第九話 このご恩
すがすがしいほどの即決だった。
「若様、あまりにも無謀では」
すぐに諫める渡里さんだが、春宵さんはゆっくりと首を傾げる。
「ならば、我を納得させる今以上の意見を言ってみよ」
冷たく淡々としているが、言外の威圧感のある問いかけ。しかし、反対するならば代案を求めるのは、自然な話ではある。
返答は、静かな沈黙。春宵さんは鼻で笑うと、今一度腕に抱く私に視線を戻す。
「それに、だ」
甘く囁く声に、なんだか身体がぞわりと縮こまる。正直、居心地が悪い。私の頬を撫でる手の冷たさと、爪の感触は慣れない。
「愛しい一白が、やりたいと言ったのだ。やるに決まっておろう」
もう、誰も異を唱えることはなかった。
会合を終えて、鬼達は酒を飲み始めている中、私は元々寝ていた部屋に戻ってきた。
「一白、疲れただろう。今食事を用意してもらっているから、暫し待たれよ」
私を布団に寝かす春宵さん。お岩さんは、今食事の支度をしているらしく、後ろに深山さんが控えていた。
「いえ、そんなことは……」
正直、疲れた。会合にもだが、人間横抱きにされていると、その窮屈さのせいで変に疲れを感じる。
それにだ。
「まいすいぃとはにぃ、顔色が悪い。無理するでない」
「ありがとうございます、春宵さん」
「春宵でよい。あ、だありんと呼んでも良いぞ」
この人は何を言っているんだ。
会合という異常事態を抜けたせいか、改めて春宵さんに対してやっぱりおかしさが際立つ。
「いや、あのまだ会ったばかりですし……」
「それが、どうした?」
何と言えば伝わるのだろうか。なんというか、これが種族の違いなのだろうか。人間的な察する文化を期待したら、このやりとりが堂々巡りしてしまう気がした。
一旦話を変えようと、私はむりやり話題を絞り出した。
「それにしても、その、マイ・スイート・ハニーってなんですか」
「ああ、
ヴァンパイア!?
この世界にいるの!?
叫びそうになるのを、寸前でグッと堪えた。そんな私を尻目に春宵さんは、懐かしむように言葉を続ける。
「愛しい人間に使えば、喜ばれると聞いてな。伊達に色恋沙汰を餌に、人間の血を吸ってないなと学ぶことが多くてな」
大変ろくでもない理由だ。というか、普通に殺人事件の手口ではないか。
「できれば、普通に名前を呼んでください」
普通の人間の感覚として、そんな曰く付きの呼び名は真っ平ごめんだ。顔の頬や眉の筋肉が引きつるのを感じつつも、直接的な言葉かつまろやかに聞こえるようにお願いする。
「一白が言うなら、そうしよう」
春宵さんはすぐに快諾してくれたため、私の身体から少し力が抜けた。呼び捨てはこの際諦めようと思う。その時、ふと春宵さんの肩越しに、深山さんと目が合った。鋭い彼の目は、更に細く細められ、まるで睨んでいるようにも見えた。
「あ、あと、あの自己紹介してもよいですか?」
「深山にか?」
「はい」
正直、仲良く出来るとは思っていない。実際に挨拶したいという私の言葉に、彼の眉間に
しかし、どうしても彼ら二人に伝えたいことがあった。横になっていた身体を起こし、布団から畳へと降りると、正座へと座り直す。
「はじめまして、自己紹介が遅くなりました。私は
深山さんの目を見ながら挨拶をした後。深々と頭を下げる。少し経ってから顔を上げれば、視線の先にいる深山さんは、複雑そうに私をじっと凝視していた。私と視線があったからか、仕方なさげに口を開いた。
「
ぶっきらぼうな言葉に
「お二人とも、この度は私の命を助けてくださり、ありがとうございます。そして、大変ご迷惑をおかけいたしました」
三つ指をついて、今度は畳に額を擦り付けるように頭を下げる。二人がいなければ、私は憎き熱中症で死んでいただろう。家族に殺されかけ、赤の他人だった彼らが、自分の使命を果たせずとも、私に手を差し伸べたのだ。
「このご恩、絶対お返しします」
生かして貰ったことは、私にとって一生ものだ。
「一白、本当に気にするでない。頭を上げてくれ」
春宵さんは慌てた様子で、私の肩を優しく掴む。顔を上げれば、困ったように眉尻を下げる春宵さんと、どこか戸惑った表情の深山さんがいた。深山さんは私の視線に気付いたのか、すぐにむすっと不機嫌な表情に戻すと、ため息がちに言葉を吐いた。
「……たしかに、あそこで死なれたら目覚めが悪いからな。言い過ぎた」
「い、いえ……私が……」
「深山」
深山さんらしい譲歩された言葉に、返事しかけた時だった。
春宵さんが、深山さんの名前を呼んだ。
唸るような低い声、私の身体は思わず縮こまり、深山さんの顔は一気に血の気が引いていく。
「一度宴会場の様子を見てこい、そろそろあやつらも潰れてる頃だ」
「わ、若様、承知しました!」
機嫌の悪そうな命令に対し、深山さんは大きく羽を開くと、部屋の外へと一目散に飛び去っていく。
私、ここで、二人きり!?
「一白」
先程とは打って変わって、あまりにも優しくどこか甘みのある呼び声。
自分の名前を呼ばれただけというのに、このむず痒さはどうしても慣れない。しかし、無視はいけないので、春宵さんへと視線を戻す。
「ど、どうしました?」
「私が一白に惚れていると知ってて、焼き餅を焼かせるのか?」
拗ねているのか、酷く拗ねた子供のような表情をしている。
「……本当に、私を好きなのですか?」
「ああ、好きだ。一目惚れだ」
信じられない。どうして、私を。
「私のどこに……?」
「一白だからと、言っておろう。一目見た時から好きなのだ。そして、先程の鬼たちとのやり取り。惚れ直したぞ」
しかし、彼の表情は優しく、耳や頬が少し高揚しているようにも見えた。どうみても、嘘をついているようには思えない。
私は、どう言葉を返せばいいか分からなかった。
「遅くなってすまねぇなあ。美味しいお粥、作ってきたよ! おや、若様、ずっと傍にいてくれたんだね!」
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