第二話 マイスイートハニー


 え、今、マイスイートハニーって言っていなかった?


 今人生二回目・・・・・な私だが、前世では呼ばれる機会すらなかった言葉。

 昔の日本の言葉を使う国しかないと思っていたので、まさか英語が耳に飛び込んでくると思わなかった。


 私は唖然と男を見上げていると、男は楽しそうに傍に寄ってくる。


「まいすいぃとはにぃ、その手に触れても良いか?」

「え、いや……」


 そっと出された手は、まるで白い絵の具で均一に塗られたような白さ。しかし、血管は浮き上がり、立派な筋肉の線が浮き出ていた。

 あまりにも急すぎることに、私は彼の手と顔を交互に見ながら困惑してしまう。

 何故、私の手に触れる必要があるのかも、分からないし。


 そんな私に、意外なところから助け船が出た。


「こら、若様! お嬢さん、困ってんだろ!」

 なんと、あのお化け提灯である。若様は「なに!?困っていたのか!?と大きな声を出し、私の顔に向かって美しい顔をずいと突き出した。いきなり近づいてきた顔の圧。

 精巧な彫刻のような均整のとれた彫りの深い顔。

 この世界に生まれてからも、どちらかというとなだらかな顔ばかり見てきたので、とんでとない圧だ。

 驚いた私は思わず背中側に仰け反り、顔と顔の間の距離を取った。


「ごめんねぇ、うちの若様せっかち過ぎてぇねぇ。良い奴だから嫌いにならないできれよ」

 ふよふよと気前の良さを発揮する提灯は、同じく中に浮かぶ火の玉を連れながら、小さく頭を下げるような仕草を見せる。


「ほら、若様! まずは名乗らねぇと!」

「すまん。さすが、元人間。こういう気が利くねぇ」

「よしなぁ、随分昔のことだよぉ」


 提灯の促しに、男は頭をかきながら頭をペコペコと下げると、私に向き直る。自信に満ち溢れた笑みを浮かべる姿は、力強さと頼れる優しさに溢れていた。


「お初にお目にかかる。我の名前は、春宵しゅんしょう。桜咲き誇る春の宵に生まれた月隠国つきかくれのくにの伊達男だ。まいすぃいとはにぃ、名を教えてくれぬか」


 彼によく似合う、あまりにも美しく粋な名乗り。

 春の宵と書いて、春宵しゅんしょうと読むのは、受験勉強の際に漢詩を勉強していた時に覚えた知識だ。

 それにしても、やはり、ここは月隠国なのだろうか。

 今もなお見える夜空には、細い月が浮かんでいる。私が住んでいた陽本国の隣国なのだが、魑魅魍魎の国と認識されており、立ち入ってはいけない土地とされている。

 魑魅魍魎なんて本当にいるのかと思っていたが、今の光景を見たところ本当だったようだ。


「はじめまして、浅野 一白あさのいちしろです」

 それに比べて、なんの面白みもない自分の名乗りである。一白という名前も、一番最初に生まれたことと、死んだ祖母・・・・・の名前であった『白』を組み合わせただけと、父親には言われた。

 しかし、男はふむと考えた後、「なるほど巧いなあ」と趣深い様子で唸った。


「二つの漢字、合わせると百か。一から百まで手に入れる縁起の良い名だ」


 あっ、たしかに。

 自分の名前なのにも関わらず、今更気付いた。はっと驚いた顔をした私に、春宵さんはもう一度手を差し出す。


「さて、まず体調の確認をしたい、お手に触れても」

「あ、え、はい」

 先程とは違い、納得できる理由がある申し出に、素直に手を出した。美しく白く手入れの行き届いた大きな手の上に、傷だらけの日焼けした自分の手はどうしても醜く映る。


「働き者の良い手だ」

「そんなこと……」

「いやいや、苦労や痛みを知ってるというのは、人間的に熟成してるということ誇るべきだ。さて、手首を失礼」


 手首にゴツゴツとした指が二本当てられる。暫しの沈黙の後、春宵さんは「脈も正常。体調はよくなったようだ」と呟いた。

 身体はどうしても怠さが残っているが、土蔵の中で死にかけた時に比べ、随分と良くなっている。


「助けてくれたのは、貴方さまなのですか?」


 気絶する寸前耳に飛び込んできた声。覚え間違えでなければと、春宵さんに尋ねた。


「ああ、我だ。土蔵から声が聞こえたから、勝手に開けたのだが、良かったか?」

「ありがとうございます。本当に助かりました」

 どうやら、振り絞った呼び声は彼の耳に届いたよう。土蔵の扉をこじ開けてまで、扶けてくれたのは嬉しい。


 ただ、今頃家族たちは顔を青くしていそうだが。 


「ここまで連れてきたのは若様で、そんな若様の代わりに、ここで私らが面倒を見てたんだ」

 提灯もまたふよふよと柔らかく話すもので、最初は怖いと思っていたが、どんどんと警戒心が薄くなっていく。


 見ず知らずの自分をまさか助けてくれるなんて、優しい人だと頬が緩みつつ、そろそろ良いかと春宵さんの手から自分の手を抜こうと試みた。


 しかし、春宵さんの手は力が入ってないように見えるにもかかわらず、がちりと私の手を離さない。


「あのぉ、もう、手……」

「さて、一白」

「は、はい」

 言い終わる前に、すぱんと気持ちいいほどに言葉を被せられた。

 負けじと続けるべきだったが、あまりにも堂々と名前を呼ばれたため、反射的に返事をしてしまった。


 春宵さんは私の手を両手で握りしめると、きらきらと光る瞳を大きく広げた。


「祝言の日は、いつがよい?」

「え?」


 早急なことに、私の思考は思わず停止した。



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