それでも、この冷えた手が
津島
1.
「何で分かってくれないの?」
茉莉の涙ぐんだ声が、冷たい部屋に響く。
部屋に立ち込めた憂鬱が、茉莉と杏香を包み込んでいた。
「だから何度も言ってるでしょ、」
困ったように苛立ったように、杏香は溜息を吐く。
─────もうずっと、こんな調子だ。
こんな喧嘩になったのも、きっかけは些細な事。杏香が、ちょっとした失言をしてしまった。だが、その些細な失言を茉莉は見逃さず、「なんでそんなこと言うの?」と突っかかったのだ。
そこから、杏香の謝罪と、茉莉の揚げ足取りが始まり、杏香がそれを指摘して、茉莉が泣き出す。そして茉莉がその場凌ぎの謝罪をし、杏香がその謝罪を指摘する。それに苛立った茉莉が言い返し、杏香も言い返し…。
そんな無限ループが始まる。
でも二人は別に、喧嘩がしたい訳じゃない。
ただ、あまりにも性格が合わなすぎるのである。
感情的で理想主義の茉莉と、理性的で現実主義の杏香。育った環境もまるで真逆で、恋人になるには何とも難アリすぎるのだ。
だけれど二人はお互いに惹かれあっている。それだけは確かで、二人もそれを糧に耐えているようなものだった。
つまり、二人の関係は薄氷の上にあると言っても過言ではなかった。
すると、茉莉が震えた声で言葉を漏らす。
「私たちもう、無理だよ。」
杏香は、今までにないほど、冷たく、切ない表情をしていた。それに気付いた頃には、もう手遅れ。慌てて弁解しようとする茉莉に首を横に振った。もういいよ、そう言うかのように。
「そうかもね。」
たった一言、杏香はそう零した。諦めとも、呆れとも、悲しみともつかない、ただ涙を我慢するような杏香の顔に、茉莉は自分の言ってしまった事の重大さを思い知った。身体からさーっと熱が逃げていく。血が冷える。心が死んでいくような気さえした。
やばいと思った頃にはもう遅かった。いつも、冷静で感情的にならない杏香が、肩を震わせて声も出さずに泣いている。
どれくらい彼女を傷付けたかなんて、考えなくても分かった。
「ごめん、杏香───、」
茉莉は杏香に近付き、抱きしめようとした。それがいつもの仲直りの合図だったから。だけれど、茉莉の伸ばした手を、杏香は払い退けた。
────終わった。
茉莉の顔はみるみるうちに絶望に染まっていく。血が冷えるなんてそんな甘いものじゃなかった。血が全部抜け落ちて、カラカラに乾いて、枯葉になってしまうような。死を覚悟した。それ程だった。
「無理だよ、」
掠れた声が、杏香の口唇から漏れ出てた。それは、今まで聞いたことも無いくらい、無感情な声色だった。
傷付けるつもりはなかった。ごめんなさい。許してください。
茉莉は、杏香に許しを乞おうとした。許してもらいたかった。杏香を心から愛していたから。無理だなんて本心じゃないから。
だけれど、その乞いが、杏香にとってどれだけ愚かに感じるものかを、茉莉は知っていた。だから、出来なかった。はくはく、と開いた口から空振った息だけが漏れ出る。
はじめて、二人の間に大きな亀裂が出来た。修復出来ないほどの、大きな亀裂が。
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