2.

亀裂は瞬く間に、広がっていく。


杏香は、もうそれ以上言葉を発することはなかった。茉莉に委ねるでもなく、察して欲しいわけでもなく、ただ、ただ、傷付きすぎてしまったのだ。


そんな杏香を見て、茉莉はいっそ殺してくれ、とまで思ってしまう。最愛の人をこんなに傷付けてしまった。どうしたらいい。どうすればいい?こんな時いつも、最適解をくれるのは、杏香だった。聞かずとも、教えてくれていた。


だけれどそれはもう叶いはしない。なぜなら、この場において、最適解など存在しないから。


「もう帰る。」


暫くの冷たい沈黙を破ったのは杏香だった。杏香は自分の鞄を持ち玄関へと歩いていく。

それを止めることが、茉莉には出来なかった。出来なかったと言うより、体が動かなかった。


バタン、と扉が閉まる。部屋に一人、茉莉だけが取り残されていた。まるで、バースデーケーキが目前で崩れてしまったような喪失感に襲われる。喪失感と空虚感に、涙すら出てこなかった。


だが、現実は確かに、茉莉の心に侵入していく。これが夢じゃないことが、段々理解出来てきてしまう。嫌でも侵食されていく。


嗚咽が漏れた。大粒の涙が溢れる。目が熱い。心臓が痛くてしょうがない。叫び出したくてしょうがない。行かないでと、そう喚けたら、どれ程良かったか。

その場に蹲った茉莉は、まるで迷子の子供のように、泣き続けていた。



​───杏香も、泣き続けていた。

彼女の言った「もう無理」が、本心だったかなんて、杏香には分からない。分かる由もない。

だけれど、その言葉が酷く心に突き刺さってしまったのだ。

衝突する度、彼女に申し訳なく思っていた。目の前で泣いている彼女に、いつも胸を痛ませていた。それでも、一緒に居たいから、衝突をしたくないから、彼女と話し合っていこうとした。その中で彼女を傷付けてしまっていたことは、痛いほど分かっていた。


だけど、とうとう言われてしまった。もう無理、だなんて、それ程までに彼女を傷付けてしまっていたのだと、辛くて堪らない。

心臓が竦む。鼓動を忘れる程、涙が溢れ出て止まらない。どうしたって止まらない。今すぐ彼女の家に戻って、そんな事言わないでと、言えたらどれだけ良かっただろうか。

彼女が傷付きやすい人であることは、自分が一番理解していたはずだった。ならもっと言葉を選べたはず。対応を変えられたはず。でもそんなのはもう、後の祭りだ。後悔したって、しょうがない。


そう分かっているのに。


彼女を好きで居続ける自分の心が、今は憎くてしょうがなかった。


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