第十八話 売り言葉に買い言葉
黎明さんの言葉に、私はすぐに察する。勿論、もっと聡い春宵さんも同じく気付いた。
「もしや、東雲もか!」
春宵さんは、虎のパンツの方へと顔を向ける。名を呼ばれた赤鬼は、ゆっくりもぞもぞと動き、ようやく上半身を山の洞窟から上半身を出した。
「……若様も?」
土だらけの頭からは巨大な二本角が生えており、もさもさとした黒い毛の間から。東雲さんは、眉尻も目尻も下がり、どこか頼りない雰囲気を醸し出していた。
といっても、とんでもなく大きい。山は言い過ぎだが、丘くらいの大きさはある。
作務衣のような虎柄の上着も、木の葉に塗れており、全体的に見るも無惨であった。
「ああ、この一白に一目惚れしてな」
「こ、こんな、ちっこくて脆そうな子を!? 若様、そんな趣味だったんか!?」
あまりにも急な春宵さんによる紹介に、東雲さんは私を視界に入れると大きな声を上げる。そんな趣味というのは、どういうことだろうか。
確かに、鬼に比べて小さくて弱い見た目はしているが。
「全く、鬼どもは一白の愛おしさがわからぬのか。まあ、我だけがわかればよいか」
呆れたように肩を竦めた春宵さんは、私を軽々と片手で抱き上げる。
「で、東雲。お前が泣いてるから、我が折角頼んだというのに、このぼんくらが太鼓を叩きたくないと戯れ言をな」
「誰がぼんくらだ、色ぼけ様が!」
理不尽な罵倒と共に、ぐいっと親指を向けられた黎明さんは、瞬時に顔を赤くしながら吠える。
「兄貴……心配かけてごめん、でもおいら、おいらぁあああ、うおおおん!」
そして、東雲さんはふるふる震えたと思ったら、また泣きわめき始めた。大粒の涙と鼻水が、雨のように盛大に辺りへと撒き散らされる。
皆の気持ちは一緒だったのだろう。春宵さんは体液の雨を避けるように、私を抱えたまま、近くの木へと飛び乗った。
深山さんも空へと飛び立ち、黎明さんだけ弟の液体を頭からぶっかけてしまった。
流石に、弟思いの兄でも、沸点を通り越すらしい。
ついに、黎明さんの低い沸点は、東雲さんに向けられた。
「おめぇ! ただ、相手に恋人がいただけじゃねぇか! んなことで、朝から晩まで泣いてんじゃねぇよ!」
大声で響く東雲さんの失恋した事実。
本人が言うならまだしも、身内が他人にバラすという最悪な展開だ。
正直、めちゃくちゃ気まずい。
自分の身体から少しばかり血の気が引いていく。
東雲さんの表情を見れば、赤鬼らしくないほど顔を真っ青にして、完全に凍り付いていた。
「黎明! お前、身内とは言え、勝手に恋路を話すのは御法度だろ!」
今まで口を閉ざしていた深山さんも、悲鳴にも聞こえるほどに甲高く叫ぶ。
「うるせぇ! 母ちゃんにあんだけ止められたのに、こんくらいで落ち込みやがって! 啖呵切ったのはどいつだってんだ!」
「黎明! でも、東雲も泣いてても何にもならぬぞ!」
「兄貴も深山さんも! ひ、ひでぇよ! ひでぇよっ!」
一度ついた火は消えず、烈火のごとく燃え上がる。知りたくない情報が、私の中に増えてしまった。
ようやくショックから我に返ったのか、東雲さんはしゃくり上げながら、黎明さんを非難しはじめた。
「だから、がしゃどくろの女は止めろって、母ちゃんは言ったんだ! 鬼の一目惚れなんて、ろくなことねぇんだからよ!」
「仕方ねぇだろ! おいら、彼女を好きになっちまったんだ! でも、恋人がいたら、どうしようもねえじゃんかああ!」
「二人とも落ち着け、こんな不毛な喧嘩してても意味などない!」
まさに、売り言葉に買い言葉。やがて、
怒りのお気持ち黎明さん、正しくあることを望む深山さん、悲劇の主人公なお気持ちの東雲さん。
堂々巡りの喧嘩の端で、私を抱えた春宵さんだけが異様に静かだった。
ちらりと表情を見て、私は思わずひやりした冷や汗を背中に流す。
彼の表情は、いつかの会議の時よりも、感情が抜け落ちていた。
ただただ、無機質な桜色の瞳が、三人を冷たく見下ろしている。
何だか、私の身体が、凍えるように寒く感じた。
どれくらい、春宵さんに視線を奪われていただろう。
一秒、一分、一時間。いま、もっと短いかもしれないし、もっと長いかもしれない。
それほどまでに、彼の姿が、恐ろしかった。
遠くに聞こえる喧噪、疲れてきたのか次第に勢いを失い、遂に静けさが到来する。
静けさは、嵐の前の予兆ともいう。
感情が抜け落ちきった彼の口が、ぱかりと開いた。
「では、何故」
声は変わらないはずなのに、疑問という凍てついた剣が東雲さんに突きつけられた。
「こんなところで、のんべんだらりとしている暇があるんだ?」
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