第十六話 太鼓の打ち手


「ならば、もう私は何も言いませぬ故」

 呆れたように頭を横に振った渡里さんは、手紙だけを深山さんに押しつけると、さっさと部屋を出て行く。

 なんと声を掛けたら良いのか、言葉が見つからない。

 状況としては良くない。けれど、状況的に私は進まないといけないのはわかる。


「とりあえず、曲は……太鼓は大丈夫なのですよね」

 話を巻き戻そうと、恐る恐る春宵さんに尋ねる。春宵さんは私が話しかけると思っていなかったのか、目を大きく見開いた後、すぐに微笑みに戻した。


「ああ、ツテがある。太鼓は鬼の十八番。その中でも、一番の打ち手を紹介しよう」

 言葉の小気味よさは、まるで落語の台詞のよう。自信満々の雰囲気だったが、先程の渡里さんとのやりとりを見るに、不安しかない・・・・・・


「それは、心強いですね。流石、春宵さん」

 ただ、疑ってばかりでは話は進まない。それに、鬼たちに若様と呼ばれるくらいの地位である春宵さん。鬼のコミュニティでのツテは、確かだと信じたい。


「だろう! 善は急げ、今から頼みに行ってくる! 深山、手紙は上手くやっといてくれ!」

「若様!」

 私に持ち上げられたのが嬉しかったのか、上り調子に弾んでいく。かなり危うさも感じられる勢い、きびすを返して出て行こうとした。案の定巻き込まれた深山さんは、大声で怒鳴る。


 これは、良くないのでは。

 一人で行かせてはいけない。

 

 ひらりと舞う桜模様の袖、私は思いっ切り手を伸ばして掴んだ。その勢いと前に進む袖の強さから、身体のバランスは崩れ、前に向かって倒れていく。


「ぬ!?」

 袖を引っ張られた春宵さんは、驚きのあまりくるりと回転をし、傾いた私をしっかりと受け止めた。


「一白、危ないであろう。我だったから良かったものを!」

 焦ったような様子の春宵さん。たしかに、咄嗟とはいえ、あまりにも危険な行為だった。


「ごめんなさい!」

 私は謝りながら彼の身体を支えに、崩れた体勢を立て直す。近寄りすぎたと思い、少しばかり距離を取ろうと背中を反る私の身体を、彼は優しく抱き留めた。


「いや、無事なら構わぬ。それよりも、なにか理由があろう」


 そうまでして引き留めた理由。今の衝撃で、頭からぽーんっと抜け落ちていた。こんなことやらかして、忘れたなんて許されない。

 私は必死に一蓮の記憶を辿り、本来の目的をどうにか絞り出した。


「私からも、お願いしたいので、一緒に行っても良いですか?」


 春宵さんを一人で、行かしてはいけない。


 足手纏いになる可能性もあるけれど、知らないところで断られるより、自分のせいで断られた方がマシだと思ったのだ。

 私のお願いに、春宵さんは三拍ほど沈黙する。

 そして、ガバッと私の身体を持ち上げた。


「勿論だ! 夫婦初めての共同作業だな!」


 喜ぶ春宵さんの飛び跳ねに合わせて、あっちこっちと振り回される私の身体。

 三半規管がイカれそう、気持ち悪いのを堪えて、喉から声を振り絞った。


「行く前に! 他の方への、謝罪文、書いてからですよ!」

 流石に押しつけるのは良くない。春宵さんは「それもそうだ」と納得し、私を床に下ろすと、すぐに深山さんの元へと走って行く。

 ぐるぐると回る視線の中、何故か酷く驚いた表情の深山さんと目があったような気がした。


 そうして、どうにか一日掛けて謝罪文が書き終わり、その翌日には早速腕利きの打ち手である鬼の元へと向かった。

 ふよふよと宙を浮く鬼火や、木の陰からちらちらと輝く木霊こだま。更に鹿山さんが持つ提灯の明かりと、月光りなどの様々な光を頼りに道なき道を進んでいく。

 そう、いつかの会合の時と同様に、凄いスピードで森を駆けているのだ。

 私は必死に春宵さんにしがみつつ、暫くして減速し、木々の枝を降りていく。そして、すたっとかろやかに、地面へと着地した。目の前には大きな山が聳えており、見上げた感じここは山の麓であった。


「やぁ黎明れいめい、丁度良いところにいたな。実は太鼓を叩いてほしいのだが」

 春宵さんは少しも息を乱さず、腕の中で気が抜けて放心する私を抱えたまま、赤い鬼に声をかけた。


「んなことしてる暇ねぇ! こちとら、弟の一大事なんだ!!」

 疲れ切った表情で叫ぶのは、厳つい顔つきをした筋肉隆々の赤鬼。

 森の獣道にて出会ったこの鬼こそ、月陰国一番の太鼓の打ち手である黎明さんで、春宵さんの幼馴染みだった。


 しかし、そんな彼にとって重大な事件が起きているらしく、取り乱した様子で却下された。

 平然とした様子の春宵さんの横で、私は困ったように視線を自分の手の平で隠す。


 何故なら、私たちの目の前には、山のように大きな虎のパンツを穿いた尻が突き出され、これまた大きな赤い足の裏があったからだ。



 

 

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