第三話 お岩さん
「祝言……?」
聞き間違えかと思いつつ、念のためと失礼ながら尋ね返す。
「ああ。婚姻とも言うかな」
少しも動じることなく、肯定した。その姿はまるで、ドンッと大きく音を一発鳴らした大太鼓のようだ。
「私と貴方さまが?」
「そうに決まっとろう。まいすいぃとはにぃ!」
大輪の笑顔を目の前にし、暫しの沈黙が流れる。ぐるぐると混乱する頭から出てきた言葉はただ一つであった。
「え、何故?」
どういう理由があれば、寝ているうちに知らない人と祝言という話になるのか。ひどく怪しいお誘いに眉間を寄せるが、春宵さんは大輪の花のような笑みを崩さない。
彼の厚い胸板をぴんっと張って、大きな声で宣言した。
「私が、一白に一目惚れしたからだな」
ドドンッ!
あまりにも堂々たる宣言に、大太鼓の音が幻聴で聞こえた。
「一目惚れ? なんで、私に? え?」
私はますます混乱していく。会ったばかりの相手であるし、何故一目惚れされるのかも理解できない。
顔だって薄く、整える余裕も無かった私
「一目惚れは、一目惚れだろう。それ以外に何かあるか?」
訳が分からない自体に私の言葉に、春宵はもう一度「一目惚れ」とスパッと言い切る。軽快な心地よさは、太鼓の縁を叩いた時の音のような切れの良さだ。
自分を見る彼の瞳は純粋そのもので、すこしもブレることはない。
たしかに、一目惚れは一目惚れでしか無いのかもしれないが、どうしても信じられなかった。
手を握り会いながら、見つめ合う私たち。
いつまでも進展しなさそうな私たちの間には、ずいっと入ってきた。
「だから、若様! せっかちが過ぎるんだよ。余裕のない男は粋じゃないねぇ! ほら、早く手を離しな!」
そう、頼れるお化け提灯である。しっかりと春宵さんを叱りつける。おかげで、すぐに私の手から彼の手が離れていく。
「またやっちまった。すまねぇなあ、どうも
「そうだよ。
はんっと、鼻で笑った提灯に賛同するように回りの火の玉たちは、ふよふよと上下に動く。
沈黙は美徳、この世界に生まれてからずっと聞かされていた言葉の一つ。言葉で逃げず耐えしのぎ、行動と結果に現せと、父上は耳にタコができるほど申していた。
また、前世でも似たようなことを、教育熱心だった母親が私にずっと言い聞かせていた。
思い出してしまったせいか、頭も肩も気分と一緒にがくんっと落ちる。
「まいすいぃとはにぃ、私が焦りすぎたようだ。だから、落ち込まないでくれ」
気落ちした私に、どうやら自分のせいだと勘違いした彼は、すっぱりと優しい言葉を掛けてくれる。
「いえ、言わないと、いけないですよね……ごめんなさい」
今まで耐え忍ぶのが美徳として教えられていたせいではあるが、やはり行動を示せなかった私にも非がある。
「まあ、お嬢ちゃんも、ちゃんと嫌なら嫌ってぶった切ってやんないと。この国じゃ伝わるもんも伝わらないからねぇ。少しばかり慣れておくれよ」
提灯からも優しく窘められたことで、私は小さく「気をつけます」と頭を下げた。そして、顔を上げると提灯は何か思い出したかのように口を開いた。
「あ、あたしが、挨拶してなかったね。若様に怒ったのに、これじゃいっけねぇ。あたしは、お岩ってんだ。岩のように動じず強い肝っ玉母ちゃんって名乗ってる。で、この子たちは私の子供たち」
ふよふよと動く火の玉たち、それぞれが「い」「ろ」「は」「に」「ほ」と順番に音を出す。
「可愛い
お化け提灯から火の玉が生まれる?
頭に思わず疑問が浮かぶし、可愛いけれど少し安易なのではとも思ったのは心の中にしまう。
また、子供の時にだけ使う幼名という文化は陽本国では既に廃れてしまったが、お岩さんの優しくて愛おしさが溢れる姿はなんだか羨ましくもある。
「そうだ、一白」
「はい」
「私のことは「えっ!?」
春宵さんに名前を呼ばれたのと同時だった。
庭からバサバサという羽ばたく音と共に、何か黒い人のような何かがものすごい早さで、私たちの部屋へと向かってきていた。
驚きのあまり叫んだ私に、春宵はすっと後ろを振り向く。そして、その突っ込んできた黒い影を片手でがっちりと捉えた。
「
「若様! 貴方が勝手に出ていったからでしょうが!!」
春宵さんの手に顔面を鷲掴みにされながらも、大声で叫んだのは黒い山節装束を着た男。
そして、男の背中には、大きな黒い翼が生えていた。
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