彼女は膝を抱えるような姿で眠ってしまった。ユキはその身体を抱き上げ、別室に寝かせた。

 小学校に入学して間もない信次郎も、その時の和枝の様子を鮮明に記憶していた。

 後になり、信次郎はその通夜の時の様子を母から聞かされた。


 ユキが様子を見に、寝ている和枝の枕元に近づくと、彼女の枕がぐっしょりと濡れていた。何故だろうかとユキは不思議に思う。枕を変えてあげようと顔を持ち上げると、閉じられた瞼から、耳元へと流れ落ちた涙の跡がクッキリと残っていた。

 幼いながらも気丈に振る舞っていた様に見えた和枝だったが、やはり人の子。和枝は寝ながら泣いていたのだった。


 一人残された和枝を、ユキが預かることにした。養子縁組し娘として戸籍に入るよう勧めたが、和枝は母の姓を変えたくないと言い張る。そんな和枝の心情を汲み、ユキは無理強いをしなかった。

 ユキの計らいで、和枝と信次郎は実の姉弟のように育てられる。

 山(やま)間(あい)の僅かな平地を求め、ひしめき合うように佇む温泉地。温泉客の出入りは多いが同年代の子供達は少なく、学校から帰宅すれば自ずと遊び相手は信次郎と和枝の二人だけとなる。それ故に、二人の関係は濃厚となった。

 二歳年上ということで、和枝は信次郎の勉強や宿題、食事や掃除なども、忙しいユキに代わって面倒を見ていた。


 和枝はユキの娘のように育てられたのだが、彼女が中学に進むと、気兼ねしてか自ら旅館の仕事を積極的に手伝うようになった。

 遊びたい盛りだろうと、ユキは和枝の申し出を断るが、彼女は聞かず、時間があれば自分で仕事を探して働く。


 高校進学を考える頃になり、ユキは和枝に、どこの高校に行きたいのか訊ねた。すると和枝は高校に進学しないと言う。

 折角優秀な成績を収めているのだから、その能力を伸ばすためにも進学しなさいと


咎めたが、ここでも和枝は頑なに自分の意志を曲げなかった。

 和枝は中学を卒業すると、他の従業員と一緒になって仲居の仕事を始めた。


次回の「再興 3」につづく

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