第一話 熱中症
太陽が燦々と降り注ぐ、万年も陽が落ちぬ国・
日が差さぬオンボロの土蔵に、私こと
「あづぃっ……」
滝のような汗、汗でしみる目、からからの喉、はだけた継ぎはぎオンボロの着物、乱れ肌に張り付く髪。
父親の手によって投げ込まれてから、既にどのくらい経ったのか。
土蔵の扉を叩きすぎた手は痛み、身体は支えることも出来ず、外側から固く閉じられた扉にもたれ掛かる。
暗く、埃臭く、据えた臭いの土偶は、中の湿度と外気の熱のせいで、灼熱の蒸し風呂と化していた。
子供の躾にしては、あまりにも非道すぎる。
しかし、自分のどうしようもない無意識の
『何度も何度も、私を愚弄してるとしか思えぬ! あんな
没落寸前と言えど、先祖は将軍家の傍に使えたという武家だった浅野家。
武家の品格に己の信念を持つ父上にとって、私は相当出来損ないの娘に映っていただろう。
私には、どうしてもやめられない
今日はたまたま庭掃除をしている時、石につんのめり、転けそうになってしまった。なんとか足を踏ん張り直して耐えたのだが、それがよくなかった。
ケンケンと片足で跳んだ後、左足で踏み直して、くるりと一回転。
バランスを上手く取るためにとった咄嗟の動きに、今度は腕をあわせる。
気付けば、楽しいものに流されるように、足も手も頭も心も踊っていた。
それを妹が見つけて、父親に告げ口したのである。
『
『いや、お父上、これは』
『ならば、売女の物乞いか!?』
この国では、神仏の儀式以外の踊りというのは、酷い扱いなのである。
踊り念仏は、今農民達に流行り始めた踊ったら救われるという宗教。売女の物乞いというのは、踊り芸で稼ぐ旅芸者のことだろう。
なんとも酷い言い草ではあるが、父上が大切な将軍家や武家にとっては、どちらも不純で低俗なもの。
何度か踊り念仏や金稼ぎではないと訴えたこともあるが、端から見たら
『言い訳は無用。武家の人間が言葉で逃げようなんぞ、こんの卑怯者!』
私がまともな理由も説明できないせいで、遂に躾が行われてしまったのだ。
こればかりは、生まれてから、十六年。たしかに、直せなかった自分が良くない。
だからといって、真夏にやるなんてと思ってしまう。
太陽がもう百年も隠れていない陽本国の夏は、本当に想像絶する熱さだ。荒い息と共に身体の熱を吐き出すが、気休めにもならない。
喉は親への謝罪を叫び続け痛く、小指側の手は戸を叩きすぎて赤くじんじんと腫れている。
私の視界は霞み、茹だる頭は命危険信号で埋め尽くされ、すでに何を見ているのかも分からない。
「
泡が口の端から溢れさせながら、振り絞った言葉は与えられた生への気持ちだ。
思い浮かぶは、前世の記憶。
日本で一番暑い街の道路の上、ジャージを着た私が大きな袋を抱えながら、電柱にもたれかかるように倒れていた。
しかも歴史的な猛暑日だから、住宅街にも関わらず誰もいない。
叫べれば良かったが、全てタイミングが悪く、私の喉は前日に
熱中症。
日本の夏になると、数多の人を病院へと送り、最悪死に至らしめる。
毎年必ず搬送者数や死者数がニュースになる病気だ。
予防が肝心な病気なのにも関わらず、自分が連日無茶を繰り返していた体調不良。
そして、細々とした不運が重なった結果。
初めて通る道の上で死んでしまったのだ。
こんな死に様、二度もあってたまるか。
助けて、誰か、誰でも良いから。
最後の、最後、力を振り絞って、一発。
戸に向かって、腕を振り下ろす。
ドンッ。思ったよりも、小さい音だった。
「た、すけて、だれか……」
きっと、また、私は死ぬ。意識は遠く遠く離れていき、遂に身体は耐えきれず、ずるりと床に倒れた。
その時だった。
わずかに刀の走る音が聞こえた。
まるで積み木のように、バラバラに崩れ落ちる目の前の扉。
白くて、眩しい、強い光。暗い中にいたから、目が酷く痛いため、薄めで光の向こうを見る。
不思議なことに、太陽の熱さを感じない。
ぷつりぷつりと切れる意識を保ちながら白い光を見上げていると、途端に白い光が動いて、私に覆い被さる。
少しばかり重みが顔に触れ、ゴツリとした手らしきものが私の顔を掴んだ。
私の目の前に、浮かぶ二つの桜色の瞳。
「ああ、本当に、
明瞭で芯が通った力強い声は、爽やかで、粋な存在感を放つ。
なんだか、ピンッと面の皮が張られた大きな和太鼓の音のよう。
その
ああ、よかった、今回は
助けてもらったせいか気が抜けたのだろう、限界に達した私の意識はふっと完全に切れた。
そして、次に目覚めた時目に映ったのは、見知らぬ木彫りが美しい天井と。
「おやぁあ! お嬢ちゃん、起きたかい!」
気のよさそうなおばさんのように喋る、顔面が半分
「え」
「ちょっと、若様~! お嬢ちゃん、起きたよぉ!」
ここは夢なのだろうか。
見た目がおどろおどろしい提灯お化けは、青い火の玉と共に楽しそうに空中をふよふよと漂いつつ、誰かを呼んでいる。
異常事態。
あまりの驚きと恐怖とで、身体はがちがちに硬直し、息すらもまともに出来ない。
ただただ掛け布団だろう薄い布を、ぎゅっと掴んだままぶるぶる震える。
まさかの熱中症で死んだ上に、次は地獄!
踏んだり蹴ったりも良いところだ。
そんな時だった。
ダッダッダッダッ
誰かが駆け寄ってくる力強い足音が、だんだんと近づいてくる。
足音の後ろからは、何か叫ぶ聞き知らぬ低い男の声。
パンッ!
そして、足音はこの部屋の
あまりにも大きな音に、私は思わず飛び起きて、襖の方へと目をやった。
手入れの行き届いた廊下の向こう、前世以来十六年ぶりに見た夜と美しい枯山水を背に、一人の男が立っていた。
獅子のたてがみのような長く大きい白髪、白塗りをしたかのような真っ白な肌、力強く彫りの深い造形美な顔。その背丈は自分の二つ分ほどありそうで、金地に桜の大木が描かれた着物がよく似合っていた。
ただ、彼の額の端から伸びる立派な角が、ただの人間ではないのを示している。
しかし、それよりも。
彼の美しい、桜色の瞳。
あの熱中症地獄の最中に見た瞳と一致していた。
そんな彼が私を見つけると、嬉しそうな笑顔をぶわりと顔に咲かせる。
「起きたか! 我が
ドンッ!
気絶する前に聞いた和太鼓に似た粋な声が、謎の言葉に部屋に響き渡った。
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